山陰地方をドライブしていた時です。和食の店に入り、メニューに「天ぷら」とありますが、どうも写真は「さつま揚げ」なのです。同じようなことを、四国でも経験しました。どうも「天ぷら」と呼ぶものに、地方によって違いがあると気づき、調べてみました。
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全国/天ぷら・フライ消費量
ちなみに、全国の天ぷら・フライ消費量の中で一位は新潟県だそうです。
天ぷら・フライ消費量の全国平均は10,425円。購入量が最も多いのは新潟県で14,972円(偏差値81.4)。2位は福井県で14,815円。3位以下は富山県(13,898円)、山形県(12,794円)、山梨県(12,461円)の順。一方、最も購入量が少ないのは和歌山県で8,764円(偏差値37.5)。これに岡山県(8,853円)、兵庫県(8,908円)、鹿児島県(8,993円)、奈良県(9,012円)と続いている。
分布地図を見ると、北陸を筆頭に東日本で消費量が多い。
まず一般的な「テンプラ(あえてカタカナで一般的なものを書きます)」の話
「テンプラ」の歴史は比較的あたらしいのです。
「天ぷら」という言葉に関して日本語に語源を探すことがとても困難です。「天ぷら」は、南蛮人が伝えた料理なので、ポルトガル語に語源をもとめようとする説が有力です。でも、中国から伝えられた料理であるとして中国語に語源をたどる説など、10種類くらいの語源説があるんですよ。したがって、定説はないといえますね。
精進揚げ
魚介類を使用せず、野菜だけを材料とする「テンプラ」を「精進揚げ」とよび、区別することがあります。油脂を使用しない日本料理のなかで、寺院で発達した普茶料理などの揚げ物が、「精進揚げ」という名称の起源である可能性が考えられますね。
この「精進揚げ」は、全て野菜なので食材のカロリーは少ないです。しかし、天ぷらですから吸収する油の量で高カロリーですね。
テンプラという名称
テンプラという名前が初めて出たのは、1669年(寛文9年)刊の「料理食道記」のなかの「てんふら」とされます。
「小鳥たたきて、かまくらえび、くるみ、葛たまり」と記されているのです。小鳥のミンチ肉やイセエビを「餡かけ」にしたものと思われますが、これだけの情報では揚げ物であるかどうかはわからないんですよ。
そして、1747年(延享4年)刊の料理書「料理歌仙の組糸」にも出てきます。
「てんふらは何魚にてもうんとんの粉まぶして油にて揚(あげ)る也。菊の葉てんふら又ごぼう、蓮根、長芋其他何にてもてんふらにせんにはうんとんの粉を、水、醤油とき塗付けて揚る也」
衣揚げのテンプラの製法のようなものが、初めて表れています。
幕末に関西と関東の違いを記した「守貞漫稿」
幕末の「守貞漫稿(もりさだまんこう」ではこう書かれています。
「京坂にては半平を胡麻油揚げとなし名づけててんぷらと云油をもちひざるを半平と云也江戸には此天麩羅なし他の魚肉海老等に小麦粉をねりころもとし油揚にしたるを天ぷらと云此天麩羅京坂になし有之はつけあげと云」
関東と関西のちがいを説明していますね。
1)関西でのテンプラは、現在の「さつま(薩摩)揚げ」にあたる魚のすり身を油揚げにしたもの
2)江戸では、現在のテンプラにあたる衣揚げを「つけあげ」とよんだのです。
「テンプラ」は、衣をつけて揚げるから、この場合「つけ揚げ」なんですかね。早くも混乱気味です!
\僕も食べてます・さつま揚げの名店の品です/
鹿児島では
僕の育った鹿児島では、さつま揚げのことを「つけあげ」といいます。大体、地方名がついている食べ物って現地では、地方名のついた名前で呼ばないですよね。
例えば、「明石焼き」は、明石では「明石焼き」とは呼ばず、「玉子焼き」と呼びます。一応、観光客のために看板には「明石焼き」と書いていますが。。。
つけあげ・島津斉彬発祥説
薩摩の島津斎彬が(島津家28代当主)、かまぼこや紀州はんぺんを手本として、国(薩州)の経済発展のために創作したといわれます。薩摩は、気温が高い地域です。薩摩の気候に適した保存性のある料理方法として、蒸すよりも保存性の高い揚げるという方法を選択しました。これらは幕府への献上品となり、参勤交代時に江戸にもたらされました。そして、薩摩の江戸屋敷から江戸市中へと広まって行きました。薩摩では以前から「つけ揚げ」と呼んでおり、それが江戸で「さつまのつけ揚げ」となり、やがて「さつま揚げ」に縮まったといいます。
さつまのつけ揚げ → さつま揚げ
沖縄発祥説
「さつま揚げ」は、薩摩の島津の兵が琉球に進出したときに、沖縄で「チギアギ(付け揚げ)」とよばれる魚のすり身の油揚げをもちかえり、鹿児島名物のさつま揚げ(鹿児島では「つけあげ」と呼ぶ)となったと言われています。
いわゆる「さつま揚げ」を地方によりどう呼ぶか?
