エッセイ

尾崎晋也のエッセイ27|「ニューイヤー・コンサート」

新年の初仕事はルーマニア国立交響楽団でのニューイヤー・コンサートだ。最初の一、二年はヨハン・シュトラウスのワルツやポルカを演奏していた。ウィーンの伝統的なスタイルに従っているのだが、ここトランシルバニア地方は昔オーストリア=ハンガリー帝国の南の部分だったことを忘れてはいけない。ルーマニアになったのはつい戦後のこと。シュトラウスのワルツを聴くと、人々の心の中にはその時代へのノスタルジーが湧(わ)き出てくるのだろう。

トゥルグ ムレシュのコンサートホール「文化宮殿」(時計台の右側)

三年程(ほど)指揮し続けた後、新しいスタイルのコンサートを提案した。前半は伝統的なシュトラウスの曲、後半はオペラの中から序曲とアリア、そして合唱などの名場面集。反対もあったのだが、押し切ってやることにした。花が艶(あで)やかに飾られた舞台、お客さんの反応も良く、大成功。僕も楽しく指揮しているように見えることだろう。

2009年ニューイヤー・コンサートの模様 トゥルグ ムレシュ交響楽団

だが舞台裏はとんでもなく忙しい。大抵開演間際になるとテレビ局やラジオ局、新聞社、各々(おのおの)三社くらいずつがアポイントなしで突然やってきて何か話せという。演奏前の精神統一なんて言っていられない。着替え中に突然ノックされたかと思うと、「ラジオだから映らないしいいでしょ」。幸か不幸か、僕はホールのある宮殿内に住んでいるので半幽閉状態。でもこっちは古い複雑な作りの宮殿内部を知り尽くしているのだ。

守衛を巻き込み、こっそり隣のカフェに行けるルートも用意してある。彼らに普段からバナナやお菓子の差し入れをするという日本流気配り戦略も功を奏した。

こんな風(ふう)にルーマニアという国はマスメディアでさえも思いついたように突然現れるのである。英語のインタビューならともかく、ルーマニア語しかわからない記者に向かって、急に今年の抱負なんかしゃべれるものじゃないでしょ。「とりあえず、あなたの様(よう)な記者が来てもすぐに対応できるようにしたい」なんて言ってみたら、その部分は見事にカットされていた。

もちろん演奏中も気が抜けない。演奏時間が短い曲の連続だから、曲順を間違えないか不安になる。トランペットに向かって指揮し始めようとしたら、僕の目の前に座っている年配男性バイオリン奏者が首をイヤイヤと振りだしたことがあった。危うくハープから始まる曲を一曲飛ばしてしまうところだった。あのラジオ局のせいで…と、記者の顔がちらつく。

休憩時間は宮殿の鏡の間という部屋で、県知事や市長、文化省の面々、そのご婦人方に挨拶(あいさつ)しなければならない。毎年なにもこんなときにパーティーしないでも、と思う。前半最後の曲が終わると僕だけが使う階段で舞台裏から二階へ疾走。二階ボックス席裏の専用通路を駆け抜け、三階表の大理石の階段を転ばないように二段昇り。

前監督カザンと

約一分三十秒後にはベネチアから運ばれてきた大きな鏡の横から現れ、皆の前で右手にシャンパングラス、左手にマイクを持ち「ノロック!」とルーマニア語で乾杯の音頭をとっているのだ。「オペラ座の怪人パート2」を作るとしたら僕をモデルにしてほしい。その後、個別に挨拶した後、次の演目のため、先程のルートを逆に駆け抜け後半の舞台に登場するのだ。

一方、オーケストラ、独唱者、合唱団など出演者がいる舞台裏はごった返している。ここもニューイヤーの雰囲気は満点。ワイン片手に楽団員達(たち)はワイワイお祭り状態。その中をどこからともなく現れ、巨漢の合唱団員やほろ酔いの楽団員の脇を疾風怒濤(とう)の如(ごと)く駆け抜ける謎の黒装束。それが新年の僕なのだ。

2005/01/27  

追記

1992にトゥルグ ムレシュ交響楽団の常任指揮者になってから、市の中心にある「文化宮殿」というところに住んでいます。コンサートホールや博物館がある古い建物です。

この「文化宮殿」は、トゥルグ ムレシュがあるトランシルバニア地方がハンガリーだった時代に作られました。有名な観光地にもなっています。

鏡の間の写真を添付します。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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