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日本橋に行った|日本国道路元標・そして日本橋魚河岸跡を見た

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江戸の繁栄を象徴する日本橋。行かれたことありますか?

日本橋は、有名な歌川広重の浮世絵にもなっていますね。

「日本橋」は、現在の東京都中央区北部の日本橋界隈の広域のことです。その由来は、神田川の派川(分流)、日本橋川にかかっている橋から来ています。

「日本橋」は「橋」と名前がついているので、どうも川にかかっている橋をイメージしますが、江戸の町名のことです。

日本橋は江戸時代10回も焼失した!|20回ほど架け替えられた江戸の象徴・驚きの事実日本橋は江戸の象徴でした。その日本橋が焼け落ちたとは想像できません。ましてや、江戸時代10回も焼け落ちているのです。江戸の大火の記録から消失、日本橋の架け替えなど調べてみました。...

東京都中央区「日本橋」地域(旧日本橋区)

現在の東京都中央区「日本橋」地域には、日本橋本町、日本橋室町というように、住所に「日本橋」を冠する町が21(八重洲だけは日本橋がついていない)もあるのですよ。これだけあると、「日本橋」は広域を指すものと理解できますね。

1947年(昭和22年)3月15日中央区が誕生しました。これは、旧日本橋区と京橋区の合併によるものです。その際に、「現日本橋区の区域の町名呼称は中央区日本橋何町何丁目何番地と呼ぶものとす」とされました。そして、日本橋区の町名は、日本橋の3文字を冠することになったのです。地名に日本橋を残したいという声が多かったのですね。

以下が現在の日本橋地域の町名です。

  1. 日本橋本石町
  2. 日本橋室町
  3. 日本橋本町
  4. 日本橋小舟町
  5. 日本橋小伝馬町
  6. 日本橋大伝馬町
  7. 日本橋堀留町
  8. 日本橋富沢町
  9. 日本橋人形町
  10. 日本橋小網町
  11. 日本橋蛎殻町
  12. 日本橋箱崎町
  13. 日本橋馬喰町
  14. 日本橋横山町
  15. 東日本橋
  16. 日本橋久松町
  17. 日本橋浜町
  18. 日本橋中洲
  19. (八重洲)ここは日本橋とついていません
  20. 日本橋
  21. 日本橋茅場町
  22. 日本橋兜町

日本橋川

徳川家康が関東に移封され、後に江戸幕府が開幕して平川(現在の神田川上中流)につながる神田川開削の天下普請が行われた。このとき、三崎橋から堀留橋までが埋め立てられ堀留となった。これは飯田堀飯田川とも呼ばれていた。

以降、近代に至るまで流域は経済・運輸・文化の中心として栄えた。堀の両側には河岸が点在し、全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わった。上流から鎌倉河岸、裏河岸、西河岸、魚河岸、四日市河岸、末広河岸、兜河岸、鎧河岸、茅場河岸、北新堀河岸、南新堀河岸があった。現在でも河岸周辺に小網町小舟町堀留町など当時を思わせる地名が残っている。

明治になると、道三堀の西半分と外濠(現在の外堀通り)が埋め立てられ、飯田堀は開通した鉄道の飯田町駅との運河としても使われる。1903年明治36年)、市区改正事業によって埋めた区間を再度神田川まで開削し、神田川の派川として日本橋川と呼ばれるようになる。

ウィキペディアより

東京市道路元標

明治政府が日本の道路の起点を定めました。それは、明治6年12月20日、太政官達第413号で、各府県ごと「里程元標」(りていげんぴょう)を設けることを定めたことから始まります。
そして、明治44年、現在の日本橋の架橋時に当時の道路法施行令第八条によって日本橋の中央に「東京市道路元標」が設置されました。

大正9年4月1日に道路法にもとづいて認定された国道の一覧(大正9年内務省告示第二十八号)でも国道の起点は日本橋とされています。やはり日本橋が日本の道路の中心ですね。

かつて「東京市道路元標」は、日本橋の中央にありました。橋の中心に堂々と「道路元標」はあったのですね。

これは東京都電・本通線の架線柱として使用されていたのです。しかし、現在は、昭和47年の道路改修で日本橋の北西詰にある「元標の広場」に移設されています。

これは、日本橋とともに国の重要文化財なのですよ。

日本橋から各地方への距離数も表示されています。

東京市道路元標があった場所に新たに「日本国道元標」が埋め込まれています。文字は時の総理大臣・佐藤栄作によるもの。これは日本橋の車の行き来が多い中、撮りました。道路のセンターラインにあります。撮影はかなりキケンですので、マネしないでください。

日本橋を起点とする国道

日本橋を起点とする国道は7つありますよ。

  1. 国道1号線(旧東海道)
  2. 国道4号線(日光街道・奥州街道)
  3. 国道6号線(水戸街道)
  4. 国道14号線(千葉街道)
  5. 国道15号線
  6. 国道17号線(中山道)
  7. 国道20号線(甲州街道)
「明暦の大火」の跡を歩いてみたら、様々なものが見えてきた!江戸の都市形成明暦の大火はとても大きな火事でした。その後、江戸は火除地を作るなどして、防火対策に重点をおいたのです。その明暦の大火の火元や、火除地を実際に歩いてみました。...

日本橋魚市場発祥之地

そうです。日本橋といえば魚河岸。ここは魚市場の発祥の地です。

現在は乙女広場というものがあり、その説明書きがたっています。

日本橋魚市場の昔の写真がありました

乙女広場にある説明書きの中に興味深い昔の日本橋魚市場の写真がありました。日本橋川の様子です。奥は江戸川ですね。これは日本橋に立って撮影されていますね。

関東大震災により、日本橋魚市場は築地に移転しました。大正12年9月、日本橋の魚市場は壊滅します。その代替として東京市は築地の海軍省所有地を借り受け、臨時の魚市場を開設しました。これが築地市場の前身です。

首都高のプロジェクトで日本橋上空にに青空が、、、

これから再開発、首都高の新たなプロジェクトで、日本橋の上に青空が広がる日が来ることになるそうです。

江戸の外食文化1|始まりは大火事から!明暦の大火がきっかけに現在は多様な外食産業が盛んです。その外食文化の原点は江戸時代にあったのです。ある災害がきっかけとなって外食が人々に広まっていきます。...

現在の日本橋

2040年の日本橋の想像図

三井不動産のHPより

日本橋の歴史、動画でどうぞ

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