行った!見た!食べた!

台南はグルメの街だ!/美味しいものを食べたかったら古い街台南を目指せ!

本投稿にはプロモーションが含まれます。

\今回はこのカメラで主に撮影しました|驚きのスグレモノです!/

台南・美食の街/台湾の食文化

日本でも東と西で味付けや食材が異なりますよね。南北に長い台湾では、北部と南部でそれぞれの食文化が発達してきた歴史があります。

魯肉飯(ルーローハン)や汁ビーフンなど日本人観光客におなじみの料理も、同じ料理名なのに南北で味や作り方が大きく異なるのです。

その中でも特に台南は美食の街と呼ばれています!牛肉湯(牛肉スープ)や担仔麺(タンツーメン)、サバヒー粥(魚のお粥)など、台南発祥のグルメがたくさんあり、わざわざ出向く価値のあるエリアだと強く思います。

台湾各地の味の特徴的な違いは、北部が塩味寄り、南部は甘み寄りであることです。ほかにも、端午節のころになるとちまき南北戦争が国中で盛り上がり、毎年イベント化していますよ。

  • 北部スタイル:もち米を蒸してから炒めて濃いめに味付けした、さらっとした食感のちまき
  • 南部スタイル:生のもち米と味付けした具材を包んでから長時間煮込んで作る、あっさり味でもちもち食感のちまき

2023年、11月、今回は台湾南部、台南を中心に滞在してその食を味わいました。

台南は台湾の古い街だ!

台湾の古い街である台南は、島の南西部の海岸平野に位置し、一年中温暖な気候に恵まれています。

台南市は、17世紀初期に、オランダ人が日本と中国との貿易のために、台南で拠点を置いたことをはじめとして発展しました。

石崎融思筆 唐館図絵/長崎歴史文化博物館所蔵

1661年、明の支持者鄭成功はオランダ人を台湾から追い出し、台南に政権を樹立しました。当時、中国本土からの移民が大挙して台湾にやって来て、台南の成長に貢献します。

このように、およそ300年の歴史のある古い町なんですよ。

そして、台湾で最も早く発展した都会なのです。

それゆえに最も歴史の長い地域でもあります。およそ日本統治時代に台湾の経済の中心が北部に移されるまで、台南市はずっと台湾の政治と経済の中心でした。台湾の中で今は「文化首都」と見られています。

台湾に行って酒屋を探したがなかなかなかった!飲酒文化のない台湾|台湾旅行の参考に2023年、11月台湾を旅行しました。街中で酒屋さんを探しますが、なかなかないのです。これはなぜだろう?と調べたら、、、理由が見つかりました。台湾旅行の参考にしてください。...

動画でもどうぞ

台南は古い首都ではなかったのか?ちょっと待てよ!

よく「台南は台湾の京都」という表現がありますが、、、それはどうでしょうか。京都は長く日本の都でした。しかし、台南は「台湾の中心地」であったことはあっても古く都であったことはないのです。しかし、台南は島の政治の中心地であり、外世界との貿易の主要な玄関口として位置していたことには変わりません。

オランダ台南進出、そして鄭成功の台南征服

歴史上、オランダが台湾南部に進出し、台南を本拠地とした頃は台南は交易都市として栄えました。台南にはオランダの軍事拠点はありましたが、政治機能はなかったので、台南は首都とは言えません。

ゼーランディア城

安平古堡(あんぴんこほう)は、台湾中華民国台南市安平区にある、台湾最古の城堡。1624年に建城された。旧称は奧倫治城(Fort Orange、オラニエ城)。また熱蘭遮城(Fort Zeelandia、ゼーランディア城)、安平城台湾城ともいう。建城以来、オランダ統治時代にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地として、また鄭氏政権時代には3代にわたって王城として使用された。

ウィキペディアより

赤嵌樓(せきかんろう)。1653年、オランダ統治時代に建てられたプロヴィンティア城です。その名を変えたのが今の赤嵌樓(せきかんろう)です。オランダ人が建てたことから、当時は紅毛城、赤毛城などと呼ばれていたそうですよ。

その後、鄭成功がオランダを追い出します。そして、台南に本拠地を置いて、「反清復明」を掲げます。

鄭成功

しかし、その頃は、明は清に滅ぼされた後、南京に亡命政府を作るので、台湾を含む明のテリトリーの首都は「南京」になります。

鹹豆漿(シェンドウジャン)|台湾の定番朝ご飯は美味しい!2023年秋、私たちは台湾にいきました。そこでとても美味しい朝食「鹹豆漿(シェンドウジャン)」に出会いました。台湾の朝食の歴史や、その「鹹豆漿(シェンドウジャン)」のことをレポートします。美味しく食べるコツも書いています。...

