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食べ物のことわざ|「食い物もあるのに鉄砲汁」あたると死ぬ!

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食い物もあるのに鉄砲汁

鉄砲汁?

鉄砲汁とはフグを実としたした汁のことです。「あたると死ぬ」ので、鉄砲汁と称したのですね。ちなみに食べ物に「あたる」つまり中毒のことは「中る」と書きます。中毒、毒に中る、ですね。

フグとは

フグの書き方として、以下のものがあります。たくさんあるんですね。

河豚、鰒、鮐、魨、鯸、鯺、吹吐魚

河豚って書くのはとても面白いですね。河豚は中国語で「hétún(ホートゥン)」と読みます。中国では淡水に棲む種類のメフグが一般的で、全身を膨らませて敵を威嚇する姿から「河豚」と名づけられたそうです。他の書き方でも、「河魨(hétún、ホートゥン)」や「豚魚(túnyú、トゥンユー)」というものがあります。

中国では淡水に棲む種類のメフグが一般的です。それゆえに、河という字が使われているのですね。メフグは、東シナ海、南シナ海にすんでいます。中国や朝鮮半島の河川でもみられるようです。主に海水で生活しており、成長し繁殖時期を迎えると河川へ上っていくようです。それゆえに、海水と淡水両方での飼育が可能です。食用としては日本ではあまり馴染みがありませんが、韓国では美味なフグとして食べられているみたいですね。

豚がよく使われますね。これはフグが威嚇するときに身を膨らませるから、または、フグの鳴き声が豚と似ているから、という理由らしいです。

フグは危険!!

フグ目フグ科のフグは猛毒のフグ毒テトロドトキシンをもっています。毒力の強さはフグの種類および部位によって著しく異なるのですが、一般に肝臓、卵巣、皮の毒力が強いとされています。毎年30件程度のフグ中毒が発生し、約50名が中毒するようです。そのうち数名程度が死亡しています。死亡率が高く、日本で起こる食中毒死亡者の過半を占めているのですよ。

詳しくは厚生労働省のHPをお読みください。

フグは釣り場でもよく見る

多くの釣り人にとって、フグは外道中の外道です。夏場など、よく釣れるんです。釣れるというより、エサ取り的な存在です。欲しくもないのに、釣れちゃうんです。つまり、エサ取りとは、本命の魚よりも先に付け餌を食べてしまう、釣りの邪魔をする魚のことです。邪魔者扱いですね。

釣り場でよく釣れるのは、クサフグ

小さいですが、立派に毒を持っているので食べるのは危険。もちろん、リリースします。釣り上げると、体を膨らませて、グーグーと鳴きます。なるほど、これで河「豚」なんですね。 クサフグは群れで活動する習性があるため、釣り場に群れが集まってきてしまうとクサフグばかり釣れてしまいます。これがかなり厄介なんです。

フグの歯はかなり強いんです。噛まれると想像以上に大怪我をする可能性があります。釣り上げてしまっても、注意が必要。

仕掛けはよく切られます。「あ~またか」って感じです。細い針だと噛み切ってしまうこともあるのですよ。

サバフグは食べられる?

鹿児島で釣りをしていた時のことです。外道としてフグが釣れました。その時横で釣っていた友人が「あ~それはサバフグだから持って帰って食べたらいいね」というのです。本当かな?と疑問でした。ヘタしたら死んじゃいますよね。

とりあえず、釣れたサバフグをクーラーボックスに入れ、知り合いの漁師さんにも見てもらいました。「サバフグだね!美味しいよ」というのです。

その後、実家に持って帰って調理しました。味は、、、「淡白で美味しい!」。家族にも大好評で、しかも誰も中毒になりませんでした。


サバフグは、正式にはシロサバフグという名前で、全身が無毒のため市場でも多く流通しています。旬は秋から春で、弾力のある身は白身でとても美味しいのだそうです。

これは知りませんでした。

フグ食は禁止にする!その歴史

文禄・慶長の役により九州に集結した武士の間で、ふぐ中毒で死亡するものが多く出てしまいました。このため豊臣秀吉が「河豚食禁止の令」を発布したのです。その後、江戸時代は特に武士に対してはふぐ食を禁じる藩が多くありました。ふぐ食が発覚した場合には家禄没収などの厳しい処分が下されました。

なかでも厳しかったのは、長州藩(現在の山口県)と尾張藩(現在の愛知県)。

  • 長州藩:フグを食べたことが発覚すると、家禄没収や家名断絶などの厳しい処分が下されました。
  • 尾張藩:「盗賊之外御仕置御定」に、フグを売ったり買ったりした者には罰則が与えられるという記述があります。これは食べる行為以前に売ったり買ったりと商取引から禁止するものですね。

あれ?禁止なのに食べてる?

