行った!見た!食べた!

天城で買ったわさびを食べた/伊豆はわさびの名産地だ!

本投稿にはプロモーションが含まれます。

「わさび」は、古くから日本人に親しまれ、我々にとってなくてはならないものになっていますね。

「わさび」は日本原産のアブラナ科の植物なのです。同じアブラナ科にはローストビーフの薬味などとして使われるホースラディッシュもありますね。区別のためにこちらを「西洋わさび」、「わさび」のことは「本わさび」と呼びます。

「わさび」は英語でも「Wasabi」といえば通じます。 発音記号は「wəˈsɑː.bi」でカタカナにすると「ワサァビィ」といった感じですね。 「わさび」は海外でもかなり浸透している単語ですが、もし通じない場合には「Japanese horseradish」といえば分かってもらえると思います。

ちなみに、「わさび」の学名は、Wasabia Japonica Matsum.と言います。WasabiaはWasabi(ワサビ)に由来し、JaponicaはJaponicus=日本の、という意味で、まさに日本原産が学名に生かされています。

\今回はこのカメラで主に撮影しました|驚きのスグレモノです!/

わさびの歴史

古くは飛鳥時代の遺跡から出土した木簡に、「わさび」について記されていたようです。

奈良県立橿原考古学研究所は、奈良県明日香村の苑地(えんち)遺構から出土した木簡を調べていた際、「出土された木簡の長さは8~30cmほどで、わさびや薬草とみられる植物名や、庭園を管理する役所名などがかかれていた」と発表しました。そこには「委佐俾三升(わさびさんしょう)」と書かれていました。これは「わさび」と記されたわが国最古の木簡です。これは「わさび」を保管した容器にくくりつけたラベルとみられます。

木簡(もっかん)とは、主に古代の東アジアで文字を書くために使われた、短冊状の細長い木の板である。の普及により廃れたが、完全に存在を消したわけではなく、荷札などには長く用いられた。竹片に書かれた竹簡と木簡を合わせて、簡牘と呼ぶ。

ウィキペディアより

後にも平安時代、鎌倉時代と「わさび」についての記述は発見されています。

昔の人はどうやって「わさび」を食べていたのでしょう、想像すると楽しいですね。

「広重魚尽」歌川広重(一世)

「わさび」の種類

「わさび」には湧水などを利用したわさび田で栽培される「沢わさび(水わさび)」と、涼しい山林中の畑地で栽培される「畑(はた)わさび」があります。私たちがよく見る「わさび」は「沢わさび」です。「沢わさび」は主に根茎をすりおろして食用にしますね。「畑わさび」は葉や茎を食用にします。根茎だけでなく葉や茎にも独特の爽やかな辛味と香味があり、漬物などの加工食品として人気です。

ここでは「沢わさび」のことを取り上げますね。

「わさび」の有名なところ静岡県

元々深山幽谷(しんざんゆうこく)に自生していた「わさび」ですが、徐々に水のきれいな渓流を利用した栽培が始まったそうです。

これが日本の各地に伝わって、今ではいつでもわさびが手に入るようになりました。

中でも、静岡県は「わさび」の名産地です。

静岡県は、水わさび(水を利用して栽培されるわさび)根茎(すりおろす部分)の生産量及びわさび(水わさびと畑わさびの合計)の産出額が日本一です。

静岡県のわさびは、根茎肥大に優れ、高品質であるほか、加工品でも「静岡のわさび漬け」として全国に知られています。

静岡県のHPより

「わさび」と言えば静岡の伊豆

天城越えで有名な天城には、「わさび」農家がたくさんあり、「わさび」を使った様々なお料理やお土産品を見つけることができます。

特に有名なのは、わさび丼、わさび漬け、わさびの茎の醤油漬け、わさびの茎の三杯酢漬けなどがあります。

中でもわさび丼は「孤独のグルメ」にも登場していて、とても人気のご当地グルメになっていますね。今回の私たちの伊豆旅行では、天城峠に行った際に、道の駅や産直店、わさび専門店等に立ち寄ってみました。

浅田わさび店

ドライブしていると、「わさび」のお店が見えました。直感で「ここは良さそう!」だと思い、立ち寄りました。

お店の中に工場があり、ドアを開けた途端ツーンと「わさび」の香りがします。酒粕の良い香りもふんわり漂っています。

こちらでいろいろな商品を買いましたよ。

浅田わさび店の情報

所在地 〒410-3205 静岡県伊豆市市山785-1
電話番号  電話 0558-85-1545 / FAX 0558-85-1540
URL  http://www.asada-wasabi.com/
メールアドレス  asada-wasabi@drg.qtt-fun.jp
駐車場の有無  7台
営業時間  8:30~17:30
定休日  火曜日(隔週)

浅田わさび店のわさび漬け

わさび漬けは、日本全国どこでも手に入りますが、こちらのわさび漬けは、お店で手作りされていて、作りたての、新鮮なわさび漬けです。

天城の天然わさびを100%使用し、辛子や添加物は使用されていません。

酒粕は神戸の白鶴のものを使って昔ながらの製造方法で作られているそうです。私たちは神戸在住なのでなんだか親しみが持てます。

ねっとりとした滑らかな酒粕の生地にシャキシャキした「わさび」の食感がいいですね。とても香りの高いわさび漬けです。

「わさび」の香りと辛味は揮発性で、空気に触れるとすぐ飛んでしまいます。酒粕に混ぜると言うのは、「わさび」の香りと辛味を長く楽しむための、昔の人の知恵なのでしょうね。