さつま揚げの各地の呼び方
これは、関東、東北では、「さつま揚げ」と呼ばれています。これはこの地方限定の言葉でしたが、次第に「全国共通語」になっていますね(とはいえ、地方独特の呼び名が残っています)。
「天ぷら」が優勢か?
全国のJタウンネットの調査によると、「天ぷら」44.5パーセントに対し、「さつま揚げ」が34.4パーせんとで「天ぷら」が優勢です!
関西では、、
しかし!関西ではこれを「天ぷら」と呼ぶのです。
それゆえに、西日本と明治の開拓期に関西人がおおく移住した北海道では、さつま揚げを「天ぷら」とよぶことがおおかったのです。
幕末の「守貞漫稿(もりさだまんこう」にあるように、さつま揚げの仲間の食品を「天ぷら」とよんでいた京都、大阪では、現在でもさつま揚げを天ぷらと呼ぶ高齢者がおおいのですよ。それは、西日本をドライブして物産展に入ると感じます。時々、「さつま揚げ」の商品名を「天ぷら」と表示していますし、高齢者の店員さんに「天ぷらいかがですか?」と声をかけられたりします。
いわゆる「テンプラ」(関東でいう天麩羅)と「天ぷら」(さつま揚げ)の使い分けはどうなっているのでしょうか?まさに混乱します。
ちなみに、前述のように明石では明石焼きを「卵焼き」と呼んでいます。しかし、一般的ないわゆる「卵焼き」も「卵焼き」です! これは現地の人に聞きましたが、こんな感じでした。
- 外で食べる「卵焼き」 → 「明石焼き」
- 家で食べる「卵焼き」 → いわゆる「卵焼き」
家で「明石焼き」を作る人もいますよね、そうなるとますます混乱します!
このように、同じ名前で違うものを呼ぶ場合、混乱しますね。大阪の人に今度、いわゆる関東の「天麩羅」と、さつま揚げの「天ぷら」の使い分けを聞いてみたいと思います。
中部地方
なんと愛知県と岐阜県では、いわゆる「さつま揚げ」を「はんぺん」と呼ぶようですね。揚げた茶色い練り物つ、まり「さつま揚げ」をはんぺんと呼んでいるのは、このように全国の中で愛知県と岐阜県だけです。
誤解を避けるために愛知県の店舗ではこういう呼び分けをするところもあるようです。
いわゆる「さつま揚げ」 → 揚げはんぺん
いわゆる「はんぺん」 → 白はんぺん
その由来は
こういう説もあるようです。
関東や関西で練り物の修業をした人が、この地方に流れ着いて練り物を言い伝えた。そういう所から“練り物全般”をはんぺんとこの辺りでは呼ぶようになった。
九州では
鹿児島以外の県は、いわゆる「さつま揚げ」を「天ぷら」と呼ぶようですね。
江戸時代・江戸でのテンプラ
従来、食用油といえば高価なゴマ油が主でした。江戸時代になると、安価な菜種油が生産されるようになったのです。
そして、油絞りの技術も進歩して、菜種油が手軽に買えるようになりました。このような背景のもと、豆腐の油揚げ、さつま揚げ、テンプラのような揚げ物料理が江戸時代に普及することになったのですよ。
魚介類の衣揚げであるテンプラは、ソバ、ウナギの蒲焼、握りズシとならんで、江戸の街で発達した食べものです。1770〜80年代に、江戸市街の道路の屋台における立ち食いの料理として、テンプラが普及しました。箸を使用しないで気軽に食べられるように、魚、エビ、野菜などを竹串に刺して、衣をつけて揚げたのです。値段も安い大衆相手の食べものでした。
19世紀の初頭には、屋台ではなく、店構えをしたテンプラ専門店ができました。そして、幕末になると、料理番付(江戸のレストラン・ガイド)にもテンプラの名店が載せられたのです。
テンプラ屋が飲食業界での市民権を得て、地位ある人びとも賞味するようになったのですね。
鹿児島のさつま揚げ
前述の通り、鹿児島では「さつま揚げ」のことを「つけあげ」といいます。たくさんの「さつま揚げ」屋さんがある鹿児島では、各店舗で個性ある商品を出しています。共通するのは、ちょっと甘いことです。これは、歴史的に南方の島々から砂糖が取れたこと、そして、鹿児島でよく飲まれている焼酎が「辛い」ので、甘いおつまみが合うことに影響されていると感じます。