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まずは二食
現在文明国の大多数の人々は毎日朝、昼、夕と三回の食事を摂っていますね。
しかし、一日三食の風習は多くの国でつい数世紀前に始まったものなのですよ。そして、それまでは一日二食でした。
有史以前から農耕社会や牧畜社会では、作業に出かける前と帰った時、1日に2度食事をするのが合理的であったからです。
つまり、食事をとる→農耕に出る→食事をとる。
または、食事をとる→牧畜に出る→食事をとる。こういう一日の流れですね。
ヨーロッパ圏
ヨーロッパ圏では古代ギリシャが一日三食でした。これは、意外でした。(古代エジプトでは紀元前13世紀、古代新王国の時代から一日三食でした。)
紀元前9世紀頃の古代ギリシア人は、普通1日3回の質素な食事をしていたようです。朝食は、朝日が昇るとすぐに生のワインに浸したパンを食べるというものでした。
当時のワインは今とは違い、生での飲用には適さないほどのどろどろした飲み物だったそうです。そのため水や湯で割って飲むのが普通で、朝食での使用法は例外的です。
そして、正午前に摂る昼食は軽い食事です。日没頃の夕食が一日で最も重要とされる食事とされていました。
古代ローマ人も一日三食が普通で、天候の許す限り戸外での食事を好んだようです。朝食は明け方にとって、ワインに浸したパン、タマネギにチーズがつくことがありました。昼食は正午前でパン、チーズ、小魚、イチジクなど。夕食は夕方比較的早くとったようです。
以来ヨーロッパでは中世を通して、貴族階級を除いて正午頃と夕方の二回の食事をするようになります。二食のうち昼の食事が正餐で質量ともに十分に食ベ、夕方の食事は軽いものだったのですよ。
飢餓を破る?
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夕方から翌日の昼までの空腹の時間は英語で「ファスト」(fast :飢餓)と呼ばれました。昼の正餐はそれを破る(break)もので「ブレックファスト」(breakfast)と呼ばれます。今はこの語は朝食の呼称になっていますね。フランス語の朝食「デ ジュネ」(déjeuner)も同様の意味を持つ語です。
動詞 déjeuner には「朝食を取る」と「昼食を取る」の両方の意味があるが,名詞は「昼食」の意味しかない。
これは、昼の正餐の名残でしょうか。
貴族たちは中世から朝食を取っていたようです。
しかし、パンをワインに浸すだけの簡単なものであったらしいです。朝食を取ることは特権階級の特権の一つでした。
七つの大罪の一つ?
『七つの大罪と四終』(ヒエロニムス・ボス画、1485年頃)
一番上の絵は上下逆さまになっていますが、これが大罪の一つ「大食」です。
教会は健康を維持するためには二食で十分で、大食を戒めたのです。
「大食」はキリスト教の七つの大罪に含まれる大罪でした。中欧諸国やイギリスでは近世まで、食事は必要止むをえぬ行為なのですが、それ自体は罪に近い行為と考えられたのですよ。(一方ラテン系の国々では食べることは楽しみの一つでした。)
現在の食べ放題、これは、、、その当時からすると「大罪」ですね。
三食の始まり
15世紀から16世紀にかけてヨーロッパでは一日三食の風習が庶民にも浸透し始めます。地域や社会層によりますが18世紀には各地に普及したのですよ。
お昼がご馳走
一日三食はそれまでの昼食と夕食に朝食が加わった形であって、依然として昼食が一日で最も重要な食事(ディナー [dinner])でした。
中学で習った夕食=dinner は間違い?
英語はとてもたくさんの国で話されていて、各地で表現が違うことがあります。夕食という意味で、これだけの英語が出てきます。
- dinner
- evening meal
- evening repast
- lunch
- supper
- tea
lunch?
例えば、工場労働者、24時間営業の店などで、夕方~深夜早朝まで働く人などは一日三食の二食目を夕暮れ~晩に食べることになりますよね。これは晩に食べるから「夕食」ですが、「自分にとっての一日の中頃にとる食事 (midday meal)」と捉えて、「lunch」と呼ぶ人はたくさんいるのです。つまり、lunchは2番目の食事のことです。
tea?
