エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|31「宗君」

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「先生、元気? 今東京だよ。どうしてる? 会いたいよ」

ニューイヤーコンサートを終え、ルーマニアから慌ただしく十日間だけ帰国した。

東京のマンションに帰り、留守番電話の再生ボタンを押した途端、この堰(せき)を切るようにしゃべる声が聞こえた。そのたどたどしい日本語には覚えがある。「日本にちょっとだけ来たよ。台湾に帰る前にちょっとだけ先生に贈り物をしたよ」。この声はかつての僕の弟子、宋君のものだった。

アメリカの学校を終え、帰国してから最初の何年間か、僕は東京の音楽大学で指揮を教えていたことがある。その時の生徒だ。たくさんの生徒がいた中でもよく覚えている、個性的な生徒だった。

アメリカでの生活で苦労を経験した僕には、よけい彼のことが気にかかった。学校で見かけるたびに「何か困ったことない?」などと声をかけていた。言葉や文化に慣れていないと委縮してしまって、自分から助けを求めることさえもできなくなってしまうことがあることを、身をもって知っていたからだ。でも、たくましく困難を乗り越えて、明るく勉強している宋君は印象的だった。僕は指揮を教えていたけれど、確か彼の専攻は声楽だったっけ。

日本の学校を出てから、ニューヨークに行っていたと聞いたけれど、台湾に帰国したのだろうか。

「先生、元気してる?」

数日後、彼から電話があった。わずかな日本滞在期間中にも滋賀県で講演会があり、それを終えて東京のマンションに帰り、ほっと気を抜いたときだった。

「宋君!どうしたの。今はどこ? びっくりしたよ」

ニューヨークに留学した後、台湾に帰り、今は音楽の先生をしているらしい。日本には、彼の生徒が日本の障害者の音楽コンクールに出演するので、引率してきて、それを終えてすぐに帰国したのだという。自分の生徒がとてもいい成績だったこと、ニューヨークから帰って、音楽で生活していくことが大変だとわかったことなど、声楽専攻らしく張りのある声で話していた。彼曰(いわ)く、音楽の世界の厳しさを知るにつれ、僕のことが心配になったのだという。

ここまで生徒に思われるなんて、僕は幸せな先生だ。

「先生は偉いね。フルタイムで音楽の仕事しているのでしょう。イッツ、グレート! ほんとに音楽の世界は難しいよ。先生に会いたいよ。アイ・ミス・ユー。体に気をつけてね」

英語のほうが話しやすいときもあるのか、その後は英語で話した。

今回の日本滞在は短く、忙しかった。滋賀県の講演会の後、京都の所属音楽事務所に顔を出し、神戸にも寄った。せわしなく荷物をまとめ、成田からいつものルフトハンザに乗り込む。まだ時差を解消していない体に、仕事を終えた達成感だろうか、心地よい疲労感がやってくる。まだ目の開いているうちに腕時計を目的地の現地時間にセットする。左腕には時計とともに、小さな美しい石で作られたブレスレットが見え隠れしている。これが宋君からの贈り物だった。

お守りにつけろと書いてあった。そういえば、彼の実家は宝石商だったな。

窓からは東京湾が見える。離陸してしばらくすると、いつも一抹の寂しさを感じる。

これからまたしばらくはヨーロッパだ。身が引き締まる思い。演奏会のプログラムを頭の中で繰り返し反復する。間違いはない。

ゆっくりと目を瞑(つぶ)ると、宋君の声が聞こえた。

「体に気をつけてね」

2005/03/10

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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