エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|12「ピンクパンサー」

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今年もルーマニアで映画音楽のコンサートを指揮する。ちょっとした自慢なのだが、この国での映画音楽のコンサートを初めて企画したのは、何を隠そう僕なのだ。

練習風景

革命後、ぐんと減ったお客に何か新しい試みを、と思いついた。最初は事務局もかなり戸惑ったみたいだ。「え~、われわれはいみじくも国立オーケストラであって…つまりその、しかるべき楽曲を聴衆に…」。しゃべりだしたスタッフを無視して、「来シーズンのコンサートの一つはベートーベンの代わりに、ピンクパンサーとかだから」と言い放った。無理もなかった。共産主義時代にはとても考えられないことだったのだから。

かくして映画音楽コンサートの準備が始まった。オーケストラの練習ではいつもと違い、ドラムセットがステージの真ん中に置いてある。雰囲気も全く違う。団員は興味津々で練習を始めた。さすがに管楽器の団員は普段から興味あるメンバーが多く、飲み込みは早い。こんなに笑いや笑顔の多い練習は初めてだった。映画音楽といえども素晴らしい作曲家は多い。ヘンリー・マンシーニやミクロス・ローザ、そしてニーノ・ロータ!

演奏会当日、僕たちの目に映った満席の会場は、不安でいっぱいだったスタッフたちには大変な驚きだったようだ。ホールは普段オーケストラなんか聴いたことのない若者や家族づれであふれていた。外には入れなかった人が大勢並んで、なんとか入れてくれ、と怒鳴っていた。急きょスタッフが次の日にコンサートをもう一度開くので、今日はなんとか勘弁してほしいと説得するありさまだったのだ。

このコンサートはニューイヤーコンサートとともに、毎年の恒例になった。今年は新しい趣向で、国立劇場からパントマイムの役者を連れてきた。そして、照明も色とりどりに凝ったものにした。オリジナリティーのあるコンサートを作るのは楽しい。聴衆はパントマイムにおなかを抱えて笑い、照明の変化とともに音楽を楽しんだ。興行的には大成功。すべての演奏が終わって後ろを振り向くと、満席の会場の全員が立って拍手をしていた。

ところで僕はいつしかピンクパンサーの指揮者と呼ばれるようになってしまった。この間も薬局にビタミン剤買いに行くと、店員に「あっ、ピンクパンサー!」と呼ばれる始末。これには訳がある。このコンサートで、ある楽団員がサングラスをかけてピンクパンサーを演奏しだしたのだ。僕の方は普段通り指揮をしている。指揮者だから後ろ向きに立っているのだが、曲が終わり聴衆に顔を向けるといつの間にやらサングラスをかけている。これがうけた。


いきつけのレストランの中庭

こんなことして、ベートーベンの「運命」のコンサートで「よっ! ピンクパンサー! 待ってました!」なんて叫ばれちゃったらどうしよう、なんて気に病んでいたが、幸い来ている聴衆がまったく違うので救われているのである。

ちなみに「ピンクパンサー!」は、薬局、よく行くカフェ、コンサートホールの近くの靴屋、コンビニ、と地域限定ということも判明した。かくしてある時はベートーベン、あるときはピンクパンサー、と二つの顔を持つ指揮者となったわけである。

2004/02/06

ルーマニアのワイン

僕がルーマニアで飲んでるフェテアスカ・ネアグラのワイン。フェテアスカ・ネアグラはルーマニア独特のワインの品種の名前です。この品種で作るワインは濃厚な味わいですよ。ブラム・ストーカーの小説に出てくるドラキュラをモチーフとしたラベルが個性的ですね。ちなみに、小説の中でドラキュラ伯爵は現ルーマニアのトランシルバニア地方に住んでいることになっています。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/

\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/

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