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コーヒーの起源と歴史|世界に普及するコーヒー文化・日本人との関わりも

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コーヒーの歴史における原産地

数十万年前、ウガンダとコンゴ民主共和国の間にある湖「アルバート湖」周辺で、アラビカ種が生まれたと最近の研究でわかったようです。

そこから山脈に沿ってエチオピアまで広がっていったというのが、遺伝子解析の結果わかったそうですよ。数万年前はウガンダ・コンゴ・エチオピアの山脈に自生していたのですね!

古く先住民のガラ族はコーヒー豆の赤い果肉を食べていました。

はじめは甘いチェリーのような果実(豆を包む果肉)を乾燥させて煮出したり、葉を茶のような形にして利用していたと思われます。

今でもイエメンでは乾燥果実を浸煎(しんせん/ひたしてせんじる)して飲用しています。
最初に種子、すなわちコーヒー豆を煎って挽き、浸煎し、香り高い黒い液を飲むようになったのもイエメンでのことです。それは、13世紀後半、または14世紀のことだったと考えられているのですよ。

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コーヒーはアラビアへ歴史の舞台を移す

6〜9世紀にペルシアの軍隊がコーヒーをアラビアに伝えました。

「coffee」という語はアラビア語の 「qahwah」 からきたものですが、そのはっきりした語源はわかっていません。

コーヒーを飲み物として利用した人々はイスラム教の神秘主義集団のスーフィーと呼ばれる僧侶たちで、15世紀後半南アラビアにおいてでした。

彼らはコーヒーの興奮作用、不眠作用、食欲低下作用を求め、コーヒーを飲みながら礼拝を行ったのです。

スーフィズムとは、イスラム教における神秘主義のことです。その内容は簡単にいうと、自我の意識を消滅させて、神との神秘主義合一の境地をめざすものです。


トルコの宮廷内で爆発的な人気を得たコーヒーは、すぐに宮廷料理に欠かせない存在となりました。

そんなコーヒーの人気は宮廷内だけではなく庶民にも広がっていき、1640年代に誕生したのが、世界初のコーヒーハウス「Kiva Han」です。

日本にもすっかり定着してしまったカフェ文化。その発祥の地が、実はトルコなんですね。

中近東を旅行するヨーロッパ人がこの奇妙な飲み物と、人々が素面(しらふ)で語り合うコーヒーハウスに興味を持ったようです。コーヒーは1614年初めてアラビアのモカ港からオランダのアムステルダムに輸入されました。

そして1650年のイギリスを皮切りに、1672年フランス、1678年ドイツと、ヨーロッパの主要都市に次々とコーヒーハウスが開店したのです。

飲み物としてのコーヒーの歴史

煎ったコーヒー豆を浸煎する方法の原型となったのはアラブ式コーヒーです。

トルコ・コーヒーは、2013年にユネスコの無形文化財に指定されたのですよ。

中東、トルコ、ギリシャでは今も残っています。僕の活動するルーマニアでも、1990年代まで、このアラブ式コーヒーを飲ませるところが多かったです。とても苦かったのを覚えています。

ギリシャに旅行に行ったときに、このアラブ式コーヒーに出会い、とても懐かしく思いました。

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アラブ式コーヒーは、細かく粉砕したコーヒー豆に水と砂糖を加え、ふたをしない鍋に入れて泡が立つまで沸騰させる.火を止めて泡を鎮めたらまた沸騰させ泡立てることを1、2回繰り返します。そして、最後に上澄みを小さなカップに静かに注ぐこれが1600年頃にヨーロッパに伝わったコーヒーの形です。

沈殿物を含む濃縮されたコーヒーで、すぐに飲まないと沈殿物からさらに苦味がでますよ。

洗練されたフランス式

アラビアでは煎ったコーヒー豆の粉を香料とともに煮立て、澱を濾さずに飲みましたが、ヨーロッパでは煎った豆の粉を熱湯で抽出した液から澱(おり)を除き、砂糖とミルクを加え、把手のついたカップ、受け皿、スプーンを用いて飲むようになりました。この飲み方はイギリスでの紅茶の飲み方と同じですね。

