エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|10「宮殿住まい」

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何を隠そう、僕は宮殿に住んでいる。正式名は文化宮殿。いかにも共産主義時代を髣髴(ほうふつ)とさせるネーミングだが、建てられたのはここがまだハンガリー領だったころだ。

建物の中にはミラノ・スカラ座と同じ形式の豪華な装飾の大ホール、ステンドグラスの美しい小ホール、ベネチアから沢山の材料を取り寄せて作った「鏡の間」、そして僕の住む部屋がある。

ルーマニアでは芸術家が大切にされている証拠。メードさんまでついている。どなたかお客さんが来ると、「やー、いらしゃい」と玄関ホールの大理石の階段からエラそうに降りていくのである。

この玄関ホールがまた素晴らしい。シャンデリアが美しいこのホールは、床や天井に大理石をふんだんに使っており、壁面には古代ハンガリー民族の伝説がぐるっと一周描かれている。観光スポットにもなっていて、週末は世界中から人が集まる。

先日ハンガリーから小学生が見学に来た。たまたま席をはずしていた守衛の代わりに案内したら「ガイドのおじちゃん、ありがとう」と言われてしまった。

僕の部屋は五階。普段のリハーサルはオーケストラの音合わせが聞こえたら、おもむろに降りていく。コンサートの時などは休憩時間に部屋に戻ってコーヒーブレーク。と、ここまではいい話。

この部屋は隣の市庁舎の搭に設置されている時計と同じ高さにあり、時計の鐘が十五分ごとに時を刻む。最初はびっくりした。鐘は夜の十二時まで正確に鳴り続ける。


そしてこの五階というのが、また大変。エレベーターなんて文明の利器がないこのホールは、僕にとっては巨大なフィットネスクラブ状態なのである。ちょっと二階のオフィスまで書類を取りに行く。また、三階のライブラリーに調べものをしに行く。これが一苦労。「体には良いが、精神には悪い」とされている。前任のアイルランド人の指揮者もここに来てから随分スリムになったらしい。

部屋からは大ホールで演奏しているものが良く聞こえる。なにせコンサートホールの四階席の斜め上なのだから。週に平均三回行われるいろいろな種類の音楽会もフリーパス。聞こうと思わなくても、部屋から良く聞こえる。また、部屋はパイプオルガンと平行の位置にある。運が悪いときには、日曜の朝、パイプオルガンの音で飛び起きてしまったりするのだ。

朝昼はオーケストラの練習が大ホールであったり、オフィスのメンバーが働いているので活気がある。しかし夜は広い宮殿に守衛と二人っきりだ。正直言って怖い。寂しい。心細い。守衛は当然一階の玄関わきでしっかり働いている。僕は音一つしない五階で一人きりだ。なんだか怖いので、最初のころはオーディオを最大限の音量で聞いていたりもした。当然僕のニックネームは「オペラ座の怪人」。

ある夜更け、誰もいないはずの宮殿にコツコツと階段を登ってくる足音がする。出たか。ここはドラキュラの出身地でもある。

そして案の定、ノックの音。「すみません」。低い男の声だ。恐る恐るあけると、そこには見慣れた守衛が息を切らして立っていた。「マエストロ、お金貸してください。この間駐車違反でつかまって、明日中に警察に罰金払わないといけないんです」…。何がって、この手のものが一番怖い。

2003/12/19

写真集


玄関

玄関2

鏡の間

小ホール

壁画

ニューイヤーコンサートの模様

ルーマニアのワイン

僕がルーマニアで飲んでるフェテアスカ・ネアグラのワイン。フェテアスカ・ネアグラはルーマニア独特のワインの品種の名前です。この品種で作るワインは濃厚な味わいですよ。ブラム・ストーカーの小説に出てくるドラキュラをモチーフとしたラベルが個性的ですね。ちなみに、小説の中でドラキュラ伯爵は現ルーマニアのトランシルバニア地方に住んでいることになっています。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

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