一般的な西洋料理のコース
現在、一般的に広まっている西洋料理のコースの代表的なものはフランス料理のものですね。以下のようなメニューになる場合が多いです。
- 前菜(オードヴル)
- スープ(ポタージュまたはコンソメ)・パン
- 魚料理
- 肉料理(ビーフ・グラニテ=シャーベット等・チキンローストと品数を増やせる)
- チーズ
- フルーツ
- デザート
- コーヒー・プチフール
このように料理が客の食事の進行状態によって、一品づつ出されてくるものは実は「ロシア式」なのです(中身がフランス料理であっても)。
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かつてはフランス式サーヴィスが主流であった
この食事のサーヴィスの流れを変えたのがアレクサンドル・ポリノヴィッチ・クラーキン 在仏公使でした。
クラーキンは1808年頃に在仏ロシア公使としてパリに来ます。フランスではフランス革命のあとですね。パリはすでに50万人以上の大都市になっています。ナポレオン戦争の真っ只中ですね。
クラーキンの見た光景(フランス式サーヴィス)
ダイニングルームに入ると、大きなテーブルに所狭しと料理が置かれています。たくさんの料理が一度に盛り付けられているのです。
第1のサーヴィス
- オードヴル
- 何種類かのポタージュ
- 魚肉の焼いたもの
- 魚肉の煮たもの
オードヴルの盛り付けは美しかったようです。当時の料理は高く上に盛り付ける演出がされていて、その関係かもしれません。
しかし、魚肉がすぐに冷めたりしました。一応、ローソクの火などでスープは温めてありますが、ポタージュなど何種類もあるのですべて食べられず(西洋ではスープは食べると表現します)不経済。その上に、ローソクで温めている料理であっても煮詰まったりして美味しくありません。
もちろん、給仕はついているのですが、テーブルの端に置いてあるものは、何が置かれているのかはっきり見えず頼みづらい。食べるときにはつい目の前のものだけ食べることになります。
第2のサーヴィス
第1の料理が食べられると次には第2のサーヴィスとして料理が来ます。
- 冷たい飾った料理
- 前菜料理
- 焼いた肉など
これらは第1のテーブルの空いたところに補充する形で運ばれます。つまり、ポタージュの容器が空になると、その代わりに給仕が料理を持ってきます。これは、ルルヴェと呼ばれた大皿のことが多かったのです。ルルヴェは「ポタージュと交代させたもの」という意味から名付けられた料理です。
第3のサーヴィス
上記の第2サーヴィスの空いたお皿を片付けて、デザートの皿を置きます。
- お菓子
- アイスクリーム
- シャーベット
我々はロシア式で
クラーキンはフランス滞在時にはこのフランス式で食べていたのですが、どうも我慢できずに、「我々だけでもロシア式で食べようではないか」と、身内でロシア式の食事を始めました。
つまり、温かいものは温かいうちに。冷たいものは冷たいうちに。というものです。今となっては当たり前のアイデアですが、当時のフランスでは異色のものでした。
視覚中心から味覚中心へ
クラーキンの出身地、ロシアでは18 世紀頃から料理の温度に重きをおいた給仕法だったのです。寒い土地ならではの考えですね。かつてのフランス式サーヴィスで料理を一度にテーブルの上に並べたら、手にとっている料理以外の温かい料理は冷めてしまいます。それなので、一皿一皿給仕する方法がよかったのです。このロシア式サーヴィスがフランス革命以後、「見た目の豪華さより実質を重視する」新興の支配層であるブルジョワ階級に支持されました。そして、このロシア式サーヴィスは19 世紀末になるとより下の階級にまでひろがりをみせたのです。
温かいものは温かいうちに。冷たいものは冷たいうちに。これは現代的な感覚に近いですね。見た目が良くても味が「今ひとつ」の料理を提供されたら、みなさんどうですか。「飲食は味覚中心!」などということは当たり前のようですが、上記のような流れがあって今のコース料理のサーヴィスになったのです。
ロシア式サーヴィス
- 出来上がった料理を大皿に盛り、客に披露します。
- その後、キッチンに持って帰る
- 一人づつの分、切り分けられて(盛られて)、再度持ってくる
この方法だとフランス式と違い、大量の料理を置きっぱなしにするということがなく、各々の料理を適温で美味しく食べられますね。
このロシア式のサーヴィスは長い間かけて1870年頃に定着します。フランスでは、ナポレオン3世が捕虜となり、フランス第二帝政崩壊。ドイツ帝国成立。日本では明治政府成立の時期ですね。ちなみに、1883年(明治16年)に完成した「鹿鳴館」では、現代でよく見る本格的なフルコースがロシア式サーヴィスで提供されています。
先日、書いた「ベートーヴェンの食卓」はフランス式ですね。
つまり大量の料理をできるだけ多くテーブルの上に置くというスタイルです。視覚的には豪華ですね。ちなみに1808年、クラーキンが在仏公使となるのですが、この頃ベートーヴェンは、交響曲第6番「田園」と第5番(通称「運命」)の初演をしています。