エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|5「白羽の矢」

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前回の話が好評だったようなので、その続き。

ルーマニアでの国際コンクールに入賞した半年後、ご褒美に同地でコンサートをすることになった。オーケストラはシビウ交響楽団。トランシルバニア地方のドイツ人の作った美しい街シビウに本拠地を構える。五月、春風の薫り高い、美しい季節に私はまたこの国を訪れた。

プログラムはベートーベン「運命交響曲」(通称)を中心としたもので、練習はルーマニア語が全然分からないのですべて英語で行ったが、なんとかスムーズに運んだ。

演奏会本番、満員のお客さんが静かに、本当に一生懸命に聞いてくれているのが背中で分かった。立って拍手してくださったお客さんも多く、感動した。指揮を続けてよかったと思った。楽屋で燕尾(えんび)服を片付けていた私のところへ、太っちょで赤ら顔のオーケストラのマネジャーが来て言った。「尾崎さん、あなたは本当にいい指揮者だ」。うれしかった。

「ところで、あなたには明日、隣の街で指揮してもらいたい」

「な、なんですって!?」

話を聞くと、隣町の常任指揮者が事務局とのトラブルで演奏会を突然キャンセルしたとのこと。そこで僕に白羽の矢が立ったわけである。

「そんなこと言ったって、明日は観光に連れて行ってくれるって言っていたじゃないですか! それにホラ、このスケジュール表にもドラキュラ城見学の後、ルーマニア料理レストランでディナーって書いてありますよ!」と、つい声に力が入ってしまった。

 

ドラキュラ城

初めての国でやっとの思いで指揮して、それだけでも疲れたのに、また翌日、それもまったく知らない所で突然の演奏会である。底抜けに明るいマネジャーの手にはもうすでに電話の受話器があった。「向こうには明日私が連れて行くから、朝五時に起きてくださいね」とか言っている。まいったな…。

プログラムはモーツァルトだけのもの。練習は朝十時から午後二時まで。これでうまくいったらラッキー。だめだったら…、と考えたがダメでもともとである。約束どおり翌日車で三時間もかかるところまで連れて行かれ、とにかく超スピードで練習した。

指揮者に就任してコンサートを指揮する

演奏会はその日の夜七時。ビデオの早送りを見ているような一日だった。演奏会の前半を終え、休憩時間にこのオーケストラの音楽監督、チーキー氏が私の元を訪れた。「あなたにこのオーケストラの指揮者になってほしいと考えている」。驚いた。なんでこうも突然なんだ! 「と、とりあえず、後半を指揮させてください。それでもって、日本に帰ってから答えます。」。なにせ僕は後半の指揮のために精神を集中させなければならない。うれしいが、後半の曲はあのモーツァルトの交響曲でも一番悲しく響く四十番のシンフォニーだ。ここではしゃいで曲を小躍りさせてしまうわけにはいかないのだ。

演奏会は成功のうちに終わり、その次の日、大急ぎで乗った飛行機の中でやっと現実に戻れた。ルーマニアの国立オーケストラの指揮者だぞ、大変なことになったな。

そのオーケストラが現在監督しているトゥルグ・ムレシュ交響楽団なのである。機内食の時間、今回のスケジュール表で実現しなかった「ルーマニア料理のディナー」というところが頭に浮かんでなかなか消えなかった。

2003/09/05

ルーマニアの黒ワイン

僕も飲んでるルーマニアワインです。フェテアスカ・ネアグラはとても珍しくルーマニアの土着品種。「黒い貴婦人」という名前です。これはルーマニアでしかできない黒ワインというカテゴリーのものなのですよ。その中でもこのワインは生産量数が限られている貴重なものです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/

\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/

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