漢詩とお酒

漢詩とお酒|陶淵明(とう えんめい)「飲酒(酒を飲む)」第五

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お酒を飲む時、何をおつまみに飲むでしょうか。僕は漢詩が好きで、漢詩を楽しみながら飲むお酒は最高!だと感じます。お酒には様々な飲み方がありますね。漢詩の中にはお酒を愛でるものが多くあります。今宵は古に思いを馳せ、飲もうではありませんか。

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第一回、今日は陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」です。まずは読んでみましょう。20首の連作の一つです。

陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」第五原文

左から右(→)に読んでくださいね。

結廬在人境
而無車馬喧
問君何能爾
心遠地自偏
采菊東籬下
悠然見南山
山氣日夕佳
飛鳥相與還
此中有眞意
欲辨已忘言

赤字の句は後ほど日本文学に引用された箇所として出てきます。

言葉の意味

  • 廬:草葺きの小さな家/粗末な家
  • 人境:人里
  • 車馬喧:車馬の往来の音が騒がしい
  • 問君:他人に問うのではなく、誰かが自分に問うこと/自問自答
  • 何能:どうして、、、、ができるのであろうか?
  • 爾:そのようなこと/庵を人里に構えて静かに暮らすことを指す
  • 偏:一方に偏る。辺鄙なこと
  • 東籬:東にある籬(まがき)
  • 南山:南にある山/「廬山(ろざん)」のこと
  • 山気:山にかかる靄(もや)
  • 日夕:夕暮れどき

陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」第五書き下し文

廬(いほり)を結んで人境(じんきょう)に在り
而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
君に問う何ぞ能く爾(しか)ると
心遠ければ地も自(おのずか)ら偏(へん)なり
菊を採(と)る 東籬(とうり)の下(もと)
悠然として南山を見る
山の気は日の夕に佳(よ)し
飛ぶ鳥は相い与(とも)に還(かえ)る
此の中(うち)に真意有り
弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る

赤字の句は後ほど日本文学に引用された箇所として出てきます。

陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」第五現代語訳

人里に粗末な廬を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされることはない。
「どうしてそんなことがありえるのですか?」とお尋ねか。
「なあに心が世俗から遠く離れているため、ここも自然と僻地の地に変わるものですよ」。
東側の垣根のもとに咲いている菊の花を手折りつつ、ゆったりした気持ちで、ふと頭をもたげると、南方はるかに廬山のゆったりした姿が目に入る。
山のたたずまいは夕方が特別にすばらしく、鳥たちが連れ立って山のねぐらに帰っていく。
こんな暮らしの中にこそ真意はあるのだ。
それを説明しようとしたときもう言葉を忘れてしまっていた。

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陶淵明(とう えんめい)「飲酒」第五の感想

これは、やすらかな心の持ちようがよく詠まれていますね。「飲酒」は20首からなる連作でどれも素晴らしいです!
田園詩人、隠遁詩人として名声を博した陶淵明(とう えんめい)の有名な漢詩です。

陶淵明(とう えんめい)は、世俗に近いところにいながら、心は静かに保ち隠遁生活を送っています。陶淵明は廬山のふもとに住みました。生涯廬山を背景にして創作を行っています。人里の喧騒に囲まれても、目は遠く廬山を眺め、移りゆく自然を愛でる。自分も自然の一部として感じているのでしょう。
有名な句、
菊を採(と)る 東籬(とうり)の下 悠然として南山を見る」はぜひ覚えておきたい句だと感じます。

廬山

しかし、我慢して息苦しい宮仕をすることを捨てて、のんびり隠遁生活を陶淵明(とう えんめい)は選んだわけだから、大きな決断だったのでしょう(生涯は次の目次を参照してください)。
「よ〜し飲むぞ!」とばかりに隠遁したかのように思われますが、昼間はちゃんと農作業してます(そこまで飲んだくれていません)。
そして、「夕べとして飲まざる無し」ですから、ほぼ毎晩飲んでいたのでしょう。「飲酒」の序文には「私はひっそり暮らしているので楽しみも少ない。しかもこのごろは夜も長くなってきた。たまたま名酒が手に入ったので、毎晩飲んでいる」とあります。なんて素朴な人なんだろうと僕なんか思ってしまいます。そして「酔ったあとは、いつも数句の詩を書いて楽しんだ」とありますから、風流の極みです。

群れて騒ぐのは苦手だ!

いやあ、僕も一人でお酒飲むのが好きなんです。それも自宅で。自分のペースで飲めるし、静かに色々と考えたりして飲めるからです(音楽なんか聞かない!)。繁華街で騒ぎながら飲むのは苦手です。料理が好きなので、大概のものは自分で作れますし(街の居酒屋の料理なんかより断然マシ!)。

ちなみに、僕は自然の豊なところに住んでいます。昼は鶯の声が谷に響き、窓を開けると瀬戸内海の向こうに淡路島が見え、夜は遠方に船の汽笛が響きます。源氏に追われる平家の悲劇の一つ、両馬川(りょうまがわ)旧跡も近く、古に思いを馳せるにはぴったしのところです。

