エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|25「愛用の道具」

本投稿にはプロモーションが含まれます。

「指揮棒は重たいでしょうから、トレーニングに励んでください」というメールが来た。スポーツクラブで出会った年配の男性からだ。うーん、なんと返事したらいいのだろう。重い、軽いは主観の問題で客観的にはどうなんだろうか。でも、指揮棒の種類にもよるが、どう考えても大体は軽い。僕の指揮棒はグラスファイバー製で、持つ部分はコルク。誰が持ってもまさか重いとは思わないだろう。お箸(はし)一膳(いちぜん)よりも軽いかもしれない。

指揮棒は種類も限られていて、たまにテレビの天気予報の解説などで指揮棒を使っているのを見ると、「あー、あれは二千五百円のやつだな」なんて分かってしまうくらい。また、特に高価なものでもなく、現在のようにグラスファイバーなどという最新素材がなかった頃(ころ)は、木でできていた。僕の師匠など、牛乳瓶の底の部分を割ったもので菜箸を削って作ったりしたらしい。だから昔はよく指揮棒が折れた。間違って譜面台に当たったりすると、すぐに折れてしまったのである。

若い頃は、憧(あこが)れていた指揮者が練習中に折った指揮棒の破片をお守りのように大事に持っていたりしたものだ。ちなみにロシアの指揮者などは、指揮棒なしで指揮する人が多い。ロシアンスクールなどと呼ばれ、かなり独特な動きである。

ロシア人指揮者スヴェトラーノフ(1928-2002)

音楽史上、指揮棒の出現は新しい。たかだか百五十年くらい前だろう。楽譜を丸めて指揮していたのから、指揮棒にかわった。それ以前は二メートルもある装飾された鉄の棍棒(こんぼう)で床をガンガン叩(たた)いていたこともあった。実際うるさかっただろう。その上、十七世紀最大の作曲家の一人、リュリがそれで間違って自分の足を突いて壊疽(えそ)で死んでしまった。うるさい上に危険だ。さすがに素材変更が必要になったと思う。

ジャン=バティスト・リュリ(1632年11月28日 – 1687年3月22日)

しかし、それはダーウィン的に言うと現在の指揮棒の直接の先祖ではない。十七世紀の棍棒は現在ブラスバンドの指揮者の持つものに進化した。

現在の指揮棒の話に戻るが、日本には優れた指揮棒のケースがある。これはあまり外国では見かけない。大抵の指揮者は、指揮棒を鞄(かばん)の底にちょいと入れてリハーサルに来るのだ。僕の場合、大阪の指揮者の友達がこういう物を作るのが上手で、彼に作ってもらった物を使っている。アンティーク仕上げでなかなかの出来だ。外国人の指揮者には珍しがられることが多い。

そんなケースまで用意して、職人にとって道具が大事なように、指揮棒もさぞ大切に…と思っている人も多いかと思う。実際は消耗品扱いで、僕など五年も同じものを使ったら珍しい、というくらいのものなのだ。

ところで今僕が使っている指揮棒にはストーリーがある。ある日、僕の弟子がなかなか綺麗(きれい)な指揮棒を持っているのに気づいた。「それどこで買ったの?」「あのー、先月パリの楽器屋で見つけたのです。六千円くらいでした」「ちょっと貸してみて」と、持ってみたらなんとも軽くて持ちやすい。グラスファイバー製でとても丈夫そうである。しかも、持ち手のコルクの部分が僕の手にぴったしではないか!

「あーこれ、まるで僕のところに来るために生まれたものみたいでしょ。ほらほら」。指揮棒を振り回しながら、「決まりー、僕に売ってね。あーもう一カ月使ってるだろうから、四千五百円でいいでしょ」と勝手に値踏みして弟子から取り上げたのが、今の愛用の指揮棒という訳なのである。

2004/11/25 

\グラスファイバー製の指揮棒/

追記

書かれているグラスファイバー製の指揮棒はかなり耐久性がよく、2022年の現在でも使っています。素材の進化は素晴らしいですね。現在では、グラスファイバー製の指揮棒は2000円台から販売されています。安いですね!

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

 

こちらの記事もオススメ!