輝く太陽、乾いた大地。スペインの高速道路をバスはひた走る。窓の外の景色は広い。
僕は、自分のオーケストラと二週間の演奏旅行に出た。二週間で九回の演奏会を開く予定で、すでに四回のコンサートを終えている。スペイン南部からスタートし、今までは大きな都市ばかりで演奏してきた。だが今回だけは聞きなれない場所でのコンサートだ。その街の名はマルクイーナ。
昨夜はスペイン北部の古い都市、ブルゴスで演奏していた。
コンサートホールは、世界遺産でもある巨大なカテドラル教会が建つ旧市街にあり、内装がとても美しかった。
今回向かう演奏会場は、ホテルで手に入れたドライブ用の大雑把(おおざっぱ)な地図にも載っていない。一時間で行けると思ったら、二時間もかかってしまった。結局僕らが到着したのは六時の開演時間のなんと五分前。カトリック教会が演奏会場だった。
こういうことはスペインでは珍しいことではないのだろう。観客は外で夕方のクールダウンした空気を楽しむように、話をしながらのんびり待っていた。僕らはそのリラックスした観客を横目に、超特急でステージを作らなければならない。我らが愛すべきステージマネジャー二人は必死に働いてくれた。お陰(かげ)でやっと準備ができたのが、六時二十分。ゆっくりと観客が入ってきた。
第一曲目はグリンカの序曲。これでもなんとかなるのが、ラテン系の国である。ストレスもあるが柔軟性もある。第二曲目、ルーマニアを代表する女流バイオリニスト、クリスティーナ・アンゲレスクの奏でるチャイコフスキーのバイオリン協奏曲は喝采(かっさい)を浴びた。
最後に同作曲家の、僕の好きな交響曲第四番でコンサートを華々しく終えた。小さい街であっても、ベストをつくして出来得(できう)る最高のものを提供したい。連日の移動とコンサートで疲れていたが、演奏には熱が入っていた。
さて、この地に到着後、なぜ演奏会場に遅れてしまったか分かった。この地方の街にはなんでも二つの表示があり、それが僕らを混乱させていたのだ。演奏会のプログラムも二つの言語で書いてあった。
僕らはバスク地方に来たのだ。道の表示はバスク語とスペイン語の二種類で書かれている。「ほー、なるほど」なんて、みんなをリードするコンサートマスターはのんきに感心していた。しかし、多くの団員にはちょっとした緊張が走っただろう。この前スペインの列車テロがあった際など、すぐバスク地方の独立運動の関係かと報道されたように、民族独立の動きが激しい地域なのだ。
岩肌の見える男性的な山々に囲まれた小さな街。その中心に緑に囲まれた教会はある。人々は温かく、演奏会後、楽器をバスに詰め込んでいるスタッフや、それを待っている団員たちにも寄ってきて話しかけたりしている。夜の八時過(す)ぎであったが、まだ日は高かった。教会を出た僕らに、多くの人が手を振っていた。
こうして人なつっこい笑顔に見送られ、僕らは帰路についた。僕らのオーケストラの所在地ルーマニア北部のトランシルバニアにも、ルーマニア語とハンガリー語の二つの表示がある。ヨーロッパではそう驚くことではないが、殆(ほとん)どがハンガリー系の少数民族である団員たちはどういう気持ちで見ていたのだろうか。
行く手は道が二つに分かれていた。僕らのホテルのある街へ続く道と、もう一つの道。車中の話し声が急に少なくなる。そこにある小さな標識には歴史的な大虐殺、そしてピカソの絵で世界中に知られた土地の名、「ゲルニカ」と記してあった。
2004/07/01
旅の本・読んでいるだけで旅行気分!
エッセイについて
これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。
\エッセイをまとめた本・好評です!/
\珍しい曲をたくさん収録しています/
\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/
\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/