エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|24「若いな」

本投稿にはプロモーションが含まれます。

「おぬし、若いな」。これは高校の頃(ころ)、茶道部でよく使っていたセリフだ。勧誘につかまり、一時茶道部に入っていた。いつもお茶の勉強はほっぽり出して、時代劇みたいなことをお茶の席で演じていた。

ストーリーがあって、若い男の下級武士役が、高齢の戦国時代の名だたる武士という設定の僕を訪れる。僕の娘役と一緒に来て「どうか、お嬢さんをください」と頼み込むのである。そこで僕が無言でお茶をたて、「まずは一服」などといって勧める。彼の茶の作法を見ておもむろに渋く発する言葉が「おぬし、若いな」なのだ。

だが、後々、自分自身がこのセリフを言われるとは思わなかった。

例えば音楽関係でない所に行ってお話をする。大体指揮者というのは「おじいさん」と相場が決まっているのだろう。行ってみて、僕の顔を見て開口一番「あれ、若いな!」なのだ。皆の心の中はなんの疑問もなく、指揮者イコール「おじいさん」なのだ。

そうでなくても僕は年齢よりも若く見えるようで、「今年で四十五歳になります」なんて言おうものなら「えーっ!」か「へーっ!」のどちらかの感嘆詞付きの応酬を喰(く)らうことになる。悔しいので「人間にすると大体八十五歳くらいでしょうか」なんて笑わせたりしている。

実際、著名な指揮者の年齢はかなり高い。ストコフスキーという指揮者はディズニー映画「ファンタジア」や、往年の名作「オーケストラの少女」に出演して有名な人なのだが、なんと九十五歳で亡くなるまで指揮していた。おまけにレコード会社と百歳まで契約していた。

ストコフスキー(1882年4月18日 – 1977年9月13日)

僕の好きな何人かの指揮者たちの平均寿命を調べてみたら、なんと八九・六歳という結果が出た。その上全員亡くなる直前まで舞台に立っているのだ。年齢を重ねるほど「円熟」ということになり、大切にされ、尊敬も集める。

高齢になった伝説的指揮者トスカニーニなど、配下の演奏者の演奏が悪いと「ゴホン、ゴホン」と口にハンカチを当てわざと咳(せき)をしたという。演奏者は彼を助けるために必死で演奏し名演になったという噂(うわさ)。僕なんかが同じことをしたら、オーケストラ事務局のスタッフが次の週の指揮者を探すために電話口に走るに違いない。

トスカニーニ(1867年3月25日 – 1957年1月16日)

指揮者は楽譜を覚えるという行為で、常に脳に情報をインプットし続けている。そしてオーケストラの前で情報をアウトプットして伝えている。これら二種類の頭を使う行為と、指揮台の上で一、二時間立ったまま運動しているのが長生きの秘訣(ひけつ)らしい。

そもそもこの商売、五十歳で「若手指揮者」と言われるのだ。五十歳ですよ、五十歳。織田信長なんか「人生五十年」って舞って死んじゃったのに。音楽大学で指揮の先生からは「指揮は四十歳になってから始めるのがいい」なんて言われて、「それまでどうやって暮らせばいいんだろう?」と巨大なクエスチョンマークが浮かんだりしたものだ。

先日、ウィーンでオーストリア人の指揮者の友達と、ハンガリー人のピアニストが集まった時、この話題になった。おいしいピザを食べながら、ピアニストの友達が言った。「指揮者の仕事は辛(つら)いよねぇ。ストレスも大きいし。きついから辞める人も多いんじゃない?」。眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せ、指揮者の友人が頷(うなず)いた。

僕はふとひらめいて言った。「そうだ単純な法則だ。みんなめげて辞めていくとすれば、辞めなければいいんだ。そしたら生き残れる。よーし、今年の目標、辞めないぞー!」。指揮者の友達が首を振り振りぽつんと言った。「若いな…」

2004/11/04 

後日談

これは2004年に書いたエッセイです。その当時、僕は45歳でした。今(2022年)は、63歳。還暦も過ぎました。髪も今ままで染めていたのをやめて、自然なグレーヘアーにしています。それでも、「若いですね!」と言われるので、この「若いな」からはなかなか逃げられません(笑)。

2004年頃、やっぱり若いですね(笑)。

現在、それなりに歳をとりました!

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

 

 

こちらの記事もオススメ!