エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|6「あるバイオリニスト」

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一九九六年一月、雪深く大地凍るルーマニア。国立交響楽団の指揮者になって初めての定期演奏会のため、僕は三たびこの地を踏んだ。

(雪のルーマニアを走る)

僕はこの演奏会で共演する独奏者を選ばせてほしいと事務局に伝えた。彼らは僕が誰を選ぶかとても興味があるようだった。

「バイオリニストで髭(ひげ)をチャイコフスキーみたいにはやしていて、年は二十五、六歳のルーマニア人。彼は昨年ウィーンで行われたクライスラーコンクールの優勝者らしい」。このあいまいな要求に事務局は正直驚いたらしい。しかし一生懸命に彼を探し出してくれた。

演奏会の前日、彼はコンサートホールに現れた。今到着したといわんばかりに、コートの肩や髪の毛についた雪の結晶がシャンデリアの光に輝いていた。ステージでスタンバイしていた七十五人の団員たちと僕は拍手で歓迎した。まだ冷たい彼の手を握り、そして僕はチャイコフスキーバイオリン協奏曲の第一拍目を振り下ろした。彼のバイオリンは、時に激しく、時に息をのむ静けさを、また誇り高い輝かしいフレーズや孤独感あふれる繊細な音を奏でた。素晴らしい才能。やっぱり、僕が思っていた通りだ。

彼の名はフローリン・クロイトゥル。一九九三年にルーマニア・ブカレスト国際空港で出会った。僕は指揮コンクールに出場するためにその空港に来ていた。右も左もまるで分からない。その当時のルーマニアは入国審査も、ビザのことも特殊だった。入国のための書類の説明一つすらない空港事務局は、国の内情を表しているかのようだった。

困惑していた僕の前に、バイオリンケースを肩から下げた一人の青年が現れた。彼は流ちょうな英語で僕に書類の書き方を説明し、そして母国語で係官に僕のことを話した。「彼はオーケストラの指揮者だ。コンクールのために入国するので便宜を図ってほしい」。すぐに入国は許可された。去り際に彼はこういった。「僕はウィーンのクライスラーコンクールで優勝したんだ。いつか一緒に演奏したいね」

リハーサルで協奏曲を練習し終わった僕らは、ランチの時間、初めてゆっくり話した。僕は彼の素晴らしい音楽のみならず、繊細な優しい性格をすっかり気に入った。そして思わずこういってしまった。「僕の大好きな子供たちのオーケストラに来て、一緒に演奏してほしい。音楽の喜びを分かち合ってほしいんだ」

(数年後にに共演したフローリンと一緒に)

ウィーン・フィルを始め一流オーケストラとばかり共演している彼に、いきなりこんなことを言うのは内心不安だった。甘いものが好きだという彼は、ルーマニアのデザート、パパナッシをほおばりながら言った。「いいよ、シンヤ。君とならいつでもまた演奏しよう。子供も好きだし」

一九九九年、この時とは対照的な暑い夏の鹿児島に彼はやって来た。MBCユースオーケストラ定期演奏会。合宿での子どもたちとの交流、バイオリンを弾く子供たちは彼の指導も受けた。演奏会では大きな感動を客席、そしてステージにも巻き起こした。

今年三月、フローリンと再会した。初めて共演したときと同じコンサートホールだ。「僕の子供たちは元気かい?」それが彼の第一声だった。あれから八年がたっていた。僕らはお互いの手を固く握り締め合った。

2003/09/26 

ルーマニアの黒ワイン

僕も飲んでるルーマニアワインです。フェテアスカ・ネアグラはとても珍しくルーマニアの土着品種。「黒い貴婦人」という名前です。これはルーマニアでしかできない黒ワインというカテゴリーのものなのですよ。その中でもこのワインは生産量数が限られている貴重なものです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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