エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|33「リズム感」

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もっとリズム感がよかったらいいのに。これは洋楽を演奏する多くの日本人音楽家の共通の願望だろう。いくら勉強しても感覚的なものなので、リズム感を磨くのは容易ではない。

そもそも日本人の生活には踊るということ自体が組み込まれていない。踊ったとしても、盆踊りぐらいのもので、すり足が基本。ステップという感じではない。小学校の音楽の授業では、三拍子のリズムは「強・弱・弱」と習う。

でもこんなの、実際にワルツを踊ってしまえば言うまでもないこと。「右足の次は左足を出して歩いてください」なんて言ってるようなものだ。つまり、日本には音楽的にも伝統的に三拍子がないのだ。

これがお隣の朝鮮半島に行くと、なんと三拍子が存在する。音楽学校の講義で、彼らは騎馬民族で、馬のステップは三拍子で、それに合わせないと振り落とされてしまう、という話を聞いた。これは生死に関(かか)わる。

朝鮮半島ではリズム感の悪い人は自然淘汰(とうた)されてきたのかもしれないな。われわれは農耕民族であり、鍬(くわ)の上げ下げの二拍子が基調。歌に合わせる手拍子ももみ手、すり手なのである。

ヨーロッパの人々はよく踊る。レストランでは夜が更けると、テーブルを端に寄せ、バンドの音楽に合わせて踊ったりするし、また、結婚式などでは必ずといってよいほど踊る。

日本人は生活の中で踊ることはめったにないという話をすると、皆びっくりする。音楽があると、体を動かすのが自然だと感じているのだろう。

これは特殊な話だが東ヨーロッパに行くと、村の農民などが七拍子や、十一拍子といった、考えられないような拍子で踊っているのだ。三年練習しても足が絡んじゃう。

リズム感を良くしたいという悲願。このことについて、昔からの友人で、東西の文化の違いなどよく知っているフルート奏者と話をする機会があった。

普段は底抜けに明るい彼が、その時はいたく真面目(まじめ)な顔で言った。「この間、日本のラテンリズムの原点というべきものがあると、あるホームページに書いてあったんだ」

おかしなことを言うなと思った。「そう、ドドンパ。都々逸とルンバを合わせたやつ。僕らの古来の感覚にラテン風リズムがぴったしなんだな、これが」と言うや否やリズムを歌いだした。

「ズン、ズン、チャチャチャチャッチャ! それに振り付けもあるらしい。独特なステップって書いてあったぞ」

どこかで聴いたことあるリズムだと思ってたら、いきなり歌いだした。「富士の高嶺に降る雪もぉぉ」。あちゃー、手拍子までつけているよ。

満面の笑みで得意そうに歌う友人を見ていて、急に悲しくなってしまった。その手拍子はまさに「東村山音頭」だったのである。

2005/04/21

追記

これを書いた当時、日本人の生活に踊る機会はない、との記述に関し、奄美大島在住の友人から「私たちは機会があるたびに踊る」とメッセージがありました。正にそのとおりです。僕自身、鹿児島出身でありながら、奄美群島のことを忘れていたことに身の縮む思いがしました。旧琉球王国の島々では、ことある度によく踊ります。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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