西欧でコーヒーの入れ方が改良されはじめたのは 1700年頃からです。まずフランスでは、粉がコーヒーに残らないように挽いた豆を布袋に入れるようになりました。

より透明でザラつきのないコーヒーが生まれました。

1750年頃にはやはりフランスで、エスプレッソ以前の時代では最も画期的と言えるドリップ式ポットが考案されたのです。挽いた豆を敷き詰めた上から熱湯を注いで、液体だけが下の容器に落ちるというものです。

この方法は3つの特徴があります。

  • 湯の温度が沸点よりも低い
  • 水が挽いた豆と接している時間が短い(数分間)
  • 抽出したコーヒー夜に沈殿物が含まれないのでしばらく置いても味が濃くならない

浸煎の温度と時間を抑えるということは、コーヒーの抽出が完全ではないということです。

その理由から、苦味と渋味が弱まり, ヨーロッパ人に好まれる酸味や芳香といった風味がより強くなるというわけです。

19世紀のコーヒーの淹れ方

19世紀になるといくつかの新しい方法が生まれます。

パーコレーター式

ポットの中心に管があって,その途中にコーヒー・フィルターがついています。沸騰水が中心管を通って上に吹き上げ、落ちる際にフィルター上の挽き豆を通過するものです。

歴史上の人物では、ベートーヴェンがこの方法でコーヒーを淹れていたと思われます。

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フレンチ・プレス式(プランジャー・ポット)

挽き豆に熱湯を注いで一定時間浸煎した後に、プランジャーで豆を底まで押し下げてコーヒーだけを注ぎます。

最大の発明・エスプレッソ

最大の発明と言えるのは、1855年のパリ万国博覧会で初めて登場したエスプレッソの原型です。

イタリア語で espresso(エスプレッソ)というのは、1人ずつ客の注文に応じてその場ですぐ作られるものをさします。水を挽き豆に通す際に圧力をかけ、コーヒーを瞬時に抽出するのです。この方法では、圧力によってコーヒー豆の脂肪分が大量に抽出され、微小な油滴となって乳化されるので、ビロードのようななめらかさと余韻のある風味が得られるのですね。

エスプレッソは、機械の力によって従来の食材の一番よいところを最大限に引き出し、今までにない新しいものを作り出したのです。

ヨーロッパの人々はエスプレッソを飲むことが多く、僕の活動するルーマニアでも、オシャレなカフェはほとんどエスプレッソベースのコーヒーを出します。

以下、僕がよく行くカフェのインスタグラムです。

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僕はいつもカフェアメリカーノです。アメリカーノは、エスプレッソにお湯を足して作ったコーヒーのこと。僕はさっと飲む、エスプレッソより、長く味わえる少し薄いコーヒーが好きです。

カフェで写真を撮りました。

コーヒーハウスからカフェへ

ヨーロッパに最初にコーヒーが伝来したとされるのはイタリアです。1645年、ベネチアにヨーロッパ初のコーヒーハウスを開店しています。
そして、ロンドンにコーヒーハウスが開店したのは1652年のことです。大人の社交場として人気を集め、その後フランスやドイツなどヨーロッパ全土に広まりました。

ヨーロッパではちょうど身分制社会から近代的市民社会への移行期にあり、人々はコーヒーハウスに集まって素面で歓談し、ビジネスの打合わせをし、政治や経済の情報を交換し、重要な社会的出来事について討論したのです。

コーヒーハウスは新聞社、郵便局、株の取引所、保険会社などの機能も持っていました。

しかし18世紀半ばになるとコーヒーハウスの持つ社会的機能の多くはそれぞれ独立して分離しは家庭での紅茶の普及からコーヒーハウスは衰退していきました。

フランスではカフェは芸術家たちのサロンになるとともに政治談義の場となり、フランス革命の勃発に貢献したといわれ、現在も盛り場で賑わっています。

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コーヒーの生産

コーヒーの木は 1600年頃に南インドに持ち込まれました。1700年頃にインドからジャワへ、そのすぐ後にジャワから(アムステルダムとパリを経て)カリブ海フランス領へと伝わったのです。

現在はブラジル、ベトナム、コロンビアが最大のコーヒー輸出国です。アフリカ諸国は世界生産量の約5分の1を占める状態です。

ヨーロッパへのコーヒーの供給はずっとモカ経由のアラビア産の輸入に頼っていましたが、オランダは初めセイロン(現スリランカ)、次にジャワでコーヒーの栽培を始め、19世紀にはジャワ産コーヒーの生産量がアラビア産を凌駕した。ジャワのコーヒーの木はヨーロッパ各地の植物園の温室でも育てられたが、ここから中南米に伝えられました。

