また引っ越した。僕は国内・海外を問わず移動が多い生活をしている。移動しているということは、お座敷がかかってるということだ。仕事がある、ギャラがもらえる、生活ができる、と連鎖していくので、われわれゲージツ家には悪いことではない。しかしあまりに移動が多いので、年間を通じて東京にマンションを借りる意味もなくなってしまった。ついにそれを引き払って、東京ではホテルに住むことにした。銀座に近い便利な場所だ。
「尾崎君、もう二十六回も引っ越してるよ」。大学のオーケストラの指導に行ったとき、指導陣の一人でトロンボーン奏者の塚田君に指摘された。桐朋学園の同級生である。自分でも引っ越しが多いとは思っていたが、そんなになっていたか。几帳面(きちょうめん)な彼は二十六回もカウントしていたことになる。
引っ越しの多い音楽家といえばベートーベンだ。まだ音楽大学の学生だったころ、少しでも彼の音楽を身近に感じたくて、ウィーンでベートーベンの家を探したことがある。
「すみません。ベートーベンさんの家はどこですか」。ある人はあちらに行けといい、ある人はそちらに行けという。ウィーンの街をぐるぐる回って気づいたのは、ベートーベンが住んだ家はそこらじゅうにあるということだった。やっとその一つにたどり着いたときには、どっと疲れてしまった。
彼は部屋が散らかると次の部屋へ引っ越した。なんとウィーンだけでも七十九回も引っ越しをしたのである。年一・四回弱。つまり平均滞在時間は約八カ月。部屋が散らかると引っ越す、そういう生活だったようだ。一説には、そば耳を立てられて盗作されると思ったからとか。
引っ越しが多いおかげで、持ち物はシンプルになってくる。その度に不要なものを捨てていくので、当然持ち物は少なくなるのだ。洋服の数は決めていて、新しく買えば、今までの物は捨てる習慣にしている。持っているだけで喜びを感じる、そういった物は一切持たない。最大でもスーツケース二つで生活する。そのような超シンプルな暮らしだが、やればできるものだ。
最近は電子メールがあるので、いくら引っ越ししても知り合いとコンタクトはできる。僕はいつもノート型パソコンを持ち歩いている。お気に入りのMacだ。「みなさん、またまた引っ越しました。今のところ元気ですが、みなさんと同じように明日はわかりません」。先日、簡単なお知らせをごくごく親しい知り合いに出した。すぐに、鹿児島の中学校の同級生で、桐朋学園のピアノ科に行った古橋さんからメールがあった。古くからの友人で、また彼女自身も音楽家であるから、移動の多い僕の身の上を案じて連絡してくれたのだろう。持つべきものは友。心温まって、メールを読む。
「尾崎君、まだ引っ越し続けてるの? 桐朋学園の同窓会名簿ではずっと行方不明になってるわよ。尾崎君のために住所録も書き足しすぎて汚くなって困ってます」
P.S.
この後、もう一回引越しして、今のところ合計27回引越ししたことになります。
2007/04/08
エッセイについて
これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。
\エッセイをまとめた本・好評です!/
\珍しい曲をたくさん収録しています/
\ショパンの愛弟子・天才少年作曲家の作品集・僕の校訂です!/
\レコーディング・プロデューサーをつとめて制作しました!/