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西洋料理はマナーが多い?
西洋料理のディナー(フルコースの出るもの)と言うと、堅苦しいマナー(行儀作法)をイメージする人が多いですね。明治初期、日本に西洋料理が入ってきた時以来、外交の接待はフランス料理でされました。
西洋食文化の理解が急務とされた明治時代、鹿鳴館などでの日本人たちの努力奮闘とは裏腹に、慣れない食事作法への無理解からくる珍事も多く発生したらしいです。そのとき以来、西洋料理はマナーが堅苦しいというイメージがついたのでしょう。
西洋のテーブルマナーは慣れない人には難解で混乱しますよね。フォークとナイフは外側から使わないといけない。ナイフは右手、フォークは左手で。ナイフを使わない場合は、それぞれ利き手でスプーンまたはフォークを持つように。しかし、テーブルセットをあらかじめ自分で変えてはいけない。料理が出てくる度にナイフ・フォークを持ち替えて使用するのがいい。(いずれの方法も隣の人と肘がぶつからないように/特にフランス国内では最悪な事態です!)
食事中に一旦ナイフとフォークを置く場合は、ナイフとフォークが「ハ」の字になるようにお皿に置く。そして、食事が終わったら、ナイフとフォークは揃えて置くように。
などなど、、、。
たくさんマナーがありますが、周りの人を見て真似していればだいたい大丈夫という意見もあります。
僕の持論では、テーブル・マナーなど、まったく習う必要なく、少し目先のきく人なら、ディナーのテーブルについて、少し落ち着いて、向こう三軒両隣りを観察すれば、すぐ察しはつくにきまっている(ただし、まわりがぜんぶ、まったく初めてということになると手がつけられない)。
辻静雄の「フランス料理の手帖」(新潮文庫)より
「まわりがぜんぶ、まったく初めてということになると、、、」う〜ん、やっぱりマナーは勉強してディナーに行った方がいいですね〜。
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中世ヨーロッパ(約500年前)では?
現在と比べると、中世ヨーロッパ(11,12,13世紀)の食卓は全く異なるありさまでした。
当時の王侯貴族は古代からの狩猟生活の名残があり、とってきた動物をさばき、大きな骨付きの肉のまま食べていました。
そして、その肉をテーブルの上に置き、自分たちでナイフで切り分けて食べていたのです。切ったあとは、その肉を「手づかみ」で食べていたというから驚きですよね。ことのほかワイルドだったんですね。
テーブルクロスで手を拭いた?!
テーブルクロスはありました。そして、そのテーブルクロスやランナーを使い、食事中に汚れた手を拭いたり、口を拭いたりしていたのです。
ランナーは、テーブルを装飾するために使われる一枚の布のことです。テーブルクロスのようにテーブル全体を覆うことはなく、テーブルの一部分だけを覆います。テーブルクロスと組み合わせて使ったりすることもあります。
このような状態ですから、長い宴会などでは何回もテーブルクロスが取り替えられたのですよ。
時には小さなテーブルリネンも
テーブルクロスに関しては、このように裕福な人々の食卓には小さなテーブルリネンが添えられていることもありました。
召使いは小さなリネンを持って使えていることが多かったです。上の絵では召使いが肩にリネンをかけていますね。このリネンは、雇い人が食事中に手を洗った後に差し出すためでもあります。
そして、いくつかの布はテーブルの上に直接置かれていました。
中世ヨーロッパでは食事の前後で手を洗っていた
食事の前後では手は洗うことがエチケットでした。「手づかみ」で食べるわけですから、これが理由です。手を洗わないのは無礼の極みであるとされました。
食後は、ゲストは手を洗い、祈りを捧げ、食事を終えました。
器やグラスも数が少なく、隣り合った人と一緒に使用していました(う〜ん、不衛生)。器が少ないので、固い厚切りのパンの上にあぶった肉をのせることもあったそうです。
ちなみに、この当時からイスラム圏の食事作法は、衛生面で厳しいものでした。衛生管理はイスラムにおいて重要なものだったからです。
手食文化圏のインドでは、高度に発達した文明の中で、やはり食事に厳しい衛生管理がされています。
中世ヨーロッパが舞台の映画の中でも
そういえば、フランコ・ゼフィレッリ監督の「ブラザー・サン シスター・ムーン」の中で、主人公(アッシジのフランチェスコ)の家族の突然の教会への訪問により、司教が食事を中断させられるシーンが印象的でした。
