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李白の「客中行」(かくちゅうこう)
さて、今回は李白の「客中行」(かくちゅうこう)です。
まず読んでみましょう。
蘭陵美酒鬱金香 (らんりょうのびしゅ うっこんこう)
玉碗盛來琥珀光 (ぎょくわんもりきたる こはくのひかり)
但使主人能酔客 (ただしゅじんをしてよくきゃくをよわしめば)
不知何処是他郷 (しらずいずれのところか これたきょう)
李白の「客中行」漢詩の意味
蘭陵の美酒は鬱金の芳しい香りがし、
玉の杯になみなみとつがれて、琥珀色に光輝いている。
ただ主人が客人を充分に酔わせてくれると、
異郷であれ 故郷に居ると同じ思いで、異郷・故郷の違いはないのだ。
言葉の意味
「客中行」(かくちゅうこう)とは、旅の途中での歌という意味です。
蘭陵とは場所の名前です。中国、山東省の地名で、酒の名産地であるようです。現代の地図で見ると以下のようなところですね。
鬱金香は西域で採れる香りのある草。またはその草から取った香料のこと。ここでは、その香りをつけた酒を指すそうです。
この詩は、李白が30代半の頃の作品です。山東省の辺りを旅した時の作なのだそうです。故郷を離れてほぼ10年、故郷が恋しくなる頃ではなかったでしょうか。
店の主人から美味しい酒の快いもてなしを受けた李白。旅にあることを忘れさせてくれた と喜びと感謝の気持ちが述べられているように思われます。
僕も職業上、よく一人で旅します。何年も外国に住んだこともあります。故郷を遠く離れて、出会った人に心温かいもてなしを受けた気持ち、よくわかります。李白のこの酒はさぞ美味しかったと思います。まさしく、美酒に感じたのでしょう。
詩とお酒
蘭陵の美酒は鬱金の香りがしており玉の椀に盛ると琥珀色にかがやく、とのことです。諸説あるようですが、鬱金はウコン(Curcuma longa )のことで、鬱金、欝金、宇金、玉金の漢字を持つもの、と解釈できます。
鬱金をつけたお酒と想像すると、お酒は鬱金色になっているものでしょう。鬱金色(うこんいろ)とは、ウコンの根で染めた色のことです。 ウコンのような黄金色でしょうね。
玉の杯に注ぐというのは、石の美しく貴いもの。たま。宝石のような石でできた杯で飲んだのでしょう。優雅ですね。
中のお酒が琥珀のような色、つまり以下のような色に見えたのでしょう。
詩の形式
この李白の「客中行」は七言絶句です。
句の中に七文字あれば、漢詩の種類は七言(しちごん)です。五文字なら五言、七文字なら七言。1句の中に何文字あるかで決まりますね。
そして、この「客中行」は絶句です。
四句(句の数が4つ)の場合、漢詩の種類としては絶句(ぜっく)といいます。八句(句の数が8つ)の場合は律詩(りっし) 。それ以外の場合は古詩(こし) です。
押韻
句末を同じ音でそろえることを、漢詩の世界では、「押韻」(おういん)といいます。この李白の「客中行」の場合、以下の文字で押韻されています。
「香」「光」「郷」
蘭陵美酒鬱金香
玉碗盛來琥珀光
但使主人能酔客
不知何処是他郷
酒仙李白
李白は、中国の盛唐の時代の詩人です。字は太白。号は青蓮居士。
唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされているのですよ。
奔放で変幻自在な詩風から、後世に「詩仙」と称されています。
李白と酒
李白は「酒仙」とまで呼ばれるように酒を愛したことで知られ、飲酒を礼賛した詩を数多く詠んでいる[28]。杜甫は李白をはじめとして賀知章、李璡、李適之、崔宗之、蘇晋、張旭、焦遂という当代の酒豪8人を飲中八仙として取り上げ、「飲中八仙歌」のなかで歌い上げた。
李白はどのような酒を飲んだか?
李白は701年(長安元年生まれで、没年は 762年10月22日(宝応元年9月30日)です。
中国には、醸造酒と蒸留酒があり、「黄酒(ホワンチュウ)」、白酒(パァィ ヂ(ォ)ウ)と呼んでいます。
蒸留酒の白酒(パァィ ヂ(ォ)ウ)は、元の時代 (1279~1368年)に南より伝来しました。
李白の生きた時代を考えると、李白は「黄酒(ホワンチュウ)」を飲んだと考えれます。
黄酒(ホワンチュウ)は、なんと数千年の歴史と伝統を誇る中国固有の酒です(その歴史は4千年とも言われています)。これは世界最古のお酒の一つと言っても過言はないでしょう。酒を詠んだ著名な詩人陶淵明、李白、 白楽天、杜甫などが賞味した酒はおそらく黄酒(ホワンチュウ)だと考えられます。
李白の飲んだ酒を「焼酎」のような蒸留酒と考えている人もいますが、歴史的に考えるとこのようになりますね。
動画でもどうぞ
中国語でもどうぞ
書法「客中行」
僕は書の世界が大好きです。特に中国の書を見るのが好きです。中国では書道のことは「書法」といいます。中国の書法の動画を見ると、「あれ!?書き順が違う!」と僕が習ったのと違うことがあります。とても興味深いです。
日本では教育現場で現在漢字の書き順が定められていますが、過去には書道の流派によって、筆順に大きな違いがありました。国によっても漢字の書き順は違うので、興味深いですね。
この動画は楷書ですね。美しいです。
菅茶山の備前路上(びぜんろじょう)
江戸時代後期を代表する漢詩人、菅茶山はこの李白の「客中行」に影響されて詩を作っています。
菅 茶山(かん ちゃざん(さざん)、延享5年2月2日(1748年2月29日)- 文政10年8月13日(1827年10月3日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。
菅茶山が故郷の福山から京都に向かう途中で作られたものと思われます。春風の中、ほろ酔い気分での旅の様子を詠んでいます。
備前路上
春風輿酔向天涯 (しゅうんぷう よいをよして てんがいにむかう)
乗輿何郷不我家 (きょうにじょうずれば いづれのごうか わがいえならざらん)
此去芳山一千里 (これをさりて ほうざんはいっせんり)
長亭揚柳短亭花 (ちょうていにようりゅうあり たんていにはなあり)
漢詩の意味
春風は酔い心地を乗せて天の果てまで運んで行く。
気分良く過せればどこに行ってもわしの家にいるのと同じようだ。
ここから吉野山まで一千里の旅に出よう。
遠き宿場には柳があり、近き宿場には花が咲いている。
以上、李白「客中行」(かくちゅうこう)に関係する話題でした。