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食べ物のことわざ|びわが黄色く色づくころになると、病人が多くなる

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びわが黄色く色づくころになると、病人が多くなる(ことわざ)

このことわざは、夏は病人が多くて医者が繁盛するということです。何か病気のある人は、気候の変化が、からだを刺激して、病状がわるくなったり、潜んでいた病気が露わになったり、また、肉体だけでなく、精神的な不調和(違和)が現れやすくなります。

むかしから「木の芽どき」とか「若葉の頃」とか言って、病気を警戒したことも、意味のないことではなかったのです。まんざら、このことわざ、迷信でもないようですね。

現代でも、温度差が日ごとに大きく、湿度が増え、冷たい飲料を急に飲みはじめ、クーラーも効きはじめるこの季節には体調を崩す方が多いですよね。

俚言集覧」(りげんしゅうらん)という江戸時代の国語辞書には、「枇杷黄にして医者忙しく、橘黄にして医者蔵(かく)る」(「続世説」)ということわざが記されていて、どうやらこれがこのことわざの出所のようです。

びわが黄色くなる初夏のころから梅雨にかけては病人も増え医者が多忙になるが、橘を総称とする蜜柑や柚子が黄色く色づきはじめる秋には気候もよくなって医者の姿を見なくなるという意味ですね。

「俚言集覧」は、主として俗語・俗諺などを集め、五十音の横の段の順序に配列して語釈を加えたものです。

\淡路島のびわは僕もよく書います・ジャムもいいですね/

不吉なイメージのびわ

どうもびわは不吉なイメージが強く、「びわは屋敷の中に植えるものではない」とか「びわのを植えると、植えた人が死ぬ」「びわの木を植えると、病人ができる」と言ったぐあいです。ネガティブなことわざですよね。

一般に庭に生り木のあるのは、忌みごとにされていますが、とりわけびわの木によせる俗信は不吉なものが多いのですよ。

  • 徳島県:屋敷内にびわの木を植えておくと、その根が床下にまで伸びて人の血を吸う
  • 高知県:屋敷内でびわの木が大きくなると、棺のかき棒になりたいと言って泣くとか、その家の当主のにおい声(病床で苦しむ声)を聞く
  • 愛知県:誰かが死ぬとびわがよく実るようになる

愛知県のものなど、本来は結実までに長年月を要する(つまり、びわが大きくなる頃には人は歳をとっている)ことを言ったものですが、逆の解釈をされて、びわが人の死を好むもののように言われたのだ、との解釈もあります。

他にも

  • びわを栽培すると早死にする
  • びわを植えると貧乏する
  • びわを屋敷に植えると病人がたえぬ
  • 柿やびわの夢を見たら、誰かに話すといい
  • びわの木は人のうめき声を聞きながら育つ

なんでびわは不吉なことわざに使われるの?

びわの木は育ちが早くまた大きくなる木です。分厚く大きな葉をつけるために常に家が暗くなり、そのために健康を害するのだという説があります。


びわに限らず、果樹は多くの水分を必要とするので根で多くの水を吸い上げます。ですから、住居のすぐそばに果樹が植えられていると住まいに湿気が多くなりあまり健康にはよくない、というところから来たという説もあるのですよ。

びわのいい話も

びわの花が多くつく年は、その年の麦作はかならず豊熟だと言われました。

びわの木は粘り強く弾力性があるので、昔から「柿の木から落ちると死ぬが、ビワの木から落ちても死なない」といわれています。びわの木で作った木刀は最上のものとされ、農具の柄などにも利用されています。

伝承によると、宮本武蔵はびわ木から作った木刀を使っていたとか。

びわを使った漢方薬

びわの葉

びわの葉には各種有機酸のほか、去痰作用のあるサポニン、ウイルスやガンの予防効果が期待されるクロロゲン酸、皮膚や粘膜の炎症異常を抑制するβカロテンやβクリプトキサンチン、体内の不要毒素や悪性細胞を破壊するアミグダリンなど、数多くの薬用成分がふんだんに含まれていて、インフルエンザ、皮膚病、アトピー、傷の治療から高血圧やガンの予防など、たくさんの病気に効果があるといわれています。

