美味しい魚を求めて九十九里浜に行ってきました。
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九十九里浜
九十九里浜は、千葉県にある66キロメートルの海岸です。長いですね。それは旭市(旧飯岡町)刑部岬(ぎょうぶみさき)からいすみ市(旧岬町)太東岬(たいとうみさき)の間なんですよ。
源頼朝が太東岬から刑部岬(ぎょうぶみさき)の間を1里ごとに矢を立てたところ99本に達した伝承から九十九里と呼ぶようになりました。
イワシ、アジ、ワラサなどの魚だけでなく、はまぐり、ナガラミなどの貝類でも有名な九十九里浜ですが、やはり九十九里浜といえばイワシですね。
イワシ漁は江戸時代から盛んだった
千葉県の九十九里浜はイワシの水揚げが日本最大であり、イワシ漁は江戸時代から盛んに行われていました。
天正18年(1590)、徳川家康は江戸城に入城します。江戸は政治の中心となり、全国からきた大名たち、そしてその家臣、彼らの生活を支える商人、様々な職人が集まりました。まさに大都市です。
食べ物が足りない
江戸を作った初期、人口は急速に増えていきます。食料の供給が追いつかなくなるのです。それは、当時の関東の漁法では大量に魚をとることができなかったからです。そこで、関西から技術的に優れた漁師たちが多数関東にやってきます。
肥料が足りない
江戸時代の初め、関西の農村では収益性の高い作物である綿作が盛んでした。この栽培には肥料として、イワシを日干しにして作る肥料干鰯(ほしか)や、イワシを煮て魚油を絞った残りの〆粕(しめかす)が大量に使用されるようになったのです。
関西の漁民は先進的な漁法と、その加工法を持っていました。彼らは、肥料干鰯(ほしか)や〆粕(しめかす)を求めて、その漁場をどんどん東に広げ、ここ九十九里浜もその活動範囲になりました。
イワシを求めて関西から
はじめは、関西からの旅網(たびあみ)と称する季節漁が中心だったのですよ。旅網は、五大力船(ごだいりきせん、ごだいりきぶね)と呼ばれる15石から20石の物資運搬用の船を使いました。そこには、魚網、漁具、寝具や炊事道具、衣類から当面の食料までを積んでいたのです。一隻には、網元以下16人ほどが乗り込んで船出しました。それが旅網です。
関西から房総に定住した漁民
旅網の関西漁民より、地引網(じびきあみ)や八手網(はちだあみ)による鰯漁が房総に伝えられました。そして、房総は全国的な干鰯生産地となります。漁師たちは、拠点となる地に集団で旅網として出稼ぎ漁を行いました。
しかし、旅網は旅先領主と関西の出身藩の両方から取られた高額な魚税を取られます。そこで、出漁先に土着する者も現われました。それがこのイワシ漁の一つの歴史です。
現代のイワシ漁
カタクチイワシ
イワシといってもマイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシなど複数の種類がありそれぞれに漁獲時期が違うそうです。
今回はカタクチイワシのごま漬けをご紹介します。
回遊するカタクチイワシ
この辺りでは「カタクチイワシ」は「セグロ」と呼ばれているので「セグロのごま漬け」という名前の方が正しいかも知れません。
いずれにしても九十九里の方々にとっては、日常の身近なお料理のようですね。
イワシのごま漬けとは
この大量に獲れたイワシを新鮮なうちに調理して保存するために酢締めにしたのがイワシのごま漬けです。
イワシは陸揚されるとすぐに鮮度が落ちるので、新鮮なうちに酢締めにして長期間楽しめるようにと考えられた生活の知恵なのですね。九十九里浜の近くでは、魚屋さんでもスーパーでも手軽に買うことができます。
冷凍になっているものもあるので1年中いただくことだってできます。
調べてみるとネットでも見つかりましたのでいつでも楽しめそうですね。
お魚屋さんの奥さんに教えてもらいましたが、この辺りでは各家庭で「セグロのごま漬け」を作るので、カタクチイワシをたくさん仕入れても午前中でほとんど売り切れてしまうそうです。
こちらのお店では、カタクチイワシ以外でもいろんなお魚でごま漬けを作っていて、私たちも今回は鯛のごま漬けをいただきました。白身の魚なので淡白でクセもなく、とても美味しかったですよ。
セグロのごま漬実食!
こちらはスーパーマーケットで購入したセグロのごま漬けです。
保存食なのでしっかり締めてあり、歯応えがあります。新鮮な魚を使っているため臭みもなく身がしまっていますよ。
塩と甘酢で締めるところは他の酢締めと変わりませんが、生姜とゴマをたっぷり使うところが特徴のようです。黒ゴマのプチプチした食感と独特の香りがおいしいです。