エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|39「視力」

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朝起きて窓を開けると、晴天視界良好。東京のマンション十一階の部屋から葛西臨海公園の観覧車がよく見えた。実は昨日までは視力は〇・〇二だった。近視矯正の手術LASIKを受けたのだ。そういえばパンフレットには「手術後日、朝起きたら目が見えていて感動!」などという喜びの声のたぐいが書いてあった。うちが江東区だから、えーと距離は…なんて考えている自分にほおが緩んだ。

昨年のスペイン演奏旅行の際、過酷なスケジュールとスペイン全土を回る移動で疲労がたまり、右目が炎症を起こしてしまった。コンタクトを洗う前に手を洗った水道水も悪かったのではないかと自己診断している。六月に発症してから、事ある度に右目が赤くなるという状態が四カ月も続いた。文字通り眼鏡は顔の一部となり、地下鉄の構内などでは鏡を見つけては右目チェック、という習性が身に付いた。当然視力も落ちてしまった。

音楽家で視力が弱いと言うと、指揮者のトスカニーニを思い出す。彼はほとんど視力がなく、総譜を読みながら指揮できないため、どの曲も細部まで覚えて指揮していた。暗譜界の横綱である。そのせいで、彼以降の指揮者たちは暗譜で指揮することが多くなった。

だが、簡単に暗譜というが、完全に覚えるのは至難の業である。よく若い指揮者で「僕はいつも暗譜で振ってます」なんて言う人もいるが、暗譜というのは、完ぺきに一点の誤りもなく原曲を空で楽譜に書けることをいう。音符だけでなく、速度記号も表情記号もだ。歴史上でも完全に覚えられる超人は僕の知る限り三、四人だけである。

さて、問題の右目の完治後しばらくして、神戸の知り合いから近視矯正の手術を受けるというメールがあった。そうか、僕は思わず膝を打った。だがこの手の手術はまだ日本ではポピュラーではないし、僕自身不安もある。彼女の術後の状況を見てから決めても遅くはないだろう。

それにここで派手に公言してしまって、親兄弟、親せき縁者、友人知人の猛反対にでもあったら大変だ。こっそり目が良くなっているという状態に持ち込まなければ。

彼女が手術した後、快適な視力ライフを送っているという喜びのメールが来た。知り合いが受けて成功すると安心感もある。彼女が受けたクリニックは東京や北九州市にもあると聞き、すぐに東京のクリニックに出かけた。

クリニックでは、十分なカウンセリングを受け、僕は固く、強く意思表示をした。その割に手術は八分間であっけなく終わってしまい、その日のうちに帰宅した。結果は次の日に一・二。一週間で一・五。問題の右目なんか一カ月後には二・〇になっていた。

ということで今度は僕が手術後、目が良くなった喜びのメールを知人に送る。「もう眼鏡もコンタクト用品も必要ないから廃棄処分します。欲しい人は取りに来てください。早い者勝ちです」

指揮の弟子から即座に返事が来る。さすがに弟子である。師を思いやるその心はうれしいではないか。「祝、近視矯正!しかし加齢進行の御身を思い、老眼進行のため、眼鏡フレームは取っておいた方が…」。やたら小さい文字で送られてきたそのメールは、確かに見づらかった。

ロッシーニ・クラシック界のグルメ王|並外れた美食への想いクラシック音楽界のグルメ王・ロッシーニは大変ユニークな人物です。オペラ作品も多いことながら、彼の名前がついた料理も多数あります。他方で、激動の時代を生き抜いた彼の人生はあまり知られていません。...

2005/10/06  

追記

これは、2005年、新聞に書いたエッセイです。レーシック手術を受けたわけですが、現在(2022年12月)でも視力は良好です。案の定、老眼はこの手術の影響か平均より早く進んでしまいましたが、楽譜用の老眼鏡を作ったりして対応しています。

レーシックで一番助かったのは、演奏旅行などに持っていくコンタクトレンズ用品一式が不要になったことです。そして、フィットネスクラブでよく泳ぐので、コンタクトなしだと便利です。車の運転も楽です。

\僕もよく飲んでます!/

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

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