この新料理物語のアイデアの元になった江戸時代の料理書「料理物語」。その中になんと「フグ料理」が出てくるではないですか!禁止だったはずなのに、庶民の中では食べられていたのですね。

「ふぐとう汁は皮を剥ぎ、腸(わた)を捨て、腹にある隠し肝(肝臓)をよく取りて、血気のなきまでよく洗いきりて、先づ濁酒(どぶ)につけて置く、清酒も入れ候。さて下地は中味噌より少し薄くして煮え立ち候て魚を入、一泡にて濁酒をさし、塩加減吸い合わせいだし候なり、吸口は大蒜(にんにく)茄子(なすび)」云々

俳句に込められたフグへの想い

松尾芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(正保元年)(1644年) – 元禄7年10月12日(1694年11月28日))はフグへの恐怖心を持っていたようです。

あら何ともや きのふは過ぎて ふくと汁

河豚汁や 鯛もあるのに 無分別

最初の句には、フグのどの部分に毒があるか理解できるが、フグの味噌汁なんてごめんだ、という気持ちが込められています。

そして次の句は、鯛など美味しいものがあるのに、なんでわざわざフグなんて食べるのか、ということですね。

逆に小林一茶(こばやし いっさ、宝暦13年5月5日(1763年6月15日) – 文政10年11月19日(1828年1月5日))はフグ大好きだったようですよ。

五十にて 鰒の味を 知る夜かな

ふぐ食わぬ 奴にはみせな 富士の山

これらは、50歳になってフグの味を知ってしまった驚き、そして、そのフグの美味しさを知らない奴なんてありえない!と詠んでいます。

歌川国芳の浮世絵

歌川国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1798年1月1日 ) – 文久元年3月5日(1861年4月14日))の絵は滑稽ですね。フグを買おうかどうか迷っているイノシシ、擬人化しています。江戸時代でも食べられていたということですね。

明治時代

下関あたりではよくフグは食べられていたようです。しかし、明治時代になると全国的に生フグの販売が違警罪として禁止されたのです。それは明治15年(1882年)のことです。

違警罪とは軽犯罪に当たるもので、法定の刑罰の種類により,犯罪を重罪・軽罪・違警罪の三つに区分し,そのうち拘留または科料にあたる犯罪を違警罪としたものの一つです。(明治一三年太政官布告三六号)これは裁判によらず、警察署長が即決処分できるものです。「フグを販売したな!」とすぐに勾留したり、罰金を課すことができるのですね。

違警罪では、「第一條 左ノ諸件ヲ犯シタル者ハ二日以上五日以下ノ拘留ニ處シ又ハ五十銭以上一圓五十銭以下ノ科料ニ處ス」の第二項に「生河豚ヲ販賣スル者」と記載があります。

初代内閣総理大臣・伊藤博文が下関を訪問した時に、春帆楼という割烹旅館に宿泊しました。との日は、あいにく海がしけてまったく魚が獲れなかったそうです。女将は罰を覚悟でふくを御膳に出しました。これは違警罪に当たりますね。しかし、伊藤博文はその味に感激。「一身よく百味の相をととのえ」と言ったそうです。

その後、伊藤博文は山口県令(知事)に対してフグ食解禁を働きかけました。明治21年(1888年)から下関では大っぴらにふくが食べられるようになったということです。これにより、春帆楼は、ふく料理公許第一号店となりました。

全国的にはフグ食はまだまだ禁止だが

東京ではフグ食解禁?

1892年(明治25年)、内臓を取り除くことを条件にフグの販売が解禁されました。

それは以下の研究者の研究の成果によるものでした。

1887年高橋順太郎教授と助教授の猪子吉人と共にフグ毒の研究を始め、1889年フグ毒が生魚の体内にあること、水に解けやすいことなどから、それがタンパク質酵素)様のものでないことを証明し、毒力表を作成した。

ウィキぺディアより

前述の下関、東京などの例もありますが、全国的にはフグの販売が禁止でした。しかし、これはほとんど有名無実で、多く食べられていたようです。

以上、「食い物もあるのに鉄砲汁」のことわざに関連した話題でした。

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