エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|14「貴人」

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人生には転機となるときに現れ、導いてくれる人がいる。中国では古来その人を「貴人」と呼んでいる。僕にもまた貴人がいる。ルーマニアのオーケストラの指揮者になった当時の音楽監督、チーキー氏である。

作曲家でもある彼はハンガリー系ルーマニア人で、チャウセスク政変下のハンガリー人弾圧の中でもその作品によって孤高の光を放ち続けてきた。残忍な政権でさえ触れることのできない、輝く星のような存在だったのである。

僕と出会ったころはすでにミドルエージだったのだが、背も高く、映画俳優のような顔立ちに威圧感のある鋭い目をしていた。物腰のエレガントさは事実彼が貴族出身ということを物語っていた。

指揮者になって最初の三年間は自由に選曲できず、彼に言われた曲目をマスターしなければならなかった。演奏の細部に至るまで厳しく彼の目が光っていて、毎週の本番が試験のようで恐ろしかった。ただ一つ不思議なことに、数あるチーキー氏の傑作は一回も指揮しなかった。

指揮者になり三年たったある日、彼のオフィスに呼ばれた。「来シーズン、ブカレスト管弦楽団を指揮しなさい。向こうの監督には話しておいたよ。曲目はレスピーギの交響詩・ローマの祭りだ」

トゥルグ ムレシュ交響楽団リハーサル風景

突然のことで驚いた。ブカレストはルーマニアの首都。そのオーケストラは多くの著名な指揮者が客演し、伝説的な名演奏を残してきた。いわば芸術では国民の象徴たる存在だ。ハンガリー系少数民族の街の、しかも若い指揮者がこの国の象徴たるオーケストラを指揮する。失敗したら後がない。

「フランスの作品ではだめでしょうか?」「いや、君はレスピーギなのだ」。レスピーギはイタリア人で管弦楽の華やかさが特徴。自分の指揮するイメージとはまったく違ったが、とにかくチーキー氏の言うことだからと従うことにした。さらば討ち入りじゃー! と、まるで戦国時代の一地方武士が京の都に天下を取りに行くような悲壮な気持ちになってしまった。しかし最後に「これからは指揮する曲を自由に選んでよろしい」とも言われた。これで気持ちは、晴れて免許皆伝である。

街の期待を一身に勝負に出ていく。今までの苦労が思い浮かぶ。…成功する…テレビの放映で演奏会の成功を知り街の人が涙ぐむ…街に帰って皆と祝杯を挙げる…と、まだやってもいないのに、まるでハリウッド映画のシナリオみたいなものが頭によぎった。

一九九八年春、演奏会は成功した。大音響のうちに曲が終わり、割れるような拍手。多くの人が立って拍手をしていた。僕はチーキー氏に心から感謝した。後に知ったことだが、チーキー氏はレスピーギの孫弟子にあたるという。彼の師はレスピーギに教えを受け、その音楽的手法が脈々とチーキー氏に伝えられていたのである。そして僕はそのまた弟子だったのだ。

ブカレスト アテネ音楽堂

先日、すでに引退したチーキー氏と偶然街で出会った。年をとりかつての力強さが感じられないのにちょっぴり心を痛めたが、鋭い眼光だけは変わらなかった。「先生、今度クルージュ交響楽団にデビューすることになりました」と僕は伝えた。「そうか、何を指揮するのかな」「レスピーギです」「ほう、またレスピーギか?」「もうひとつ新しいレパートリーも指揮します。交響詩・山岳です」

「そうか」彼はちょっとだけほほえんで立ち去った。交響詩「山岳」とは彼の代表作なのだ。

2004/03/19

ルーマニアの黒ワイン

僕も飲んでるルーマニアワインです。フェテアスカ・ネアグラはとても珍しくルーマニアの土着品種。「黒い貴婦人」という名前です。これはルーマニアでしかできない黒ワインというカテゴリーのものなのですよ。その中でもこのワインは生産量数が限られている貴重なものです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

\エッセイをまとめた本・好評です!/

\珍しい曲をたくさん収録しています/

\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/

\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/

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