これは、オーストラリアやイギリスのごく一部の人たちが使っています。あまり知識として必要ないかも。
dinnerの意味は必ずしも夕食ではない
- アメリカ:一昔前は一日のメインの食事を supper と呼ぶ人も多かったそうです。しかし、今は dinner と呼ぶのが普通みたいですね。そして夕食が一日のメインの食事で、高齢者や時代の流れに左右されにくい小さな町など一部の例外を除いては朝昼晩の食事をそれぞれ breakfast、lunch、dinner と呼ぶのだそうです。アメリカに住んでいた僕の感覚だと、supper なんですけど、一昔前の人なんですかね(笑)。
- イギリス: 一日のメインの食事を dinner と呼ぶのが普通だそうです。時間に関係ないみたいですね。そして普通は夕食が一日のメインの食事で、就寝前の軽い夜食を supper と呼ぶそうです。昼食が一日のメインの食事の場合はそれを dinner と呼びます。夕食を supper と呼ぶ人もいます。昼食を supper と呼ぶことはないみたいですね。
各国の違い
産業革命以後社会が変化していく中で、労働者は長い昼休みに自宅に帰り、家族とともにゆっくりと食事を摂ることが多くなりました。そして、午後また仕事に戻ったのですね。
この風潮はヨーロッパ各国に共通で、朝食はパンとコーヒー程度と軽く、夕食もハム、ソーセージ、チーズ、ピクルスなど常備の冷たい食物が主でした。
昼食は質量ともに充実しており、ドイツでは長い間温かいは料理は昼だけにあり、フランスでスープが出るのは主に昼食においてだったのですよ。
そういえば、僕の活動するルーマニアでも昼がメインです。大体お昼ご飯は午後2時くらいですよ。
トランシルバニア地方のディナー
現在では社会活動のためどの国でも昼食の比重は低下しています。しかし、休日には昼食に家族が集まって特別の食事をする風習は残っています。
イギリスでは学校給食を「スクールディナー」(school dinner)と呼びます。ちょっと感覚が違いますね。
アジアでは
中国では紀元前、春秋戦国時代から一日三食が続いてきました。
朝鮮半島では一日で最も重要な食事は朝食でご馳走が出るそうです。客の接待も朝が多いのだそうですよ。
(from the spruce eats)
韓国の伝統的な朝食は、ご飯、スープ、肉、そしておかずが充実しているので、この朝食にはカルビ、海鮮サラダ、もやしご飯、魚の煮付け、きゅうりの冷製スープ(オイネングッ)、味付け昆布、大根のキムチ(ムセンチェ)などが入っているようです。
韓国在住の知り合いから、今はそういうことあまりないと聞きました。誕生日の朝はご馳走を食べるそうです。地方により違うのかもしれませんね。
日本では(朝御食と夕御食)
二食の読み方ですが、朝御食(あさみけ)と、夕御食(ゆうみけ)と呼びます。
日本の縄文時代や弥生時代に人々が時間を決めて食事をしていたかどうかは分かりません。奈良時代から平安時代、鎌倉時代にかけては一日二食で、一日に三度の食事を摂ることは非行と見なされたのです。この場合の非行とは、「あるまじき行為」。「よくない行い」ですね。
「一遍上人絵巻」(鎌倉時代)
二食は朝御食(あさみけ)、夕御食(ゆうみけ)の語があるように朝夕の二回でした。
しかし、大工などの職人や兵士、農民には二食のほかに間食が認められたのです。そして、宿直の者は夜間別に屯食(握り飯)が与えられました。
鎌倉時代に朝廷や公家社会で一日三食の風習が始まります。
禅宗の寺でも点心を間食し、僧侶の間に一日三食が定着して行きます。しかし下級武士や農民はその後も長く一日二食を続けたのですよ。
江戸時代初期、武士の給料の基準である一人扶持(いちにんぶち)とは、一食に二合半の米を一日二回、合計一日に五合の米を食べるものとしています。一日二食が前提であったことがわかりますね。
朝食をプラスするか、昼食をプラスするか
日本で一日三食の風習が上流階級から庶民の間に広がったのは一七世紀半ばです。明暦の頃からなのです。この頃江戸では明暦の大火からの復興に向けて、大勢の大工や職人が激しい労働をしていました。一日二度の食事では不足だったのですね。
日本とヨーロッパの一日三食への流れの違い
ヨーロッパでは朝食が加わって三食になりましたが、日本では昼食が加わって三食になりました。
つまり、以下のようであったのです。
- 日本:朝食+夕食=二食 → 朝食+昼食+夕食=三食
- ヨーロッパ:昼食+夕食=二食 → 朝食+昼食+夕食=三食
一日三食が庶民に普及した時期は日本とヨーロッパとほぼ同じ頃です。
日本では朝食と夕食は歴史が長く、どの階層でもそれなりに汁と菜がついて整っていました。そして、新しく加わった昼食はごく簡単に済ませ、その考え方は現在に続いていますね。ヨーロッパで朝食が簡単なのと対照的ですね。
つまり以下のようになっていることがわかります。新しく加わった食事は軽くなっていますね。
- 日本:朝食+夕食 → 朝食+昼食(軽い)+夕食
