エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|17「リスボン」

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魚が食べたい! ポルトガルへ飛んだのは、そんな衝動からだった。濃厚なヨーロッパ内陸部の料理ばかり食べていると、海の近くで育ったせいか僕は、無性に魚が恋しくなる。ポルトガルといったら、鰯(いわし)、それも塩焼きが絶品なのだ。

リスボンの街を一人で歩く。ピレネーを越えるとヨーロッパではないとナポレオンは言ったが、その通りかもしれない。坂の多い旧市街、タイル張りの壁、言葉も周辺のラテン語系とはちょっと違う。過去にアラブに占領されていた影響なのだろうか。

ワインも独特のポルトワインというものがあり、大航海時代、長い船旅の間に腐らぬよう糖分を多くしていた名残で、舌が溶けそうなくらいに甘い。そしてどこにいても潮風を感じる街、それがリスボンだ。かつての栄光は、今悲しいくらいその重厚な古い建物群に現れている。

僕は旅先では行きつけの店をつくることにしている。毎日そこに通ううちに、その土地のいろいろなものが見えてくる。シチリアのパレルモでは駅前の安いレストランに通う。

こんなに毎日通っているのは僕くらいだろうと思っていたら、よく見かけるおじいさんに「私はここに三十六年間毎日通っている。あなたは味が分かるね。ここは本当に美味(おい)しいんだ」と言われ、驚いたことがある。

フィレンツェでは、ちょっと街から外れた、地元の人でいっぱいのレストランに通う。家族経営でいつも楽しそうな店員たち。黒板いっぱいに書かれたメニューから、訳も分からず選ぶのがまた楽しい。パリにはとっておきのパン屋さんがある。小さい一軒のパン屋に遠くから人が集まる。その袋を持って歩いているだけで、分かる人には分かるという店だ。

リスボンでは港の近くの半地下にある小さなレストランを選んだ。おじさんと目が合ってニコッとされたからだ。注文したのはやっぱり鰯の塩焼き。食べてみたら素晴らしい味! お醤油と大根おろしがあったら、いいだろうなあ。中世ヨーロッパ人の胡椒と金ではないが、同じ重さの金とでも交換したいくらいだと思った。

お気に入りの店を見つけるのは難しい。だが、自分の店ともいえる落ち着ける店にめぐり会ったときの嬉しさは格別だ。僕はこの店を「おじさんの店」と呼ぶことにした。

おじさんは背が低く、眼鏡をかけて口髭を生やしている。いつもニコニコしていて、カウンターに並んだお客さんの好みに合わせて盛り付けをする。僕のことも覚えてくれて、座って微笑んだだけで「まずミネラルウオーター、鰯の塩焼きとポテト、そして食後には一杯のエスプレッソ」と、いいタイミングで出てくるのである。そのうちに定席とでもいうか、好みの居場所も決まってくる。

旅は人生の縮図だと思う。出会いと別れの連続だからだ。毎日会っていると、今まで他人だったおじさんに会うことが意味を持ってくる。いや、意味があるのかもしれないと思うと、また違うものが見えてくるのだ。

 

写真が趣味の僕は、最後の日におじさんの写真を撮った。生き生きとして働いている姿が素敵だった。写真を送ろうと思い、住所を聞いた。「送らなくってもいいよ。どうせまたいつか来るんだろう」。おじさんは微笑みながら、いつものように忙しく鰯を焼いていた。

2004/06/10   

ルーマニアの黒ワイン

僕も飲んでるルーマニアワインです。フェテアスカ・ネアグラはとても珍しくルーマニアの土着品種。「黒い貴婦人」という名前です。これはルーマニアでしかできない黒ワインというカテゴリーのものなのですよ。その中でもこのワインは生産量数が限られている貴重なものです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

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\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/

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