アッシジのフランチェスコ(1182年 – 1226年10月3日)の生きた時代はちょうど12世紀から13世紀ですね。
その時、司教は手づかみで肉を食べていたのです。舞台は13世紀初頭です。(ちなみに、あの映画は若い時にみて感動しました!/「ブラザー・サン シスター・ムーン」は中世の修道士、聖フランチェスコの物語を題材に、信仰に目覚めた若い日々に焦点を絞った青春映画)
(食事を中断され、ひどく不機嫌に教会から出てくる司教)
王侯貴族や上層階級がこんな状態ですから、庶民の生活は推して知るべしですね。
中世ヨーロッパの上流階級の食事/動画でもどうぞ
中世ヨーロッパの庶民は、、、
「食事に七人以上の人間が列席している場合には、誰かが殺されても参加者は責任を問われない」
このような法律がありました。つまり、庶民は、大酒をのみ、大騒ぎをして、最後には掴み合いが始まり、、、、。それゆえに、上記のような法律ができたそうです。こうなったら、マナーどころではない、凄まじい状態の食卓ですね。
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中世農民の食事/動画でもどうぞ
メディチ家とは
イタリアの名門・メディチ家は銀行家、実業家、政治家としてフレンツェを実質的に支配した名家です。豊富な財力で多くの芸術家たちを支援したことでも知られていますね。
メディチ家は、ルネサンス文化の興隆に欠かせない存在です。その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ヴァザーリ、ブロンツィーノ、アッローリなどの多数の芸術家をパトロンとして支援したことはよく知られています。
メディチ家の結婚式がきっかけに、、、
1533年にこのメディチ家の7代目当主ロレンツォⅡの孫娘カトリーヌ・ド・メディシス(1519-89)はフランス王家に嫁ぎました。
結婚した歳はなんと14歳です! 当時の富裕層の女性の初婚年齢の平均は17歳のはずです。それにしても早い結婚ですね。富裕層女性の結婚年齢がこんなに若いのは、彼女らの父親や親族が娘の結婚相手をはやく決めて家系を磐石のものにしようとしたからなんですよ。
結婚した相手は、フランスの第2王子オルレアン公アンリ・ド・ヴァロワ(後のアンリ2世)。
結婚式は1533年10月28日にマルセイユで挙行されました。
その際、カトリーヌ・ド・メディシスに付き添ってきたイタリア人料理長は、フランス王家の人たちのテーブルマナーの野蛮さに驚いたそうです。
(カトリーヌ・ド・メディシスの結婚)
結婚パーティーの様子/そのテーブルマナー
フランス人たちの間では、中世から続いている「手づかみ食い」が行われていたからなんです!
ちょっと想像すると面白いですね
メディチ家側はすました顔でマナーよろしくフォークナイフで食べ、片一方、フランス王家の人たちは手づかみで豪快に食べている。メディチ家の人々がフランス王家の人たちを見て愕然としたことは容易に想像できます。
これがきっかけとなって、このメディチ家専属のイタリア人シェフが書いたカトラリーの使い方などをまとめた本、「食事作法の50則」が生まれたのです。この本は世界初のテーブルマナー専門書だと言われています。
この作法がイギリスとフランスに広まる
やがて「食事作法の50則」はイギリスなどヨーロッパ各地へと伝わります。その中に書かれたテーブルマナーは広まっていくのですね。特にイギリスとフランスは自国のプライドにかけて、基本のマナーに独自のアレンジをほどこすようになりました。(イギリス式とフランス式でテーブルマナーが大きく違うのはこのためなのです。)最終的には19世紀イギリスで、現代に伝わるテーブルマナーが確立したと言われています。
イギリス式
日本でもフォークを右手に持ち替えずに、ライスをフォークの背に乗せて食べる方がいらっしゃいます。これは正式なイギリス流のマナーなのです。(イギリスでは、はしたない行為ではありません。)イギリス流では、最後まで、左手にはフォーク、右手にはナイフを持ちます。
フランス式
左手にフォーク、右手にナイフを持ってステーキをカットしたとします。カット後に、ナイフをお皿の上方に置き、フォークを右手に持ち替えて肉を刺して食べる。これはフランス流の正式な食べ方です。
細かいことはまたの機会に書きますが、イギリス式マナーとフランス式マナーはこのように別れました。
カトリーヌ・ド・メディシスがフランスにもたらしたもの
カトリーヌ・ド・メディシスは多数のフィレンツェの料理人をフランスに連れて行きました。
なんと、その数、約200人!
