エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|40「記念演奏会」

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ある週の金曜日、ルーマニアのオーケストラの監督、ムレシャンがニコニコしながら近づいてきた。ちなみに僕は音楽監督。偉い人がいっぱいいる。先週のコンサートの評判が良かったのかな。ラフマニノフのピアノ協奏曲三番とドボルザークのチェロ協奏曲という難しいプログラムだったからな。

「シンヤ! 次の月曜日午後四時からコンサートだよ。プログラムは有名な小品だけで一時間ね。最後に第九のテーマだけを指揮だよ。第九のあの有名な所。あれはEUのテーマ曲なんだよ。練習はシンヤのことだから、朝十時から一時間もあればいいだろ。その後に来週の定期演奏会の練習入れといたから」。用件を言うなり第九のテーマをフンフン鼻歌で歌いながら去っていった。急なことには慣れてはいるが、またなんだろうと思いながら月曜を迎えた。

コンサートの前に、舞台裏でEUの旗をステージマネジャーにもらった。聞くところによると、ルーマニアがEUに参加することを決定したらしい。その記念のコンサートみたいだ。コンサートホールには朝の練習直後から、風船やらEUやルーマニアの旗やらが飾り付けられ、お祭り気分を盛り上げていた。

第九のテーマを歌いながら、その旗を両手でもって指揮して合唱団員の笑いを取っていると、またもやムレシャンがやってきた。「そんなことしてる場合じゃないんだよ。今日はハッスルして指揮してもらわないとね。県知事も文化省も来てるし、この演奏はラジオで町中のスピーカーから実況放送が流れることになってるんだからね。なにより私の首がかかっている大仕事だからね」。皆の笑っている顔がサーッと固まってしまった。

だって県知事といったら、僕らのスポンサーだし、文化省といったら管轄官庁じゃないか。良い演奏をするしかない。本当に旗なんか振っている場合ではなかった。このニュースは楽員たちにとっては戦場での戦闘開始の伝令であったろう。

とはいえ、プログラムにはカルメンや花のワルツ、皇帝円舞曲など、僕らのお祭りプログラムの十八番が並んでいて、練習も笑いが飛び交うサロン的な雰囲気だった。ステージに上がった僕らは、まるで同じ血液型の同じ家族のような団結力を見せ、良い演奏をした。

演奏の後、県知事が勝手に舞台に上がってきた。県知事ら偉い人たちは、なんと最前列に鎮座していたのだ。皆は一段と背筋を伸ばした。「え~今日はマエストロ・オザキの指揮の下、すばらしい大オーケストラの演奏でした。EUに参加決定の日を祝うにふさわしい時間でした」。県知事は僕に握手を求めてきた。

舞台裏には上機嫌のムレシャンが待っていた。「首がつながったね」。僕は皮肉を込めて冗談を言った。「いい曲だな~」。彼はフンフンと第九のテーマを歌いながら上機嫌で去っていった。

翌朝、オフィスに行くと、みんなが集まって新聞を見ていた。このコンサートの記事と写真が載っていた。オーケストラの写真もあったが、僕のところは切れて指揮棒を持っている手だけが写っていた。「いつもより一生懸命指揮したのにな」とつぶやくと、肩越しにムレシャンが言った。「どうせシンヤはEU市民にならないから、いいんじゃないか~」。フンフンと、彼はまだ第九のテーマを歌っていた。

2005/10/27 

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追記

このエッセイは2005年に書かれたものです。正式にはルーマニアは2007年にEUに加盟しました。その決定が行われた年に記念演奏会をしたのがこの記事の内容です。(NATOにはルーマニアは2004年に加盟しています。)

ルーマニアにとって長い共産主義政権の後、「EUに加盟すること」はその旧体制から脱却して「ヨーロッパへの回帰」を目指すことでした。それゆえに、EU加盟が決定した当時の国民の喜びようはとても大きく、今でも心に残っています。このコンサートが終わった直後、トゥルグ ムレシュの広場では第九のテーマとともに、ホラ ウニリイ(ルーマニアの統一記念日に踊られる)がスピーカーで流され人々が喜び踊っていました。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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