エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|21「ステージマネージャー」

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華やかな舞台の陰には必ず、それを支える頼もしい裏方がいる。オーケストラの場合、それはステージマネジャーだ。

僕の指揮するルーマニアのオーケストラにはステージマネジャーが二人いる。一人は舞台の椅子(いす)や譜面台をアレンジするボンディ。もう一人は主に舞台裏で演奏者たちに指示するボリシュだ。

リハーサル中のオーケストラ この舞台はボンディが中心に作りました(椅子・譜面台・ひな壇など)

この二人はいつもペアで、漫才コンビみたいに対照的で面白い。ボリシュはチャーミングな性格で、いつも女性に囲まれている。中年も後半という年なのだが、背も高く優雅な物腰で優しい。それに比べて、ボンディはいつも奥さんに追いかけられている。この間も仕事場に奥さんが押しかけてきて大喧嘩(げんか)していた。必ず奥さんが勝って、彼はいつも「殴られた背中が痛い」などとブツブツ言っている。こんな二人だが、彼らなくして、オーケストラは動かない。

特にボリシュは僕にとって重要な存在で、演奏会の進行は全(すべ)て彼に従う。開演五分前になると、僕はホールの五階にある自分の部屋から舞台裏に降りていく。舞台上の準備はできていて、ボリシュが開始のベルを押す。

本番前でも舞台裏はこんなに和やかです/この後ボリシュの合図で舞台に入ります

「一曲目だから、演奏する人は入って」などと、手拍子で皆を舞台に送り出す。僕は彼に部屋の鍵を渡し、チューニングが終わったら舞台に出て行く。彼の「さあトイ、トイ、トイ」という言葉がきっかけ。これはドイツ語で「幸運を!」という意味だ。何人の芸術家が彼のこの言葉を聞いて、舞台に出て行ったことだろう。

ボリシュは僕が舞台から戻ってくると「休憩は十五分、次は八時五分に開始だから」と告げる。全ての演目が終わったあとも、彼の指示は欠かせない。「まだ出ないで。はい、もう一度入って、お辞儀だけして」「次は花束を受け取ってね」「アンコールを演奏してもいいよ」「これで最後のカーテンコールだから」と逐一彼の指示を仰ぐのだ。

裏方といえば他(ほか)にも、秘書が二人いる。聡明(そうめい)なハンガリー系の女性エディトと、やたら真面目(まじめ)で寡黙なドイツ系男性カーチ。

ある日、エディトが困った顔をして言った。「シンヤ、カーチに国際小包を頼むと困るのよ」。なんだろうと思ったら、カーチと一緒にボリシュとボンディが消えて不便なのだという。帰ってきたカーチに聞いてみたら、彼は郵便局が苦手で一人では行けないので、わざわざ個性の強い役者三人で行ったらしい。

ルーマニアの郵便局

この国は共産主義時代の名残で、どの公務員も物凄(ものすご)く威張っている。彼らにノー!と言われればパスポートも発行されないし、郵便局では荷物の中身を咎(とが)められ、送れない。市役所でも書類が受理されないことは日常茶飯事だ。

「で、ちゃんと送れた?」と聞くと、カーチが神妙な顔で答えた。「小包のチョコレートが二枚分重量オーバーで…」「何言ってるの!その場で取り除けばいいじゃない」「いえ、そうしようとしたのですが、問題が生じて…すみません」彼は申し訳なさそうに言った。「実はそれを聞いたボリシュとボンディが、止めるまもなく食べちゃったんです」

あきれている僕をよそにエディトが言った。「だから一人で行きなさいって言ったでしょ」

それでも彼らなくしては、オーケストラは動けない。

2004/08/12

後日談:このエッセイは、 2004年、僕が約10年このオーケストラの指揮者を務めた頃の話です。その後、残念なことにボリシュ、ボンディは亡くなりました。現在ステージマネージャーを務めるのは、このエッセイの時に秘書をしていたカーチともう一人の新しいスタッフです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\エッセイに書いたオーケストラの演奏です/

 

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