初めオランダ領ギアナに上陸し、各地に広まっています。ジャマイカへは1730年に伝わり、ここで日本人好みのブルーマウンテンが生まれたのですよ。

フランス領ギアナはコーヒーの栽培を独占し、種子や苗木の領外持ち出しを禁止したが、1727年ブラジルの将軍がギアナ総督の夫人を懐柔し、盗みだした苗木をアンデス流域に植えたのです。

ブラジルのコーヒー栽培の中心はその後リオデジャネイロ地区からサンパウロ地区に移り、驚異的に拡大しました。

19世紀後半にはジャワを抜いて世界のコーヒー生産量の半分をブラジルが生産しています。現在もブラジルが全世界生産量の28%を生産して1位であり、ベトナムとコロンビアが続いています。(2007年現在)

日本人が考案したインスタント・コーヒー

インスタントコーヒーは1900年米国シカゴ在住の日本人化学者加藤サトリ博士が発明しました。

そして、1903年、米国初のインスタントコーヒーの特許が、イリノイ州シカゴの加藤サトリに発行されました。

タイトルは「コーヒー濃縮物及びその製造方法」(No.735.777)でした。出願は1901年4月17日で、この年、加藤の経営するカトーコーヒーカンパニーはバッファローのパン・アメリカン・博覧会でこの製品を発表しています。その2年前、アメリカのコーヒー輸入業者と焙煎業者が、日本人の加藤サトリ(水出し茶の発明者)の脱水法をコーヒーに応用し、アメリカの化学者の協力を得て、4人で会社を設立しました。

パン・アメリカ博覧会は、1901年5月1日から11月2日まで、アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファローで開催された世界博覧会なのですよ。

インスタントコーヒーは、現在スプレイドライ法かフリーズドラィ法で生産され、世界各国で日常的に重宝されています。

日本人が初めてコーヒーに接した江戸時代

日本人が初めてコーヒーに接したのは、1804年(文化元年)です。長崎奉行所の支配勘定方の大田南畝がオランダ船の検分の際にコーヒーを供され、「焦げくさくて味わうに堪えず」と記しています。

コーヒーと日本の江戸時代|調べてみたら面白かった!日本人とコーヒーが出会った江戸時代の人物たち。調べてみたらとても面白く感じました。コーヒーがどういうものであるかとオランダの文献を調べたり、コーヒーをどう表記するかなどの苦心。とても興味深いです。...

喫茶店の出現

明治以後日本ではコーヒーはなかなか普及しなかったことがあります。しかし、大正から昭和にかけ大都市に喫茶店が出現すると、だんだんと庶民に受け入れられるようになりました。

しかしコーヒーはずっと家庭外で飲む飲み物であり、第二次世界大戦後も喫茶店を通じてさらに普及したのです。

インスタントコーヒー

昭和30年代後半にインスタントコーヒーが市販されると、コーヒーは家庭内でも飲まれるようになりました。



ネスカフェの広告はとてもおしゃれだった印象があります。

さらに昭和50年代からサイフォンや濾紙によって、市販の煎ったコーヒー豆粉から簡便に好みのレギュラーコーヒーが家庭で調製できるようになると、コーヒーは完全に日本人の日常的な飲み物となったのです。

アイスコーヒー

アイスコーヒーは日本で大正時代に始まり、戦後は喫茶店の夏の定番メニューですね。

欧米にはコーヒーを冷やして飲む風習はありませんでした。

近時グローバルな喫茶チェーン店によって欧米でも徐々に広まっているのですよ。

缶コーヒー

缶コーヒーは1868年のアメリカでの特許を最初とします。実際に製品が市販されたのは1969年、日本においてでした。自動販売機の普及とともに消費を伸ばしました。

冷暖両様のコーヒーが安直に飲める点好評でした。コーヒー飲料はわが国清涼飲料水消費の大きなシェアを占めます。缶コーヒーは、1990年代から諸外国でも販売され、特に東南アジアで伸長が目立っているのですよ。

以上、コーヒーの歴史でした。

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