そして、恵まれた素材により発達したイタリア料理の技法をフランスに伝え、それが現在のフランス料理の基になったと考えられています。「フランス料理のルーツはイタリアにあり」、とも言えるのです。
カトリーヌ・ド・メディシスがフランスにもたらしたもの・番外編
香水
フランスの宮廷に嫁ぐカトリーヌ・ド・メディシスには、レナート・ビアンコ Renato Bianco(後にフランス名レネ・ル・フロランタン René le Florentin)という調香師が従っていました。そして、このレナート・ビアンコによる香水がフランス貴族、裕福な階級の社会に広まったのです。
レナート・ビアンコ(レネ・ル・フロランタン)とカトリーヌ・ド・メディシス
このカトリーヌ・ド・メディシスが香水をフランスに持ち込む前は、フランスではポマンダーというものを使用していました。
ポマンダー
フィレンツェからカトリーヌ・ド・メディシスが、花嫁介添え人、近習たち、警備員と大勢を引き連れマルセイユに到着しました。その時に、フランス側の迎えの人々、そして地元民たちは、女性達が首やベルトに付けていた金や銀の球、そしてそれを時折鼻に使づけ香りをかぐ様子に疑問を感じたそうです。その金属の玉に入れたれていたのが、「ポマンダー」と呼ばれる軟膏状のものです。
香水の使用はローマ期において大変に栄え、その後忘れ去られていたのです。しかし、カトリーヌ・ド・メディシスのいたフィレンツェでは香水はよく使われていました。場所によりずいぶん文化継承の格差があったのですね。
ポマンダーの中身
さて、フランス側の使っていたポマンダーとは、ポム・ダンブル(琥珀色の林檎)、ポマンドル、ポム・ド・サントゥール(香りの林檎)などとも呼ばれ、もともとは龍涎香(りゅうぜんこう/アンバー・グリス、稀少で価値の高い、極めて強い香りのマッコウクジラの排泄物)のかけらを、精巧な細工・彫刻を施した貴金属製の小さな球形の容器にはめ込んだものです。
龍涎香(りゅうぜんこう)は動物性の香料で香の王様(The King of Perfumaery)とか、香料の至宝などとも呼ばれていました。超最高級な香料として昔から知られていたのですよ。龍涎香を使っていたとしてクレオパトラや楊貴妃の名前も残っています。世界の香水産業の中では極上な香りとして昔から高値で取引されました。ちなみに2006年、オーストラリアで発見された14.75kgもの”龍涎香”は、その当時の日本円にして、3000万円以上です!!!
ポマンダーに使用していた龍涎香は、その他成分とペースト状に練り合わされていた可能性もあります(希少なもので高価だから)。そして、このポマンダーには、シベット(霊猫香、ジャコウネコの分泌物)やムスク等、芳香性且つ強壮・保護・魔除けの力のある動物の排泄物の香りも使用されていたそうです。
カトリーヌ・ド・メディシスは調香師を連れてきた
イタリアではハーブの調合が盛んで、修道院には必ず専門の調香師がいるほどでした。上記、カトリーヌが連れてきたレナート・ビアンコによる香水が大いに活躍したのですね。
ちなみにレナート・ビアンコは、パリの・サン・ミッシェル橋の近くに店を持ち、裕福な貴族達の為に香水や化粧品を提供して繁盛したそうです。いずれにしても、フランス香水界に多大な貢献をしたのは、イタリア(フィレンツェ)人だったのですね。
カトリーヌ・ド・メディシス/波乱万丈の人生
カトリーヌ・ド・メディシスはその後、残忍な王妃として歴史に名を残すことになります。その原因は、「サン・バルテルミの虐殺」の首謀者ではないか、とされているからです。(しかし、この事件は本当にひどい!)その内容はこの記事のテーマではないために書きませんが、ご興味あるかたはリンク先をご覧ください。14歳でフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシス。その頃はこういう大きな事件に面するなんて考えもしなかったでしょう。人の運命ってわからないものですね。
なんとルイ14世までも!手づかみで?
ルイ14世(在位1643~1715年)は、「太陽王」といわれたフランス絶対王政の全盛期の国王です。世界史の授業でも必ず勉強しますよね。
フランスはルイ14世の当時、人口約2000万人でヨーロッパ随一の国力を持っていました。
ヨーロッパ最大の陸軍力を実際に発揮して、侵略戦争をつづけ領土拡張を実現、現在のフランスの領土とほぼ同じ範囲を領土としました。国力の充実を示す事業として、ヴェルサイユ宮殿などを造営したのはよく知られていますね。
ルイ14世は、17世紀から18世紀初頭に在位していましたが、なんと、その当時でさえ「手づかみ」で食事していたのですよ。
1715年にフランス王ルイ14世が亡くなったとき、彼の胃は普通の人間の2倍の大きさだったと言われています。それだけ食べることが大好きだったのですね。
どうも暗殺防止のためらしい
17世紀にはフォークが普及し始めていましたが、ルイは指で食事をすることを好んだのです。フェルナン・ブローデルの「日常性の構造」によれば、ルイは自分の子供たちにもフォークを使うことを禁じていたのだそうです。
太陽王ルイは、宮廷人がスプーンやナイフを使うことは認めていました。しかし、それは角が丸くて鈍いものに限られていたそうです。1669年、ルイは食卓で使うナイフの先が武器にならないように、角をとって削るように命じている記録があります。
以上、ヨーロッパの食事マナーの話でした。
\なるほど!そう繋がっていたのか!一読オススメします/
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