「ボンジュール!」
流麗なフランス語が聞こえた。練習終了後、舞台から客席に飛び降り、ロビーのカフェに行こうと思ったときだった。
「おお、ボンジュール! ジャン・ミッシェル!」。ミッシェルはこの街で旅行会社を経営しているフランス人で、昔からの知り合い。付け加えると僕はここのお得意さまだ。
「シンヤ、お願いがあるんだ。フランスのクラシック専門番組に出てくれないか。ルーマニアの音楽事情の取材で、シンヤのことを撮りたいんだって」「でもフランス語のインタビューなんかあったら困るな」と肩をすくめて困った顔をしていると、彼は「それは分からないが」と、英語に切り替えてからチャンネル名を口にした。メッツォ。僕もよく見ている、とても有名なチャンネルだ。
「よし、じゃあ今度の月曜の十時はどう?」と今度は僕から切り出した。
「ボンジュール!」。月曜十時ちょっと前、三人の陽気なクルーがやってきた。僕も笑顔ですかさず「ボンジュール!」。このボンジュールが大切なのだ。
フランスに行く度に身にしみて感じるのだが、フランスでは、運が悪いと国際列車の到着駅の案内所でさえ英語を話さない。いきなり英語で話しかけても、彫刻のように微動だにせず、無視ということもある。
だからとりあえず「ボンジュール!」。
あいさつぐらいはフランス語で、それから英語を話していいか問わねばならぬ。これは鉄則。度重なるパリ訪問の涙の屈辱的体験から学んだ貴重な経験だ。
「フランス語話せるの?」。
早速一番若いカメラマンが僕にフランス語で訊(き)いてきた。「ノンノン、全然。全く。ゼロ」。実は個人教授でフランス語は習っていたのだが、とにかく不得意なのだ。もしインタビューがフランス語だったら…。稚拙なフランス語のハチャメチャな答えが全欧に放送され、食卓のいい笑い話になる。番組を見た人からは舞台に立っただけで、指を差され腹を抱えて笑われるかもしれない。これはいかん!英語に持ち込むのだ。
この時はルーマニアの作品を指揮した。ルーマニア語、ハンガリー語、そして英語などミックスして指示を行うので、彼らにはとても興味深かったみたいだ。
結局インタビューは英語。音楽の話題をひとしきり聞かれた後で、最後にとても大事な質問だといわれて聞かれた。
「ルーマニアにドラキュラはまだいると思うか?」。えっ?予想もしない質問で不意を突かれ、一瞬フリーズした。「それは~、ははは、ここでしてはいけない質問だね」と、なんとか笑いを取った。
その後スタッフの脳が完全にジョークの方にセットされたのか、「スシを食べないと、力が出ないのではないか」「相撲取りの友達はいるか」など、ものすごい方向に話が盛り上がってしまった。なんだか結局食卓の笑いをとる方向になっているではないか。
その時、近くである年配の女性団員がインタビューを受けていた。僕のことをフランス語で褒めていたので、不覚にもついニコニコしてしまった。「あれ?彼、分かってるんじゃないの?」とスタッフの一人が僕を指差す。「い、いや、いや、全く。ボンジュールしか、知らないよ。ボンジュール! ボンジュール!」そうだ、こんな時こそボンジュールが大切なのだ。
2005/06/16
エッセイについて
これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。
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