お店の方がおっしゃるには、「わさび」の辛味が少なくなる季節には、辛味を人工的に加えるお店もあるとの事ですが、こちらではわさびの辛味だけで作っていると言うことでした。

浅田わさび店の「わさび」の三杯酢漬け

「わさび」の茎を三杯酢に漬けたお漬け物です。

(お皿は明治時代のもの)

「わさび」のツーンとした辛味と、良い香りがします。シャキシャキとした食感がしっかり残っていて、味も手作りならではの優しい味です。やや甘めで、酸味もキツくないので、いくらでも食べてしまいそうです。

白いご飯にも、お酒にもよく合いますね。

浅田わさび店の生わさび

今朝採ったばかりの新鮮なわさびです。良い香りです。

道の駅「天城越え」

ここは生わさびや、色々なわさび加工品が並んでいます。見ているだけで楽しかったです。

店員さんが売り場の横で「わさび」を刻んでいました。

浄蓮の滝観光センター

ここにもわさびの加工品が販売されています。お食事処もあります。ここでは「わさび」の醤油漬けを買いました。

シャキシャキの茎を甘辛いタレに漬け込んであります。ツーンとした辛味はやや控えめで、白いご飯にとっても良く合います。

観光センターから階段を下って行くと浄蓮の滝があります。

「日本の滝百選」にもその名を連ねているので有名ですが、何と言っても「天城越え」の歌詞に出てくるのでご存じの方は多いと思います。

渓流沿いにわさび畑が連なっています。水がきれいなのでわさび栽培に適しているのでしょうね。

滝の側には「天城越え」の楽譜が刻まれた歌碑がありました。

つい歌ってしまいますね。

わさび丼を作った

天城で生わさびを買って帰ったので、早速わさび丼を作りました。

白いご飯の上に鰹節を広げて、その上におろしたてのわさびをのせお醤油をかけただけのシンプルな丼ものです。

孤独のグルメでも、このわさび丼を取り上げられているので、ご存知の方も多いと思います。ご飯の上に乗せるだけの簡単な丼物なので、料理というよりは食べ方という感じでしょうか。

シンプルなだけに一つ一つの素材の味が大切なので、「わさび」は新鮮なものを使い、鰹節も削りたての良質なものを使うと良いと思います。今回は、天城で買ってきた採りたての「わさび」と、枕崎の新鮮な鰹節を使います。お醤油も湯浅の美味しい醤油で頂きます。

お米は炊き立ての鹿児島県伊佐市の伊佐米です。

県内一の生産面積と生産量を誇り、古くから「薩摩の米蔵」とされています。四方の山々から流れ込む豊潤な水と盆地特有の日中の寒暖差が「おいしい米」をつくりだします。冷めてもおいしいのが特徴です。

伊佐市のHPより

\美味しいです!うちはこれを食べています!/

作り方は簡単。

まず、炊き立てのご飯を盛り付けます。その上に削りたての鰹節を広げます。今回は鹿児島枕崎の鰹節を使いました。

「カツオ節削り体験」を枕崎でしたら楽しかった!「茶節」の作り立ては美味しい!2021年の夏、枕崎に行き、「カツオ節削り体験」をして「茶節」をいただきました。とても美味しく感じました。丁寧に指導してくださった石原さんに感謝です。...

真ん中におろしたての「わさび」をのせて、お醤油をかければ出来上がり。

「わさび」の香りと辛味は揮発性なので、空気に触れるとあっという間に飛んでしまいます。ですから一度におろしてしまうのではなく、食べる分だけ少しずつおろして、追い「わさび」にするのが理想的ですね。

わさび漬け、わさびの三杯酢漬け、「わさび」の醤油漬けも添えて、わさび尽くしです。

「わさび」が主役になるお料理なんて珍しいですね。

「天城峠」に行ってみた

天城峠は全国的に知られています。川端康成の「伊豆の踊り子」の冒頭でも天城峠が出てきますね。

「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思ふ頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追つて来た。」

この小説の舞台となった天城峠は、静岡県伊豆の下田から三島に抜ける下田街道(現国道414 号)の河津町と天城湯ヶ島町との町境にあります。1900年に天城山隧道(旧天城トンネル)の建設が始まり、1905年に全長446m、幅員4.1mの重厚な石造りのトンネルが開通しました。全長450mのトンネルはすべて切石で組まれ、現存する石造トンネルとしては最長です。

天城峠にトンネルができると、湯ヶ野や河津、下田などの温泉地を訪れる湯治客が徐々に増え始めました。また、それを目当てに旅芸人も下田街道を行き来するようになっていくのですね。旧制第一高校の2年生、当時19歳だった川端康成が、湯ヶ島で14歳の踊り子と出会い、ともに下田まで三泊四日の旅をしたのは大正7年(1918年)のことです。ふたりもこのトンネルをくぐり抜けていったのですね。

石川さゆりの「天城越え」でも有名ですね。

このブログのマスコット犬「白鳥麗子」さんに天城越えのポーズをしてもらいました。

\今回はこのカメラで主に撮影しました|驚きのスグレモノです!/

こちらの記事もオススメ!