エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|42「バルセロナ」

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海風がさわやかに吹き、太陽が力づよくこたえる。それがバルセロナだ。この街で演奏旅行はクライマックスを迎えた。

昨年に続き、今年もトゥルグ・ムレシュ交響楽団とのスペイン訪問。マネジャーも同じだ。彼女の名はカルメン。名前のイメージとは程遠く、装飾品をジャラジャラさせたいつも明るい太めのおばさん。バルセロナへ向かう前日、彼女から電話があった。「明日はシンヤのためにおいしい魚料理のレストランを用意しているからね!」。内陸ばかり旅してきた僕への優しい気配りがうれしい。

翌日、彼女のガイドでホールに一歩入るなり、楽団員は皆「ほーっ!」と驚きの声をあげた。建築間もなく、先端技術を駆使したモダンな造り。そこにアートな空間が広がっていた。前日の会場はブルゴスにある世界遺産のカテドラル近くの劇場。そのクラシックな劇場との差に驚いたのだ。

初めての場所で演奏する場合、音響チェックがとても重要だ。ホールによっては低音が聞きづらい、弦楽器後方の管楽器の音が届かない、など微妙に違いがある。いつもと同じように演奏しても、奇妙な響きになってしまうことがあるのだ。

うわさ通りの非常に響きの良いホールで、演奏者もお互いの音が良く聞き取れるようだった。僕は特に弱音の個所を練習した。こういうホールでは、弱音が響きすぎて音量のコントラストがなくなることが多い。まずは音のない状態を確認し、僕らはグリーグの「ペール・ギュント」第1組曲の中から、「オーゼの死」という弱音が消え入るような音楽を練習した。後半はこの組曲と、ガーシュインの「パリのアメリカ人」というカラフルなプログラムだ。ガーシュインでは逆に打楽器の活躍する派手な部分を練習した。この曲は多くの打楽器を使うので、その音色と指揮者からの距離がアンサンブルの難しさを作るのだ。

会場はほぼ満席。開演のベルが鳴り、コンサートマスターのラズローがチューニングをする。一曲目はわれわれの地元トランシルバニアの作曲家チーキーの作品。順調に進み、ペール・ギュントの例の個所になった。僕は会場に静寂を求めるような最弱音で演奏した。こういうときはせきも我慢してほしい。この数秒のために、われわれ芸術家はエネルギーを注ぎ込んで練習しているのだ。

ガーシュインも大いに盛り上がった。ラテン系の彼らにはこういう曲が受けるのだろう。最後の大音響がホール中に響き渡り、お辞儀をしようとして後ろを振り向くと、なんと全員が立って拍手をしていた。良かった、今年もスペインに来て。

「さぁ魚だ! おなかがすいて、若い楽団員のポップコーン取り上げちゃった」。楽屋のカルメンに喜びを伝え、彼女が持ってきたポスターを眺めながら、ポップコーンをほおばった。

スペイン語でなく、現地のカタラン語で書いてあった。「オザキが指揮するガーシュイン!」というところだろう。「シンヤはこのホールの今月の顔ってことで載っているの。有名な評論家の先生も来ているのよ」。そういやさっきから、彼女の後ろに、いかにも難しそうな顔をしたおじさんがいる。慌ててポップコーンを後ろに隠し、もう一方の手で握手した。

2005/12/08

\僕もよく飲んでます!とても珍しいルーマニアの黒ブドウワイン/

追記

スペインにはルーマニア国立トゥルグ ムレシュ交響楽団を率いて、2度演奏旅行に行きました。ほとんどスペイン全土を周ったと言っても過言はありません。とてもハードなスケジュールでしたが、楽しくもあり、そしてハプニングの連続でもありました。

指揮者とは孤独なもので、ツアーにはルーマニアから一人飛行機でマドリッドに飛び、楽団と合流。約1ヶ月のツアーの中、一度も楽団員と食事を共にしたことはありません。それは僕のポリシーではありますが、それがなければ30年近くも同じ楽団の指揮者は務まらなかったと感じています。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

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