こういう生活の楽しさ、これは言葉ではよく言い表せません。これは、陶淵明(とう えんめい)の言う、「此の中(うち)に真意有り弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る」つまり「物事の真理は言葉じゃ、表せないよ。知りたきゃ、同じような生活をしなさい」と言うことです!(僕はやりたい気持ちはありますが、まだ隠遁してません)

このように、この陶淵明(とう えんめい)の気持ちはよ〜くわかります。お酒は静かに飲みたいと感じる今日この頃です。

陶淵明(とう えんめい)とは

陶 淵明(とう えんめい、興寧3年(365年元嘉4年(427年)11月)は、中国魏晋南北朝時代六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。元亮。または名は淵明。死後友人からのにちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。尋陽郡柴桑県(現在の江西省九江市柴桑区)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世には「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。陳寅恪の研究によると、現在の湖南省にある五渓蛮出身

ウィキペディアより

陶淵明は名前は「潜(せん)」。「淵明」は字(あざな)ですが、陶潜より陶淵明で有名です。長江下流の呉の出身。南方豪族の家の出です。20代の終わりに科挙に合格して官職に就きますが、41歳でそれを辞し故郷に戻って農業に従事します。この時の詩『帰去来の辞』(ききょらい の じ)がよく知られています。

塵世を捨てて隠棲し、田畑を耕し酒を楽しみ詩を詠んで暮らす…名利も地位も求めない理想的な生き方をまだ若い時の詩『五柳先生伝』で詠い、それを実行しようとしますが、その人生は必ずしも理想をまっとうできたわけではありません。

農作業は厳しく、自然災害や火事などにも遭って生活は困窮し、そうなると自分の選んだ人生に迷いや後悔も湧き…後年の杜甫やさらに後年の魯迅は、一見人生を超越し達観したかに見える陶淵明の中途半端ぶりを見抜いています。

陶淵明の詩約120首余りのうち半分の詩には酒が歌われていて、そのうち『飲酒』の連作では酒とともに美しい田園の風景や農村での暮らしが詠まれています。

田園詩人にして隠棲の人・陶淵明は昔から日本人に愛され、その美意識にも影響を与えてきました。

中国語スクリプトより

ちなみに陶淵明の作品は130を超えるのですが、その約半分は酒に関しての詩です。

陶淵明(とう えんめい)の役人人生

陶淵明(とう えんめい)は役人になりますが、とにかく続きません。最後には故郷の田園地帯に隠遁しました。

陶淵明の「飲酒」第五の形式は

五言古詩という形式です。漢詩にはいくつか種類がありますが、絶句は起承転結の4句、律師は2ペアX4のセットで8句。それ以外は古詩としていいです。

古詩は必ず句数が偶数となります。この陶淵明の「飲酒」の場合、10句ですね。1句の中に5文字あるで、五言古詩です。

時々見ているYouTubeです。

陶淵明の飲んだお酒は?

中国のお酒は以下の2つの種類に分られます。

  • 黄酒・蒸留酒
  • 白酒・醸造酒

陶淵明(とう えんめい)の飲んだお酒は黄酒だとして良いと思います。黄酒は数千年の歴史があり、古くから飲まれています。それに対して白酒は元の時代(1279年〜1368年)に南方より伝来されたとされています。よって、4世紀から5世紀に生きていた陶淵明(とう えんめい)はこの酒は味わえなかったでしょうね。

陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」を引用した夏目漱石

日本近代文化史に残る文豪、夏目漱石は「草枕」の中に陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」を引用しています。夏目漱石はイギリス留学経験を持っています。西洋文化にも影響されましたが、日本文学、西洋文学よりも漢文学を終始愛し続けていました。以下の「草枕」の陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」からの引用は、彼が幼少期から正統的な東洋教育を受けて、漢文学に精通していたからこそ書かれた文章です。

うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。只それぎりの裏に暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。只二十字のうちに優に別乾坤を建立して居る。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込む様な功徳である。

ちなみに緑の部分は王維(おうい)の詩、「竹里館」からの一節です。

「草枕」より

淵明把菊(えんめいはきく)

風流をこよなく愛する人のたとえです。「淵明」は東晋(とうしん)の詩人「陶淵明」(とうえんめい)のこと。「把菊」は菊を積むこと。「蒙求(もうぎゅう)」の表題の一つ。

蒙求(もうぎゅう)は、伝統的な中国の初学者向け教科書である。日本でも平安時代以来長期にわたって使用された。日本で広く知られている「蛍雪の功」や「漱石枕流」などの故事はいずれも「蒙求」に見える。

ウィキペディアより

由来

九月九日の重陽の節句に祝いの酒がなく、することがないので菊の花を摘んでいると、郡の長官の使いが酒を持ってきたので、陶淵明(とうえんめい)は喜んで飲み干して、酔って家に帰ったという故事から来ています。

陶淵明の「飲酒」書の世界をYoutubeで

う〜ん、いいですね。僕は書はとても好きで(自分では書かない)、正倉院展など有名な書があると順番を無視してまず初めに書のところに行き鑑賞します。光明皇后の「楽毅論」を見た時には心から感動しました。

この陶淵明(とう えんめい)の「飲酒」の書は行書ですね。素晴らしいです。