エッセイ

尾崎晋也のエッセイ26|「フォー」

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「フォーを食べにホーチミンに行ってきます」

この携帯メールを受け取った弟子から返事が来た。「えっ、ホーチミンってどこでしたっけ?」。また送った。「今成田です。機体の不良個所整備のため出発が遅れています。無事帰国できることを願っています。万が一の場合、今度の演奏会を指揮できるようにしておいてください。チャイコフスキーの交響曲の一番で、ファーストバイオリンが伴奏するところは特に弱く演奏するように」

空港の出発ゲート。いつもすぐに返信する彼から返事もなく出発した。頭もよく冗談も分かる弟子だが、案外いいチャンスとばかりに真剣に曲の勉強始めているんじゃないか。やんちゃな顔文字もつけた、ジョークと分かる文章だったのに。

約六時間後には熱帯の独特な暑さとバイクの騒音に囲まれていた。

ベトナムに来た。仕事柄日本とヨーロッパとを何回も往復しているので、気がついたらマイレージ(飛行機の搭乗距離に応じて、航空券と引き換えるサービス)というやつがすごくたまっていた。それで航空会社に電話して、適当に空いているアジア行きのフライトを選んだのだが、それがたまたまホーチミンだったのである。

予約が一週間前だったから街のことは何も調べていなかった。街の情報はホテルに着いてコンシェルジュ(ホテル客の相談係)に聞けばいいや、と安易に出発するのが僕の地球の歩き方。アメリカ系の大型ホテルだったら失敗はまずない。

たった四日間の旅なので、コンピューターも置いてきた。マネジャーには飛行機に乗る直前に携帯電話から連絡しておいた。できれば仕事の話から一切離れたい。そうすれば完全な休暇なのだから、趣味の写真も思う存分撮れる。ちょっとした自慢なんだが、僕の写真は旅行ガイドブックにも使われたことがある。

旅に出たときは、その土地の音楽CDを買って帰ることにしている。大概はポップスだ。僕は興味のない音楽のジャンルはないので、聴く音楽はクラシックと限らない。だから日本の僕の部屋には台湾やハンガリー、スペインのバスク地方など、その土地で手に入れた旬のCDが並んでいる。今のお気に入りはスペインのフラメンコ調のポップスだ。遊びにくる友人は、いきなり何やらわからない言語の歌が流れている空間に戸惑うこともある。

今回もベトナムのCDショップにいった。なにやら面白そうなものが並んでいる。頼むと試聴もできるようだが、店員は英語が全くできなかった。たまたま日本語のCDを覗(のぞ)き込んでいるおじさんがいたので声をかけた。案の定、流暢(りゅうちょう)な日本語でいくつか推薦してもらえた。五枚買っても十ドルちょっとでお得な気分。日本で聴くのが楽しみだな。

市場やデパート、露天商など、人々の素顔が素敵(すてき)だった。ベトナム独特の庶民の麺(めん)、フォーも毎日食べた。大満足。

帰国して成田の税関を通り抜け、携帯電話をオンにする。弟子からの生存を確かめるメールもあった。二日後に彼に会う。「これお土産だから。楽しんでね」。ずさっと渡した大きなショッピングバッグ。なかにはベトナムの乾麺がたくさん入っている。

「いやーフォーは美味(うま)かったなー。君にも楽しんでもらおうと思って買ってきたんだよ。作り方はインターネットで調べて、僕にも食べさせてねー」。きょとんとしている弟子を後ろに、笑顔で去った。「チャイコフスキー勉強した? ベトナム最高! いやー美味かった。美味かった」

2004/12/16

Xin chao!ベトナム ベトナムフォー12食セット フォー牛だしスープ(フォー・ボー)6食&鶏だしスープ(フォー・ガー)6食のセット

追記

僕は仕事関係でどうしても欧米に行くことが多いので、旅行となるとアジアを選ぶことが多いです。東洋人として欧米に行くと、僕などはどうしても緊張感をどこかに持ってしまいます。アジアとなると、旅行しても同じアジア人同士でホッとします。漢字文化圏であったり、お箸で食事したり、仏教寺院があったりと、自分のもつ文化と共通点が多いからだと感じています。

台湾、韓国、シンガポール、マレーシア、ベトナム、タイ、インドネシア、スリランカ、など行きましたが、どの国も好きです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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