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マタギの博物館|日本でも珍しいマタギの文化や歴史が学べる「碧祥寺博物館」に行った

2022年初夏、私たちは東北をドライブしました。

岩手県でかねてから見たかったマタギの資料を見学しました。行ったのは岩手県・西和賀町です。

碧祥寺博物館(へきしょうじはくぶつかん)

マタギの資料は碧祥寺博物館(へきしょうじはくぶつかん)にあります。碧祥寺は350年の歴史をもっている古いお寺なんですよ。その境内に建つ5つの資料館からなる博物館が碧祥寺博物館です。

昭和53 年(1978)には岩手県碧祥寺「マタギの狩猟道具」486 点が国指定重要有形民俗文化財に指定されています。すごい数ですね。

私たちは北上市に滞在して、西和賀町に向かいました。

碧祥寺博物館(へきしょうじはくぶつかん)の概要

碧祥寺博物館(へきしょうじはくぶつかん)は岩手県和賀郡西和賀町に所在する真宗大谷派本宮山碧祥寺境内に設けられた博物館。貴重な民俗資料その他を数多く収蔵、展示している。1969年昭和44年)に開設された。館長は第十四代住職で元沢内村長太田祖電である。太田祖電は命を守る村そして乳児死亡率ゼロ達成や医療費の無料化に踏み切った深沢晟雄村長の下で沢内村教育長として深沢村政を支え 後任の村長として村長を長く務めた。

ウィキペディアより

太田祖電さんは元館長さんです。今は新しい館長さんがいらっしゃいます。

碧祥寺博物館(へきしょうじはくぶつかん)の展示資料

資料館は第一~第五の5つあり、国の重要有形民俗文化財に指定されたまるきぶねはじめ、マタギ関連資料、沢内周辺の積雪期用具その他、信仰に関わる資料、民具・生活用具など民俗資料1万数千点を展示する。生活用具のなかで注目すべきものには、ワラビの根やトチの実からデンプンを採取した道具がある。

ウィキペディアより

今回見たかったマタギの資料は第五資料館にあります。

御住職にお会いして案内いただいた

碧祥寺第十五世太田宣承御住職です。現在、碧祥寺博物館の館長さんです。お忙しい中、本当に感謝します!

マタギとは

マタギは、日本東北地方北海道から北関東甲信越地方にかけての山岳地帯で、古い方法を用いて集団で狩猟を行う者を指す。

「狩猟を専業とする」ことがその定義とされるものの、現代においては単にマタギ郷として有名な土地に生まれ、猟銃を使う猟を生業とする猟師を指すのが一般的である。獲物は主にであり、他にはアオシシ(カモシカ、後述)やニホンザルウサギなどが狩りの対象となる。

ウィキペディアより

マタギはどこにいたか

碧祥寺博物館のパネルより

赤丸の場所が私たちのいるところです。旧沢内村、現在の西和賀町です。まさしくマタギがいたところなんですね。太田宣承御住職のお話によると、秋田から来たマタギが宿泊していたそうです。

マタギの服装

  • まず、銃を背負っています
  • 頭にかぶっているのは、マタギボッチ(トラボーともいいます)
  • カンジキを肩にかけています
  • 足の甲にはハンバキ
  • 足にはカモシカの毛足袋

雪深い山に入っていくので、防水・防寒用のものが多いですね。

マタギの道具

様々なマタギの道具が碧祥寺博物館(へきしょうじはくぶつかん)にありましたが、印象的なものを載せますね。

ワラダ

これは、うさぎを捕まえるための道具です。写真の説明にあるように投げると「ヒューー」と音がするようです。聴いてみたいですね。

クマトリバサミ

ワナ猟の一つです。鉄製でクマの足を捕らえるようですね。

マタギの本領はクマ猟でした。銃が普及する前は、このような槍でクマを仕留めていたらしいです。これは、結構怖いですね。かなり接近しないと槍が使えないですね。

マタギの言葉

マタギの言葉にはアイヌ語の影響が強いということです。マタギの祖先がアイヌであるためという説と、それともアイヌ語からの影響が後になって強まったという説があります。

インターネットサイト『がりつう』より、引用

  • あおけら – カモシカ
  • いたず –
  • うじ – けもの道
  • おきゃく –
  • きよわか –
  • くさのみ –
  • くし –
  • けとば – のいる洞穴
  • こしまけ – カモシカ
  • さんぺ – 心臓
  • しかり – マタギの長で、狩りの分担などを決める者
  • すね –
  • せこ – マタギの狩りで、獲物を追い出す係
  • せた –
  • せたぎ – マタギでない人
  • つのから –
  • なびれ – 熊
  • ひら – 斜面
  • ぶっぱ – 獲物を撃つ場所、および撃つ人
  • へだ – 犬
  • めぐりわっか – 濁り酒
  • やぢ – 湿地
  • わし – 表層雪崩
  • わっか – ・酒