天平時代、聖武天皇の后である光明皇后が天平2年(730年)、「施薬院」を創設し、病に苦しむ人々の治療のためにびわ葉療法を採用していたのだそうです。この時代のびわ葉療法は、びわの葉を患部に当てるという方法で、これが全国の寺院にびわ療法として広まり、後に陰陽師が治療の際にびわの葉を患部に充てて印を結ぶ呪法や、静岡県の禅寺・金地院ではびわの葉を使った灸療法などが考え出されていきました。

枇杷葉湯(びわようとう)売り

「枇杷葉湯」売りの掛け声

本家 からす丸  ひばやうとう
第一暑気はらひとくわくらん
毎年五月せつくより御ひろう仕ります
煎薬は代物におよばず
たひらいちめんにおふるまひ申します
半つゝみは廿四文 ひとつゝみは四十八銅
御用ならおもとめなさひ
からす丸 ひばやう湯でござい

これで気がはつきりとなつた
いつふくくんねえかふていこ
かゝあにのませう

さあちやわんをかへします
ありかた/\/\

江戸時代後半から明治時代の初めにかけて「枇杷葉湯」売りが、この季節、京、大坂、江戸にたくさん居ました。びわの葉を刻んで乾かしたものに、肉桂や呉茱萸などの、身体を温めるけれども同時に清涼感のある生薬をミックスした煎じ液を熱いままで、売り歩いたということです。その煎じ汁はのどの渇きを潤すだけではなく、暑気払い、食中毒の防止、下痢止めの薬としても知られていたのですよ。

ちょっと待った!びわの種子の粉末は食べないようにしましょう(農林水産省)

ビワなどの種子(たね)や未熟な果実には、天然の有害物質が含まれています。平成29年、ビワの種子を粉末にした食品から、天然の有害物質(シアン化合物)が高い濃度で検出され、製品が回収される事案が複数ありました。ビワの種子が健康に良いという噂(うわさ)を信用して、シアン化合物を高濃度に含む食品を多量に摂取すると、健康を害する場合があります。個別の食品のシアン化合物濃度については、製造元にお問い合わせください。
熟した果肉は、安全に食べることができます。

農林水産省公式HPより

こういう情報もあるので、よく調べたほうがいいですね。びわの種については、危険だということです。

びわの名称は

びわの漢名

  • 枇杷
  • 蘆橘(ろきつ)
  • 金珠
  • 金林子

びわの古名

美波(みは)

ペンペン?ピンパン?びわの語源

楽器の、びわの語源は諸説あります。その中で、僕が一番有力だと思うものは、音から来たというものです。それが果物のびわの意味になったのだと思います。

もともと西アジアの楽器で、西方騎馬民族が、馬上でも弾いた楽器がありました。

正倉院国宝螺鈿紫檀(らでんしたん)五絃琵琶

その弾く音から「ひわ」になった

ビンバン → ピパ → ビハ → ヒワ

ピンバン → ピパ → ビハ → ヒワ

前に押したらビーン?手前に引くとバーン?

後漢末の劉熙が著した辞典釈名」に、「枇杷はもと胡(こ)(中央アジア)の地に出(い)づ。前に押してひくのを枇(び)といい、手前にひくのを杷(は)という」とあります。

この楽器は木で作られているので、木へんをあてて「枇杷」と書きました。

これは琴の一種だ

この楽器は琴の一種だというので木へんを除き、「琴」の字の上をそろえて「琵琶」と書くようになりました。

楽器の「琵琶」の形をした実(葉)のなる木があるということで、植物のびわに「枇杷」と名付けたのです。

びわ渡来の歴史

びわの原産は中国大陸で、6世紀にはすでに栽培が行われていたようです。日本においても野生種は自生していたようですが、762年に記された正倉院の書物にびわについての記述があるものが最も古い文献とされているのですよ。
日本で栽培が始まったのは江戸時代の後期に入ってからですが、当時の果実は球形の小玉で、現在のような卵形で大玉のびわは江戸時代の末期に中国から導入されました。

小さい頃のびわの経験

びわは傷みやすいから、高級果実として扱われているようですね。

しかし、僕の育った鹿児島では、びわはよく食べられていました。鹿児島では、よくびわの木を見ました。それだけ普及していた果実なので、それほど珍しくなかったのですね。そして、九州では、びわと言ったら長崎というイメージがありました。長崎もよくびわのとれる産地だったのですね。

食品データ館のHPより

現在の主な生産地は、長崎県が第1位で、千葉県が第2位、鹿児島県、香川県、愛媛県などが続いています。

以上、びわのことわざの話題でした。

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