お弁当

「平泉うにごはん」は金色堂を連想させるように小箱にうにが敷き詰められていた!

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今回食べた「平泉うにごはん」

「うに」がたっぷりで、中尊寺の金色堂をイメージしますね。(新幹線の中、それも自然光の入りにくい最前列で撮影したので、ちょっと写真が黄色味がかっています。)

平泉

平泉(ひらいずみ)は、日本東北地方岩手県南西部(古代陸奥国磐井郡)にある古くからの地名であり、現在の岩手県西磐井郡平泉町の中心部にあたる

この地域一帯には、平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうち5件が「平泉―仏国土浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の名で、2011年(平成23年)6月26日(現地時間:6月25日)にユネスコ世界遺産リストに登録された日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産であり、東北地方では初の世界文化遺産となった。

ウィキペディアより

中尊寺金色堂

みなさん、平泉には行かれましたか?

平泉といえば中尊寺金色堂ですよね。僕は数回行きましたが、その度に黄金堂の美しさに感動しました。

金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。

内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。

この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。

仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。

中尊寺の公式HPより

お弁当を作った会社/株式会社斎藤松月堂

「松月堂」は、なんと明治26年、一関駅開業当時からある会社です。歴史のある会社なんですね。

明治26年

明治26年頃と思われる駅売店の写真です。売店では、郵便切手、絵葉書、平泉案内誌、お菓子等を販売していたそうです。「いちのせきしょうげつどう」の印半纏(しるしばんてん)を着用しています。当時ではハイカラなかんかん帽をかぶり、ゲートルを巻き編上げブーツを履いていた様子。この人物の後ろに、「平泉案内誌」の看板が見えますね。一関は平泉観光の拠点ですからね。

かんかん帽

日本では明治の末ごろから男性の間で流行りはじめたそうです。それを考えるとこの「松月堂」の写真はかなりモダンですね。大正に入ると洋装・和装問わずカンカン帽をかぶるスタイルが大流行し、昭和初期まで流行は続いたらしいですね。叩くと「カンカン」と音がするほど固い帽子であることからカンカン帽という俗称が定着したらしいですよ。当時は「紳士たるもの外出時には帽子を着用するものだ」というのが常識であったのです。成人男性の帽子着用率は非常に高く、特にカンカン帽の人気は高かったようです。職場においても、夏場の正装として受け入れられていたといいます。

ゲートル

西洋式の巻脚絆(まききゃはん)のことです。

巻脚絆(まききゃはん)は、陸軍軍人が用いたものなのですが、のちには青年団、登山家、土工などの作業場の監督者などが脚絆(きゃはん)のかわりに用いました。

 

 

その理由は、巻き方によって脚絆より自由で便利なためだったようです。

この頃

1891年(明治24年)9月1日に現在の東北本線全線(上野 – 青森間)が開業しました。

建設運営していたのは、日本鉄道会社です。

日本鉄道会社は、かつて存在した日本の鉄道会社である。日本初の民営鉄道会社(私鉄)であり、現在の東北本線高崎線常磐線など、東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線の多くを建設・運営していた。

ウィキペディアから

明治26年の翌年27年には日露戦争が勃発しています。

その当時、脚気が国民病として広まっていました。死亡率が高く、労働力を奪う病気で、国民健康の最大の課題となっていたのです。

文部省が、学校衛生を重視し、1897(明治 26)年、全国の公立学校に学校医を配置しています。これは、世界にも例を見ない画期的なことでした。

「松月堂」大正時代の写真

大正時代と思われる。駅弁販売員の印半纏(しるしばんてん)姿です。ひらがなで「いちのせき」と書いてありますね。

印半纏(しるしばんてん)

鳶職(とびしょく)、大工、左官、植木屋などの職人たちがが着る仕事着です。広袖(ひろそで)または筒袖、丈は腰くらいまでの半纏(はんてん)。仕着(しき)せ半纏、お店(たな)半纏ともいいます。単(ひとえ)と袷(あわせ)があります。紺木綿に家紋、名字、屋号、記号などを背中に大きく、また衿(えり)にも白抜きにしてあるので、この名になりました。

「松月堂」の情報ですが、詳しくは株式会社斎藤松月堂のHPをご覧ください。

東京駅に新しい駅弁コーナーが

よく東京駅は利用します。駅構内を歩いていると新しいお店を見つけました。「駅弁屋 祭」です。

まさしくお祭りのような賑やかさ。毎日、200種類もの駅弁がそろえてあるようです。

日本各地の名物駅弁が200種類以上並びます。東京駅に居ながらにして全国の多彩な駅弁の味が楽しめます。肉・野菜から海の幸まで、各地の名物が駅弁につまっています。
選ぶのに迷ってしまうほどの圧倒的な品数を取り揃えてお待ちしています。

「駅弁屋 祭」のHPより

肉、魚、地方の特徴あるもの、などなど色々な種類分けがされていてみているだけでも楽しいです。詳しくは「駅弁屋 祭」の公式HPをご覧ください。

ちなみに、今回取り上げている「平泉うにごはん」は、ここ東京駅の「駅弁屋 祭」において、常にベスト10に入る人気の駅弁となっているのだそうです。

データ

名称:平泉うにごはん

購入場所:東京駅「駅弁屋 祭」

特製の醤油ベース出汁で煮込んだ蒸しウニと、プリプリ食感で楽しませてくれる大いなる脇役のイクラと茎わかめが醸し出す潮騒のハーモニーは、当社自慢の一品です。

斎藤松月堂のHPより

栄養成分表示(1包装当たり)

  • エネルギー:510kcal
  • たんぱく質:12.1g
  • 脂質:7.4g
  • 炭水化物:98.7g
  • 食塩相当量:3.7082g

アレルギー物質

  • 小麦
  • いくら
  • 大豆

その他のデータ

価格:1380円(税込)

製造者:斎藤松月堂

岩手県一関市上大槻街2-37
電話 0191-26-3000

実食


ご飯(岩手県産米を使用):ウニのエキスが染み込んで、ご飯の美味しさとそれがとてもいいハーモニーを作っている感じです。

イクラ:ちょっと小粒のイクラです。醤油漬けで、醤油の香りがとてもいい感じでした。

錦糸卵:ちょっと味が薄い感じがします。

しその実と若芽の佃煮:しその香りがとてもさっぱりしています。

山ごぼう醤油漬け:独特の味です。味噌漬けかな、と最初思いました。

総評

ウニがたくさんご飯の上に乗っていて豪華です。やはり「蒸しうに」であるため「生うに」と違い少しパサパサしている感があります。しかし、総じて、贅沢なお弁当を食べているという感想を持ちました。お弁当は小箱で、量が少なく僕にはちょうどいいサイズだと感じました。

磯の香りがたっぷりで、目を閉じると目の前に奥州の海、潮騒のハーモニーが広がります。

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