清の台湾進出

その後、清が鄭氏を滅ぼします。台湾には興味を持っていなかったので、そのままにしておきました。それゆえに、その時代の首都は清の首都です、そうです「北京」です。

中国の酒文化|歴史や習慣/変わりつつあるミレニアル世代中国にはさまざまな種類のお酒があります。そして、私たちには馴染みがない飲酒に関する習慣があります。それらは文化的背景とともに大変興味深いものです。...

台湾の日本統治時代

日清戦争で日本は台湾を割譲します。そして、日本は台北に台湾総督府をつくります。しかし、これはあくまでも日本政府の出先機関です。台湾は日本の領土となったので、首都は「東京」です。

台南地方裁判所(日本統治時代)

台南の「花園夜市」に行ったら、あまりの人混みに途中で買い物断念!この人混みは尋常ではない!台南・花園夜市に行きましたが、あまりの人の多さに食事は断念!この夜市の凄さを思い知らされました。...

大戦後「台北が臨時首都」

1911年10月の辛亥革命によって、翌1912年正月元旦、孫文が臨時大総統に就任し、中華民国が成立します。首都は「南京」です。1945年、日本は敗戦。中華民国(国民党)が台湾に進出します。その頃の首都はまだ「南京」です。蔣介石は、中華民国初代総統・中国国民党総裁ですが、国共内戦の中で、1949年に、中国国民党を率いて台湾に渡り、台北を中華民国の「臨時首都」としました。

中華民国の指導者蔣介石のとその妻宋美齢が台湾を訪れる。1946年10月21日

1947年12月25日の中華民国憲法施行以降は正式な首都がどこか法律等で明確にされていないのです。

しかし、2022年に外交部が発行した「Taiwan at a Glance(ひと目でわかる台湾)」によれば、首都は台北市となっています。

このように、中国情勢は複雑で、「一つの中国」という考えがわからないと分かりづらいです。

以上、台南は古い街ではありますが、「古都」と呼ぶにはどうかなという考察でした。

台湾・台北の知る人ぞ知る「隠れ夜市」雙城街夜市に行って食べた!美味しいもの満載だ!台湾の知る人ぞ知る隠れ夜市で美食を満喫しました。その様子をご紹介します。台湾旅行の参考にどうぞ。...

台南はグルメ天国だ!

台南市は、長い歴史に恵まれて、歴史的建物と、多種多様なグルメで知られています。「台南に来なければ本当の台湾グルメは語れない!」といっても過言ではない、多くの台湾人が認める美食の街が台南です。台湾料理が好きだったらぜひ訪れたいところです。僕の出会った台湾人も「台南に行く」というと「あそこは食べ物が美味しい!」という反応を示しました。

台南発祥の美味しい料理

これからまた詳しく投稿しますが、台南の代表的な料理、ご当地グルメのことを書きますね。

台南の牛肉湯(牛肉スープ)

「牛肉湯」と書いてニューロウタンと読みます。「生の牛肉」をスープに入れていただくというシンプルな料理なのです。これは、台南を代表する伝統的な朝食として知られています。ここ台南は牛肉の産地から近く、新鮮な食材を毎日仕入れることができるから作れる逸品です。

\今回はこのカメラで主に撮影しました|驚きのスグレモノです!/

台南の担仔麺(タンツーメン)

担仔麺(タンツーメン)は海老で取った出汁に甘い肉そぼろ、もやし、にんにく、パクチー等の香菜を合わせた小ぶりの汁麺で、台湾ではとってもポピュラーな料理です。。古く台湾の南部地方、台南で多くの人々に親しまれ、それは中国麺のルーツとして伝わり広まりました。担仔麺は武将に好まれた料理でもあります。小さな一椀の中に野菜、肉、麺、魯蛋(ルーダン/煮卵)と栄養がほどよく保たれているために戦いに忙しい当時の合理的な食事だったと思われます。

サバヒー粥

台南を代表する魚と言えばまず挙げられるのが「サバヒー」です。「サバヒー」は、英語ではミルクフィッシュと呼ばれている白身の淡白な味の魚なのですよ。台湾南部では多く養殖されている魚です。その台南を代表する魚「サバヒー」の粥はサバヒーの鮮度が命のため、朝限定のメニューです。

台南に行ってよかった!

上記のように台南は古い街であり、観光も楽しいです。そして、洗練されたさまざまな料理が登場しており食べ歩きも最高でした。それらの台南の料理の背景には裕福な商人とその家族は、富裕層の食べ物である牛肉や砂糖入りの珍味を十分に食べる余裕があったことが考えられます。

こちらの記事もオススメ!