エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|15「近くて遠い場所」

本投稿にはプロモーションが含まれます。

「近くて遠い場所」という言葉がある。今僕はそこにいる。ルーマニア北部トランシルバニア地方の中心的都市クルージュ。僕の街からは車でわずか二時間。僕はルーマニアのほとんどのオーケストラに招かれ指揮したが、ここには一度も来たことがなかった。

クルージュ

火曜の朝、練習に間に合うようにホテルに迎えが来た。金曜に定期演奏会があり、土曜に同じ演目で子供のための演奏会を指揮する予定。雪がちらつく空の下、コートの襟を立て、凍った道で転ばないよういつもより慎重に歩く。顔に当たる雪とともに、空気の冷たさが、初めて指揮するオーケストラに行くときの独特の緊張を高めた。また今回は特別な事情もあった。

ここは僕のいる街とは文化的に対立しているのだという。もともとトランシルバニアはハンガリー領であり、かつてはどちらもハンガリー系の街であった。しかしクルージュは共産化後、政策によってルーマニア人がたくさん入植し、今では住民のほとんどがルーマニア系であるのに対し、僕のいるトゥルグ・ムレシュは今でもハンガリー系が多い。そのため多くの民族対立の悲劇が見られた。当然、血も流れた。

(1990年3月、町の2つの民族グループ、ハンガリー系住民、ルーマニア住民間で、近隣の村のルーマニア人を巻き込んだ、短いが激しい衝突が発生しました。衝突により5人が死亡し、300人が負傷しました。写真右は1993年から僕の指揮している、そして住んでいる文化宮殿です。)

演目は三曲。僕の師匠であるチーキー作曲の交響詩「山岳」、モーツァルトのピアノ協奏曲第二十番、そしてレスピーギの交響詩「ローマの祭り」。どれも得意なものばかりにした。案の定、ハンガリー系のチーキーの作品を歓迎する空気はなかったが、気にせず練習を進めた。

初めての練習が終わり、一人ランチを食べるレストランを探しているとき、携帯電話が鳴った。チーキー氏だ。練習はうまくいったか、そして彼の曲の状況とアドバイス。寒空の下、凍えそうな手で携帯を持っていたが、体の奥深いところが温かくなるようだった。すぐにまた携帯が鳴った。秘書のエディトからであった。「ランチはどこで食べるのか?」という質問。彼女はまるで、そこに居合わせたかのように「その角をまがって、また右に行って…」とガイドしてくれた。状況が状況だけに、オフィスのみんなが心配しているそうだ。うれしかった。

金曜の演奏会では、オーケストラが熱演してくれたおかげでたくさんの「ブラボー」という掛け声をもらった。土曜の演奏会はまた違っていた。ホールがたくさんの小、中学生でびっしりと埋まっており、子供たちは純粋に音楽を楽しんでいた。今まで気に病んでいた民族間の問題など、吹き飛んでいくくらいの爽快(そうかい)感。楽しい雰囲気がいっぱいだった。

舞台を去ろうとしたとき、一人の男の子が舞台に駆け上がりサインを求めてきた。「これがアルファベットで、これが日本語だよ」と二種類、彼の小さなノートにサインした。ステージマネジャーが「これ、全員サインするの?」と肩をすくめている。気がつけば後ろには百五十人くらいの子供たちが並んでいたのだ。僕は子供たちの声にかき消されないよう大きな声で彼に伝えた。「終わるまでステージを暗くしないでくれ」

オフィスの面々は僕のクルージュ滞在に興味津々であった。「右手がすごく痛くなってね」と僕は右手を左手でマッサージしながら言った。みなすごい熱演を想像しただろう。しかし、僕の心の中には子供たちの笑顔が浮かんでいた。

トゥルグ ムレシュ

2004/04/09 

ルーマニアの黒ワイン

僕も飲んでるルーマニアワインです。フェテアスカ・ネアグラはとても珍しくルーマニアの土着品種。「黒い貴婦人」という名前です。これはルーマニアでしかできない黒ワインというカテゴリーのものなのですよ。その中でもこのワインは生産量数が限られている貴重なものです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/

\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/

こちらの記事もオススメ!