エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|38「コンサートホール」

本投稿にはプロモーションが含まれます。

コンサートホールでは、どこに座るといい音が聴けるのだろうか。一般的な傾向としては大体真ん中か、ちょっと後ろあたりがよいのだが、ホールによっては一番後ろの方がよい場合もある。クラシック音楽の場合、ほとんど音響設備を使わずに生音で演奏するため、ホールによって状況が変わってくるのだ。

ルーマニア・サトゥ=マーレ市のディヌ・リパッティ交響楽団

いい音で聴きたいと思うなら、自分の行くホールの特性を知っているといい。ホール関係者に「ここのホールはどのあたりが音響がいいんでしょうか」と、それとなく聞くといい。関係者はホールを訪れる数多くの音楽家の意見を聞いているので、即座に答えてくれるだろう。答えを渋ったり、答えられないスタッフは仕事を愛していない人だと思って無視してよろしい。
ホールの指定席についている値段は、大体音響の善しあしに比例している。皆が座りたいところは高いという、芸術の殿堂でも資本主義の原理が働いているのがこの世の中である。
僕のオーケストラのホームグラウンドは、ルーマニアのトゥルグ・ムレシュ市の文化宮殿と言う、立派な石造りの堂々とした建物である。この中の大ホールで練習もコンサートも行われる。スカラ座スタイルのホールで奥行きはないが高さがあり、四階席まである。七百人がマキシマムのホールだが通常三階席までしか使わない。

ルーマニア・トゥルグ ムレシュの文化宮殿(2017)

定期演奏会の客はほとんどが定期会員で、自分の指定席を持っている。つまり年間を通して自分の席が決まっているのだ。一階と二階はその定期会員のためにある。三階は学生など若い人のためのもの。お金が足りなくても、こっそりタダで入れてあげたりする。
そうでなくても音楽学生は無料で聴けることになっている。日ごろ冗談で「僕は三階席にはお辞儀しないからね。だってタダで聴いているんだから」なんて言うと、若い人は苦笑している。僕も自分が指揮しないときはボックス席を持っていて、二階の右のいちばん舞台に近いところで聴いている。
ある日、演奏会の休憩時間に三人の若い男子学生に声をかけられた。「マエストロ! 一度僕らの席に来て一緒に聴いてくれませんか。友達も会いたいって言っているんです」。うれしいではないか。「高所恐怖症だから苦手だけどね」なんて冗談を言いながら、階段の手すりを持つ手に力を入れて三階席に行った。
そこは若いカップルや、大学生、音楽大学の学生であふれていた。舞台の上でしか見ない指揮者がいきなり現れたせいなのか、皆びっくりしている。すっかり注目を引いてしまった。若い人は肩の力が抜けていて、手を振ったり、人によっては開けたばかりのコーラを持ってきて勧める者も。飲食厳禁なのに…。といって、ここで目くじらを立てても座がしらけちゃうもんな。

休憩の後は、シューマンの交響曲だった。ぼんやりとステージを見下ろしていた僕は、思わず息をのんだ。若いドイツ人の指揮者が指揮棒を下ろした瞬間に広がった、なんと美しい響き、数々の楽器が織りなすハーモニーの響宴。適度な残響が作る余韻の美しさ。そこには僕らボックスシート組が味わったことのない極上の響きがあった。はっとして周りを見渡すと、若者が相変わらずガムをかんだりコーラを飲んだりしながらごきげんに聴いていた。

2005/09/08 

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

 

こちらの記事もオススメ!