エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|46「ミハイ」

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首席トランペット奏者が今度の定期演奏会を休むという。代役の奏者が来て吹くことにはなっているが、トランペットが活躍する曲が多いので、どんな奏者が来るのか心配だ。

午前十時、チューニングの音がホールから聞こえる。このラの音には自然と姿勢が正されるような緊張感を感じる。どの指揮者も同じだろう。まるで、大作曲家が生命をかけて創造した作品に接するための神聖な儀式のように、一種独特の緊張感を醸し出すのである。

いつものように上手のドアから入り、ピアノの上に上着を乗せる。そして指揮台から「ブナジウア」(こんにちは)と、ルーマニア語であいさつし、指揮棒を構えた。最初の練習ではあまり細かく指示しないでざっと通すのが僕の流儀。練習の一曲目はデュカス作曲の「魔法使いの弟子」。静かな導入部が終わり、魔法使いが出てくるところでトランペットに合図する。

「ミハイ!?」。ミハイだ、ミハイがいた! 指揮する右手は動き続けたが、目はミハイにくぎ付けになった。彼は首席トランペットの席におり、素晴らしい音色とタイミングで金管楽器をリードしていった。

彼はもう二年も前に退団したお気に入りの奏者だった。クラシック、ジャズ、ポップスとあらゆるジャンルの音楽を愛し、また演奏もできた。僕もいろいろなジャンルの音楽を聴く。二人で、カウントベーシーだのチェイスだの、音楽の話に華が咲いたこともあったっけな。

「マエストロ、僕はさよならを言わなければならないようだ」。ただでさえやせている彼の顔が一段と悲しそうに見えた。恋人がいること。恋人が不治の病で大変なこと。彼女の出身地が隣町のクルージュで、そこで看病をしたいということなどを簡単に話した。ミハイはそういう心優しい男だった。そして僕が日本に帰国している間に、いつのまにか退団していた。

その後、隣町のオペラ劇場で演奏しているらしいことは風のうわさで聞いていた。最近、彼女は亡くなったらしいということも聞いている。そして亡くなる直前に結婚の届けを出したとも聞く。いかにも彼らしい。

練習が終わった。普段は自分からは声をかけないが、僕はミハイのいるひな壇の方へ歩いていった。「チェマイファーチェッチ!」(元気ですか?)と、偶然お互いのタイミングが一緒になった。団員とは必要以上に個人的に親しくしないことにしているが今回は別だ。ミハイはもう退団しているんだもの。

ミハイとホールのカフェで話した。カフェのおばさんから二杯のコーヒーを受け取り席についた。団員たちは、僕が団員とコーヒーを飲みながら話しているのに驚きを隠せないようで、こちらをじろじろと見ていた。

「僕は人生がいかにはかないかということがわかった。だから精いっぱい、その時その時を生きていくことにした。今は音楽が僕の人生だ。僕のすべてなんだ」。静かな口調だが彼の言葉は真に迫っていた。「マエストロ」と彼は言いかけた。「これからはシンヤと呼んでくれ。もう団員でもないんだし」

「今日のエスプレッソはいつになく苦いな。いつもは入れないけど、砂糖を持ってきてくれないか」。僕はカフェのおばさんに伝えた。ミハイは優しい目でほほえんでいた。

2006/03/02 

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

 

 

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