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「天ぷら」「さつま揚げ」「つけ揚げ」|地方により呼び方が違い混乱する!その実態は?

山陰地方をドライブしていた時です。和食の店に入り、メニューに「天ぷら」とありますが、どうも写真は「さつま揚げ」なのです。同じようなことを、四国でも経験しました。どうも「天ぷら」と呼ぶものに、地方によって違いがあると気づき、調べてみました。

まず一般的な「テンプラ(あえてカタカナで一般的なものを書きます)」の話

「テンプラ」の歴史は比較的あたらしいのです。

「天ぷら」という言葉に関して日本語に語源を探すことがとても困難です。「天ぷら」は、南蛮人が伝えた料理なので、ポルトガル語に語源をもとめようとする説が有力です。でも、中国から伝えられた料理であるとして中国語に語源をたどる説など、10種類くらいの語源説があるんですよ。したがって、定説はないといえますね。

精進揚げ

黄檗山萬福寺の普茶料理

魚介類を使用せず、野菜だけを材料とする「テンプラ」を「精進揚げ」とよび、区別することがあります。油脂を使用しない日本料理のなかで、寺院で発達した普茶料理などの揚げ物が、「精進揚げ」という名称の起源である可能性が考えられますね。

この「精進揚げ」は、全て野菜なので食材のカロリーは少ないです。しかし、天ぷらですから吸収する油の量で高カロリーですね。

テンプラという名称

テンプラという名前が初めて出たのは、1669年(寛文9年)刊の「料理食道記」のなかの「てんふら」とされます。

「小鳥たたきて、かまくらえび、くるみ、葛たまり」と記されているのです。小鳥のミンチ肉やイセエビを「餡かけ」にしたものと思われますが、これだけの情報では揚げ物であるかどうかはわからないんですよ。

そして、1747年(延享4年)刊の料理書「料理歌仙の組糸」にも出てきます。

「てんふらは何魚にてもうんとんの粉まぶして油にて揚(あげ)る也。菊の葉てんふら又ごぼう、蓮根、長芋其他何にてもてんふらにせんにはうんとんの粉を、水、醤油とき塗付けて揚る也」

衣揚げのテンプラの製法のようなものが、初めて表れています。

幕末に関西と関東の違いを記した「守貞漫稿」

幕末の「守貞漫稿(もりさだまんこう」ではこう書かれています。

「京坂にては半平を胡麻油揚げとなし名づけててんぷらと云油をもちひざるを半平と云也江戸には此天麩羅なし他の魚肉海老等に小麦粉をねりころもとし油揚にしたるを天ぷらと云此天麩羅京坂になし有之はつけあげと云」

関東と関西のちがいを説明していますね。

1)関西でのテンプラは、現在の「さつま(薩摩)揚げ」にあたる魚のすり身を油揚げにしたもの

2)江戸では、現在のテンプラにあたる衣揚げを「つけあげ」とよんだのです。

「テンプラ」は、衣をつけて揚げるから、この場合「つけ揚げ」なんですかね。早くも混乱気味です!

\僕も食べてます・さつま揚げの名店の品です/

鹿児島では

僕の育った鹿児島では、さつま揚げのことを「つけあげ」といいます。大体、地方名がついている食べ物って現地では、地方名のついた名前で呼ばないですよね。

例えば、「明石焼き」は、明石では「明石焼き」とは呼ばず、「玉子焼き」と呼びます。一応、観光客のために看板には「明石焼き」と書いていますが。。。

「さつま揚げ」は、薩摩の島津の兵が琉球に進出したときに、沖縄で「チギアギ(付け揚げ)」とよばれる魚のすり身の油揚げをもちかえり、鹿児島名物のさつま揚げ(鹿児島では「つけあげ」と呼ぶ)となったと言われています。

これは、関東、東北では、「さつま揚げ」と呼ばれています。

しかし!関西ではこれを「天ぷら」と呼ぶのです。

それゆえに、西日本と明治の開拓期に関西人がおおく移住した北海道では、さつま揚げを「天ぷら」とよぶことがおおかったのです。

幕末の「守貞漫稿(もりさだまんこう」にあるように、さつま揚げの仲間の食品を「天ぷら」とよんでいた京都、大阪では、現在でもさつま揚げを天ぷらと呼ぶ高齢者がおおいのですよ。それは、西日本をトライブして物産展に入ると感じます。時々、「さつま揚げ」の商品名を「天ぷら」と表示していますし、高齢者の店員さんに「天ぷらいかがですか?」と声をかけられたりします。

いわゆる「さつま揚げ」を地方によりどう呼ぶか?

Jタウンネットより

江戸時代・江戸でのテンプラ

従来、食用油といえば高価なゴマ油が主でした。江戸時代になると、安価な菜種油が生産されるようになったのです。

そして、油絞りの技術も進歩して、菜種油が手軽に買えるようになりました。このような背景のもと、豆腐の油揚げ、さつま揚げ、テンプラのような揚げ物料理が江戸時代に普及することになったのですよ。

魚介類の衣揚げであるテンプラは、ソバ、ウナギの蒲焼、握りズシとならんで、江戸の街で発達した食べものです。1770〜80年代に、江戸市街の道路の屋台における立ち食いの料理として、テンプラが普及しました。箸を使用しないで気軽に食べられるように、魚、エビ、野菜などを竹串に刺して、衣をつけて揚げたのです。値段も安い大衆相手の食べものでした。

19世紀の初頭には、屋台ではなく、店構えをしたテンプラ専門店ができました。そして、幕末になると、料理番付(江戸のレストラン・ガイド)にもテンプラの名店が載せられたのです。

テンプラ屋が飲食業界での市民権を得て、地位ある人びとも賞味するようになったのですね。

江戸の外食文化3|江戸の料理といや〜「天ぷら」だぁ!日本の代表的料理として知られる「天ぷら」。「江戸三昧(江戸の郷土料理)」の一つとして、江戸料理の代表的なものです。「天ぷら」は屋台に始り、後年高級店へと変化していったのです。 ...

鹿児島のさつま揚げ

前述の通り、鹿児島では「さつま揚げ」のことを「つけあげ」といいます。たくさんの「さつま揚げ」屋さんがある鹿児島では、各店舗で個性ある商品を出しています。共通するのは、ちょっと甘いことです。これは、歴史的に南方の島々から砂糖が取れたこと、そして、鹿児島でよく飲まれている焼酎が「辛い」ので、甘いおつまみが合うことに影響されていると感じます。

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