クマの肝

熊胆(ゆうたん)は、クマ由来の動物性の生薬のこと。熊の胆(くまのい)ともいう。古来より中国で用いられ、日本では飛鳥時代から利用されているとされ、材料は、クマ胆嚢(たんのう)であり、乾燥させて造られる。健胃効果や利胆作用など消化器系全般の薬として用いられる。苦みが強い。漢方薬の原料にもなる。「熊胆丸」(ゆうたんがん)、「熊胆圓」(ゆうたんえん:熊胆円、熊膽圓)がしられる

ウィキペディアより

マタギ薬といえば、クマの胆 (胆のう)です。胃腸薬、万能薬として珍重されました。

なんと、金と同じ値段で取引されていました。今でも高額で取引されているのですよ。

私たちが目にしたクマの肝です。(この話題はまた別にお書きします)

阿仁根子(あにねっこ・阿仁マタギの中心地)には、昔、クマの胆の生産を専門にしている人が何人かいたらしいです。それを全国に売り歩いていたのですね。 一回に飲む量はゴマ粒三つ、ほんの少しです。マタギにとって、クマは捨てるところがないと言われていました。クマの骨や血、冬眠時の糞なども薬として売られていたのですよ。

クマ肉

僕はずっとマタギは肉のために狩猟していると思っていました。肉はオマケみたいなものですね。でも、クマ肉、実は美味しいのです。実際に私たちも食べましたが、驚きの美味でした!

前述のように、マタギのクマ猟の主な目的はクマの肝なんですね。

オコゼ

2枚目は、オコゼの乾燥したもの。

なぜ、オコゼの乾燥したものがこの博物館にあるかというと、マタギのシカリ(頭領)は山の神に捧げるために、海魚のオコゼを干したものを持って山に入ったからです。

この写真のものは、持ち運べるように紐がついていますね。

山の神は女性なので嫉妬深いとされています。そして、荒天気の時に、このオコゼを袖口からチラチラ見せると、山の神が機嫌を直すと言われていました。

「世の中に自分よりまだ醜いものがあるのか」、と機嫌がよくなるのだそうです。

そして、天候が良くなると信じられていたのです。

山の神様

古くからマタギが信仰した山の神像。醜い女性神という説もあります。

山の神の掛け軸

山の神は十二という数字と関係が深いそうです。山の神を「十二山神様」「十二様」という地域があるそうです。

マタギは国を超え自由に山を往来できたのか

古くは、マタギは巻物を携行していました。毛皮で作られた巻物入れをマタギが所有しているのですね。その中には将軍から天下御免の書面をもらい、他領でも自由に猟ができるというものです。

東北地方のマタギ文書は2種類あります。

日光派

清和天皇の御代、日光山の山麓に磐司磐三郎(ばんじばんざぶろう)という弓の名人がいました。この頃、上野国の赤城明神と下野国の日光権現とが戦い、日光権現が苦戦していましたが、磐三郎の助力のおかげで勝利したのです。日光権現からこれを聞いた天皇より、磐三郎は褒美の御朱印をいただき、今後どこの山に行っても「山立御免」となった話があります。

磐三郎は、山の神、マタギの開祖とされています。マタギ秘伝の巻物「山立根本之巻」に由緒が記されているのですよ。日光派(天台宗)のマタギはここに由来します。

高野派

高野派(真言宗)のマタギには、空海上人から殺生を許される法を授かった狩人の由来を記した秘巻 「山立之由来」が伝わっていました。

マタギを映像で

この映像、よくできていると思います。現代までのマタギの変貌が分かりますね。

感想

僕はマタギというものは、一人山に入り孤高の存在で狩猟するものかなと思っていました。しかし、後年知ったことですが、マタギは集団で狩猟するのですね。

碧祥寺博物館(へきしょうじはくぶつかん)を訪れて、マタギに大変興味を持ちました。

玄関でクマの剥製がお見送り。

雨上がりの境内、石仏が印象的でした。

今回、ご案内下さった碧祥寺第十五世太田宣承御住職に心から感謝いたします。

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