エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|50「イスタンブール 2 」

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「クルド人!」。新聞やニュースなどでは聞いたことがあるが、会ったのは初めてだ。一定の領域で居住しながら独自の国家を持たない民族はクルド人のほかにはない。

「マイフレンド、僕らはこの世界の持ち主ではないから、自分の思い通りにならないことが多いんだ。僕らは持ち主ではなく訪問者。生を受け、たまたまこの世界を訪れているだけさ」。彼は始終ほほえんでいたが、言葉には重みがあった。

クルド人ネジョーと、いつかまた会おうと固い握手をした。山岳地帯で育ち、日焼けした手は力強かった。僕はアジア側に渡るため、バスでフェリー乗り場に向かった。イスタンブールは地下鉄、バス、トラム、フェリーなど交通機関が発達していて、旅行者も簡単に使える。

チケットを買い、波止場で波に揺られているフェリーに飛び乗る。人々の通勤通学の足となるフェリーは、観光船などとは違い、日常を運んでいるように感じる。

イスタンブールはボスポラス海峡を境に、アジア側とヨーロッパ側に分かれている。フェリーからは両方の街並みが一望できた。下町情緒あふれるアジア側に向かうフェリーから、ネジョーといたヨーロッパ側を見る。丘の上にはブルーモスクが見えた。

正式名は「スルタンアフメット・ジャミイ」。一六一六年に完成した巨大なモスクと六本の塔。その横には対照的に、西暦三六〇年建設のビザンチン聖堂の大傑作、アザソフィア(聖ソフィア寺院)が建っている。教会からモスクへと変ぼうしたその聖堂には不思議な魅力がある。

波は穏やかで風が心地良かった。アジアサイドの波止場近くにもモスクが見えた。船は両サイドの中間地点に差しかかっているのだ。シルクロードの東の終着地点の国から来た僕は、アジアとヨーロッパの境にいる。まさしく文明の十字路に立っているのだ。

極東出身の僕が西洋音楽をやること、その意味を悩み続けてきたことを思い出した。「もしこちら側に生まれていたら、今ごろどうなっていただろう」。ヨーロッパサイドのはるかかなたを見ながら感慨にふけった。きっと、違った人生になっていただろうな。

陽(ひ)は既に傾き、オレンジ色の太陽がブルーモスクの塔を照らしていた。船は穏やかに揺られ、鳥が海面近くを羽ばたいていた。「僕らはこの世界への訪問者なんだ」。ネジョーの言葉が心に染み入ってくるように消えていった。

デッキから船の中に移る。行商の青年に声をかけ、リンゴのチャイを一杯もらった。彼が僕に近づいてきて、どこから来たか尋ねてきた。「マイフレンド、僕は日本から来た。でも心はイスタンブールにあるんだよ」。僕の前にはスカーフをかぶり髪を隠した若い女性が座っていて、見ると優しくほほえんでいた。

 

「アッラーフ、アクバル」。日没前の礼拝を呼びかけるアザーンが遠く、こだましているように聞こえてきた。

2006/08/13 

追記

このエッセイは「イスタンブール1」から続いています。

尾崎晋也のエッセイ|49「イスタンブール 1 」初めてイスタンブールに行った時のエッセイです。イスタンブールでは見るものが全て興味深く、とても魅力的な街でした。...

イスタンブールはとても好きな街です。何度行っても新しい発見があります。そして、東洋と西洋の出会いの場ということで、自分の仕事、自分の存在を考えさせられるところです。

この2006年当時、よく聞いていた曲です。トルコの歌姫セゼン・アクス(Sezen Aksu, 1954年7月13日 – )は素晴らしいです!この曲を聴くと、ボスポラス海峡の黄昏を思い出します。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/

\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/

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