新料理「裏」物語

台湾に行って酒屋を探したがなかなかなかった!飲酒文化のない台湾|台湾旅行の参考に

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美味しいものだらけの台湾

2023年秋、台湾に行きました。美味しいものだらけで、とても楽しい毎日を過ごしました。

「小吃」という小さな料理というか、小皿料理がまた「おつまみ」にぴったりなのです。夜、この「小吃」をつまみに一杯やろう!と思いました。台湾料理に中国酒!これだ!この組み合わせは完璧だな、と思いつつ酒屋さんを探しました。

酒屋がない!

歩いても歩いても酒屋さんがないのです。これには驚きました。私たちは台南市に主に滞在しました。台南駅近くの栄えている地域に滞在しましたので、ホテルの周りにはお店がいっぱいあります。台湾の紹興酒は一度、神戸の南京町で購入してとても美味しく感じました。「そうだ、台湾紹興酒を買おう!」と街を歩いたのですが、なかなか酒屋さんはありません。

コンビニエンスストアは「セブンイレブン」「ファミリーマート」などたくさんあります。

中を探すと、売っているお酒はほとんどビール。日本のものもあり、台湾ビールもあります。紹興酒はなし(残念!)。金門高粱酒酒のミニボトルはありました。でもこれは度数が50度以上もします。ちょっと求めているものと違います。そんなに酔いたいわけでなく、おつまみと一緒にちょっと飲みたいのです。

やっと酒屋が見つかった!

滞在、3日目にしてやっと小さな酒屋が見つかりました。紹興酒も置いてあります。日本円で1000円くらい。「これ、台湾製のものですか?」と聞くと店主の「そうだ」という答え。期待できます。

台湾の空港の免税店には紹興酒が台湾土産としてたくさん並んでいました(これが結構高価!)。 でも、台湾ではあまり紹興酒を飲むことはないようです。飲むとしたら、高粱酒が飲まれることが多いようですよ。

さっそくたくさんある小吃を置いているお店でその紹興酒を飲んだら、、、、味は「微妙!」。。。。

南京町の紹興酒の方がずっと美味しく感じました(笑)。

紹興酒・2種類の紹興酒を飲んだ!|紹興市の紹興酒と台湾産紹興酒の味は?神戸・南京町(中華街)で大陸の紹興酒と台湾産紹興酒を書いました。両者の味のレポート、そして紹興酒にまつわる話題を書いています。...

台湾ではお酒持ち込みでも大丈夫な店が多い

そもそも台湾の食堂に入っても、お酒のリストはありません。それゆえに、ビールなど飲み物を持ち込んで飲んでもOKのお店が多いのです。(持ち込み料を取られるところもあるので、要注意!/金額は様々です)夜市などは、基本、お酒を持ち込んでも大丈夫です(下の夜市の写真、僕の隣の人はお茶を持ち込んでいますね)。

熱炒

台湾では日本にある一般的な大衆酒場のことを「熱炒(ルーチャオ)」と呼びます。今回、「熱炒(ルーチャオ)」にも行こうと思いましたが、これが見つけることが難しいのです。日本なら駅前にでも行けば、どんな田舎でもひとつやふたつの酒場はあります。台湾では、「食べる」「飲む」と地域でもしっかりした区分があり、お酒を飲めるところは集まっているようなのです。私たちは、数多くある小さな飲食店で食べることが楽しく、そこでちょっと飲みたかったので、わざわざ「熱炒(ルーチャオ)」を探し求めて歩くことは断念しました。

ちなみに、日本で居酒屋というと、子供連れはなかなか行きづらいイメージもありますね。台湾の居酒屋「熱炒(ルーチャオ)」はカジュアルレストランの位置づけです。家族団らんを過ごす人たちなども多く見られるそうですよ。

日式居酒屋

台湾の町を歩いていると、よく「日式居酒屋」という看板を見かけます。「日式」とは「日本風の」という意味です。

台湾では日本統治時代を経て日本料理が普及しましたが、庶民にまで広がるのは民主化された後のことです。「日式」と書かれていると台湾人が日本風の食べ物を提供する店が多いですよ。

