エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|3「レパートリー」

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ルーマニアの音楽家はレパートリーが広い。音楽家のレパートリーとは、自分の持ち曲でいつでもすぐに演奏できる曲ということだ。先日僕がルーマニアのオーケストラの指揮者になってから指揮した曲をスタッフと数えてみたら、なんと三百五十曲(2003年時点)もあった。

僕のオーケストラは毎週木曜日に定期演奏会があるが、毎週違うプログラムなのだ。これがきつい。指揮者になりたてのころはレパートリーが少なく、勉強がきつくて起きていても寝ていても、勉強している曲が脳内いっぱいに鳴り響き、ストレスでアドレナリンは最高値をキープし続けていた。

お客さんは耳が肥えているので、珍しい曲もプログラムに入れなければならない。毎週違う交響曲を理解し暗譜して、それを三日間でオーケストラに伝え、お客さんにも受けて、興行的にも成功しなければならないのである。

(トゥルグ ムレシュ交響楽団定期演奏会にて/90年代後半)

毎回最後の曲を振り終え、振り向くのが怖かった。「拍手してちょーだい!」と心の中で祈った。静かに終わる曲はできれば避けたい。終わっても客席がシーンとしていることが多く、後ろを向いている私には、お客さんが眠っているのか、感動して拍手しないのかがわからないのである。大音響でドラやシンバル打ち鳴らして、にぎやかに終わりたい。そう、眠っていても飛び起きるだろうという魂胆だ。

ソリストとの練習は、普通演奏会前日と当日の二回。大抵は事前の打ち合わせなどなくステージ上であいさつし、すぐ一緒に練習する。毎週さまざまな国籍の音楽家と共演する。言葉が通じない場合も多々あるし、また、トラブルもある。来るはずの人が病気になって、急きょソリストも曲目も変更。演奏会三日前に未経験の曲に変わるなんてことも。ラフマニノフの最高傑作「パガニーニの主題による狂詩曲」との出会いもそうだった。友達から楽譜を借りたけれど、勉強用の小さなサイズの楽譜で、そのテントウムシのように小さい音符を追いながら指揮した。

ドイツ人が作った美しい隣町、シビウに客演指揮者として招かれていったときのこと。ハンガリーのバイオリンとチェロのソリストと、ブラームス二重協奏曲を演奏するということだった。難曲なので不安だったのだが、その後連絡があり、チェリストが病気で、バイオリニストだけでメンデルスゾーンの協奏曲をお願いしたいということであった。練習は一回だけだが、なんだ、よく知っている曲か、と安心した。

(シビウにて 90年代)

ところが、演奏会当日オーケストラのマネジャーに「尾崎さん、ごめん、モーツァルトバイオリン協奏曲の五番になったよ。よく知っているから大丈夫でしょう? あなたの楽譜は今日ソリストがもってくるから心配要らないよ」とニコニコしながら言われた。あの~、いくらなんでもこれ変更多すぎでしょ? ソリストも違う人に変わっていた。

「あなたが尾崎さん? はい、これ楽譜ね」と、もらった楽譜はピアノとバイオリンの練習用の譜面。オーケストラの楽器なんかどこにも書いていない。結局僕は必死に過去の記憶を手繰り、「ここはオーボエ、ここはホルン」と左手で楽器の入りを合図した。ひやひやして寿命が縮むかと思ったが、記憶は正しかった。

ルーマニアではこうやって寿命と交換にレパートリーが増えていくのである。

2003/07/25

ルーマニアの黒ワイン

僕がルーマニア現地で飲んでるルーマニアワインです。フェテアスカ・ネアグラはとても珍しくルーマニアの土着品種。この品種は「黒い貴婦人」という名前で、ルーマニア独特の黒ワインというカテゴリーのものです(ブラック・ワイン)。EUのワイン協会(European Union wine regulations)により、「黒ワインはルーマニアで生産される赤褐色のワイン(ルーマニアワイン)」として定義されているんですよ。深い強い味でとても美味しく、ルーマニアではほとんど毎日、このフェテアスカ・ネアグラを飲んでいます。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/

\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/

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