- ヨーロッパ:昼食+夕食 → 朝食(軽い)+昼食+夕食
炊飯の時間
江戸時代も進むと地域や生活スタイルによって人々の三食の比重が異なり炊飯の時間が違ってきます。
江戸ではおおむね朝に飯を炊いてしっかり朝食を食べて労働に備えました。しかし、上方では昼に炊飯し、朝食は前日の冷飯の粥だったのです。江戸時代後期に書かれた「守貞漫稿」によると以下のようです。
守貞謾稿(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)は、江戸時代後期の三都(江戸・京都・大阪)の風俗、事物を説明した一種の類書(百科事典)です。著者は喜田川守貞です。この著書はすごく面白いですよ。
刺身の東西比較(守貞謾稿)
江戸
- 朝:その日一日分の飯を炊き、味噌汁も食べる
- 昼:冷や飯(惣菜や目刺などを添えておかずとする)
- 夜:茶漬け飯(香の物を添える)
上方
- 朝:茶粥(夜につかった茶葉を再利用して塩を加え、冷や飯と共に再び炊いて、茶粥とする/香の物を添える)
- 昼:一日分の飯を炊く(煮物、とか魚類、又は味噌汁など、二三種を合わせ食す)
- 夜:茶漬け(香の物を添える)
明治時代になって主人と子供たちが弁当を持って出るようになると、全国的に朝の炊飯が一般的となりました。しかし家族がくつろいで集まる夕食がどこでも一日の食事の中心であったことは事実ですね。
変わる三食
第二次世界大戦後の高度成長を迎え、近代社会の勤務スタイルや学校制度の変化によって、わが国庶民の食生活は大きく変化しました。
//ドイツ人撮影クルーが1966年の東京の庶民の生活を録画したものです。とても興味深いです//(映像はとてもいいと思いますが、音楽が、、、中国のものですね(笑))
高度成長期の頃は、一日三食は基本的に維持されてきています。
しかし、朝食にパン食を取り入れる家庭も多くなり、給食や外食に依存して誰も弁当を持たなくなると、朝の炊飯は必要でなくなります。また労働量の軽減で朝たっぷりと食事をすることもなくなったのです。
昼食は主人、子供、主婦と家族はばらばらの食事。そして、夕食には家族皆が集い、主婦は料理に腕を振るって家族が団欒しながら食事をするというスタイルが定着します。
朝食や昼食にパンや麺を食べても、夕食は圧倒的に温かい米の飯の食事で、これに和風、洋風、中華風の多種類のおかずが並ぶようになります。そして晩酌をする人が増えました。
ヨーロッパでは戦後家庭の食事が以前より簡単になったといわれています。しかし、わが国では逆に戦前よりも豊かで多彩になったのです。
昔は毎日同じおかずの繰り返しが多かったのですが、今は二日続けて同じおかずが並ぶことはほとんどないですよね。
日本人全体が初めて食事を楽しむ時代になりました。高度成長期を象徴するレトルト食品の出現も興味深いです。1968年に世界初、一般向けの市販レトルト食品「ボンカレー」が出ましたね。人気女優である松山容子をCMに起用し、彼女をモデルにしたホーローの看板が全国に約10万枚も設置されたのですよ。
しかし時代がさらに進むと主人の早朝出勤、残業や公私の交際による遅い帰宅、子供の塾や習い事、主婦の勤めなどによって家族の三食の食事時間はそれぞれ異なり、内容も違って、「孤食」あるいは「個食」といわれる状態となっています。
一日三食の崩壊
時が進むと欠食や時間構わずの間食が入り、日本では今一日三食の習慣は崩壊しつつあるように見えます。
欧米戦後の産業社会の発展はヨーロッパの人々の食生活をも大きく変化させました。
通勤、通学の距離が長くなり生活リズムが変わって、朝食は軽く、昼食は短い時間に済ませるようになり、夕食が最も重要な食事になったのです。昼食は家族皆がそれぞればらばらに取るようになりましたが、休日には昼食に家族が集まって昔のように正餐を取る家庭が今も多いのをご存知ですか。
しかし各国とも主婦が働きに出るようになり、手間のかかる煮込み料理などは敬遠され、また加工食品や調理食品を利用する傾向も多くなりました。それでも、家庭での食事を大切にし、伝統料理を保持しようとの意識は健在です。
女性の生活が食生活を変えたことも事実ですね。
60年代女性のファッション(welovedates.com)
現在、一日三食の食生活は欧米ではおおむね維持されています。
これから人々の食事はどうなっていくのでしょうか。
私たちは
私たちは一日二食の生活を始めてみました。それは、空腹の時間を増やすことで、オートファジーの働きが活発になるそうですよ。以下の本を参考にしました。
\ベストセラーです!詳しく知りたい方はどうぞ/
オートファジーとは古い細胞が新しく生まれ変わるシステムのことで、いわば「体の若返り機能」です。オートファジーを働かせるには条件があり、それが「16時間空腹でいること」なのです。ですが、なかなか16時間空腹は難しいです、、、。
興味ある方はリンク先もご覧ください。詳しく説明している記事です。