1951年、台北の居酒屋

「日式居酒屋」では日本のおつまみ、そして日本のビール、清酒、焼酎などが楽しめます。私たちは台湾の文化に触れたかったので、この「日式居酒屋」には行きませんでした。

台湾の飲酒文化

台湾人は隣国である日本や韓国のように酒好きではありませんが、飲酒文化は日本統治時代から存在しています。日本は島の統治資金を賄うためにアルコールの生産を独占しただけでなく、飲酒文化も輸入しました。特に台湾ビールは日本統治時代から飲まれてきたものです。

日本統治時代、日本高砂酒造株式会社の写真

1920年(大正9年)、安倍幸之助らは日本のワイン業界の仲間を招き、台湾に日本高砂酒造株式会社を設立しました。 当時はビールに対して日本語で「エール」という言葉が使われており、「高砂」は江戸時代からの日本の台湾の慣用名でした。(江戸時代初期から「高砂国」という名称が使われています)

日本高砂酒造株式会社は、日本が資本金200万円を投じて台湾に設立した唯一のビール工場でした。 この工場は敷地面積 14,000 坪を超え、主な設備はハワイから輸入されていました。

当初はビールの輸出を計画していましたが、設立当初は輸出実績が思わしくなかったようです。 そこで経営陣は、免税を享受するために台湾で製品を製造、販売することに決めました。 1922年(大正11年)、日本政府は収入を増やすためにアルコールの国家専売を推進しようとしました。しかし、日本企業の抗議に遭い、彼らは国会議員らにビールの国家専売排除を働きかけました。

1933年(昭和8年)、台湾総督府はビールの国家専売制を導入し、同年7月に施行されました。 高砂酒造の製品は輸出のほか、専売局が一括して売買し、原料はサッポロビール、キリン、サクラの三大ビール会社の協力で確保しました。 台湾銀行もこの急成長するビジネスに投資しました。

台湾の戦後復興後、1945年11月1日、台湾省行政執行局が「台湾総督府専売局」を引き継ぎ、「台湾省政府専売局」に改称しました。

台湾の飲酒可能年齢

日本の飲酒可能年齢は20歳ですね(民法の成年年齢が18歳に引き下げられても、 お酒を飲んだりたばこを吸ったりす ることができるようになる年齢は、20歳のままです。)。

台湾での飲酒可能年齢は18歳です。

台湾の飲酒率

衛生福利部(衛福部)国民健康署の2017年調査によると、18歳以上の飲酒率(1年以内に飲酒した人の割合)は43%(男性53%、女性33%)で843万人相当でした。世界では80%に飲酒経験があり、日本では男性の飲酒率が83%、女性63%(13年調査)というデータがあるので、台湾人はアルコールを飲む人が比較的少ないといえますね。

これでは、酒屋が少ないのはわかります。

台湾人の遺伝的要素/世界一お酒に弱い?

ここでは遺伝学が確かに重要な役割を果たしています。確かに台湾人はアルコールに対する耐性が極めて低いことで知られており、世界で最も低いそうです。

スタンフォード大学医学部が実施した研究では、ALDH2(エタノールを同化する酵素)欠損により、一般人口の47%がアルコールを「適切に代謝できない」ことが判明しました。これは中国(35%)、日本(30%)、韓国(20%)の割合を上回っています。

なるほど、これでは街中にあまりお酒が売られていないわけが分かりますね。

バイクに乗る人が多い

台湾はバイクに乗る人が本当に多いのです。世界一のバイク保有率の国です。台湾では100人あたりのバイク保有率はなんと60人。日本は100人あたり、9人のバイク保有率です。街中でもものすごいバイクの量に圧倒されます。

バイクは日常的に移動手段として使われています。

それゆえに、飲酒すると移動手段がなくなるということもあります。台湾では近年飲酒運転の厳罰化がなされています。

こういうこともあろうかと、、、

日本から紙パックの芋焼酎を持ってきました。以前漠然としたものですが、「台湾内では、お酒をあまり見なかった」という印象があったのです。結局、日本から持ってきた「いも焼酎」を持ち込んで料理屋さんで飲みました。

台湾料理に「いも焼酎」なかなか合いましたよ。

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