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食べ物のことわざ|柳の下のドジョウ

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「柳の下のドジョウ」は、もとは「柳の下にいつも泥鰌は居らぬ」なんです。このことわざは、それを簡略化したものです。


川柳

このことわざの中のやなぎ、背高のしだれ柳などではなく、川辺にこんもり繁る低木の川柳でしょうね。


しだれ柳

ドジョウの呼び方

ドジョウは地方によって呼び方が色々とあります。

  • 石川県河北郡:「ウマナ」
  • 鹿児島:「ジツクリ」または「ドジュクリ」
  • 和歌山県海草郡:「トドヨ」
  • 滋賀県旧坂田郡:「ドロンボ」
  • 山形県村山地方・福島県北部:「ドンキ」
  • 島根県岩美地方・岡山県真庭郡・広島県旧芦品郡:「ドンキュー」
  • 石川県鹿島郡:「ノロマ」または「ノロ」
  • 青森:「メロ」

僧侶の使う隠語

珍しいものでは、「踊り子」というものがあります。これは、ドジョウを生きたまま味噌汁に入れると、苦しがって躍り上がるところから来ています。僧侶の使う隠語です。これはちょっと残酷ですね。

泥鰌汁なんまいだぶも三度まで

江戸川柳です。生きたままドジョウを鍋に入れるとすぐにおとなしくなることからきているのでしょうね。

ドジョウの語源

ドジョウの名前は、ドロセウ(泥髭)の義であるとか、髭のある魚だから土尉、または泥尉、また、土長、さらに、ドロスミウオ (泥棲魚)からドジョウとなったという説があるようです。そして、泥生(ドジョウ)とか土生(ドジョウ)の意味とも言われます。けれどもドロツオ(泥津魚)、泥の中にいることからドジョウとなったとするのが良いと思われています。

ドジョウの漢字

鯲・鰍・鰌・鰼

たくさんありますね。どれも書くのが難しそうです。

ドジョウを柳の下で釣りたくなる?

川やなぎが影を落としているようなところには、フナをはじめ、タナゴ、ドジョウなどが泳いでいそうな感じがしますよね。釣り人は、フナ釣りに行ったとき、思わず釣り糸を垂れたくなるのしょう。

ドジョウはたまたま?

こうした場所で、たまたまドジョウを獲ったからと言って、いつも、その場所にドジョウがいるとはかぎりませんよね。偶然に幸運を手中にしたからと言って、同じ方法で再び幸運を期待し得ると考えない方がいいのだと言う経験から得た庶民の知恵にちがいありません。ドジョウは、川や湖、沼のうち、水が濁り、底が泥質で、水温が割合高いようなところに好んで棲んでいます。どぶ川や水田にもふつうに見られますので、わたしたちには、なじみの深い魚ですよね。

ドジョウの上下運動

夏場、魚屋の店先に置かれた水桶の中のドジョウを見ると、しきりに上下運動をしています。水面からちょっと口を出し、空気を一呑みしますと、直ぐに頭を下に、尾を上にして水底に沈んでいきますが、先ほど呑み込んだ空気は、そのとき、腸で呼吸され、肛門から気泡となって外に出されます。これは、腸呼吸をするためです。空気を吸いにくるからですね。この上下運動、一見、ドジョウが水中で踊って見えるようなところかドジョウのことを「オドリコ」の名でも呼ぶことがあります。(上記、僧侶の使う隠語という説もあります)

天然と養殖のドジョウ

晩春から盛夏の繁殖期に強い農薬の影響を受けるので、天然ドジョウは急速に激減したそうです。しかし、最近、やっと増えてきたそうで、遊休田を養魚池にして養殖もしているのですよ。

全国では、大分県がドジョウの養殖1位です。

養殖ドジョウ日本一を誇る大分県では、平成23年の生産量が10tに達しました。稚魚期の飼育方法の改善によって、種苗が安定的に確保できるようになったことに加え、養殖管理技術が向上したことが、生産量の増加に貢献しています。
大分県のドジョウ養殖は、県農林水産研究指導センターが、平成14年に全国に先駆けて開発した泥を使わない屋内養殖技術を用いています。従来の休耕田を利用した水田養殖と違い、地下水を利用し底土を敷かない屋内コンクリート水槽で生産されるため、ドジョウ独特の泥臭さがないのが特徴です。また、水温が低下する冬期にドジョウは成長しませんが、水槽の水温を25度に保つことで、養殖期間は1年から半年に短縮され、年間を通じて安定供給することが可能となりました。この方法で生産されたドジョウは、「骨を感じない柔らかな食感」と「えぐ味のない旨味」を兼ね備えているため、都内のどじょう料理の老舗店からは「最高の品質」との評価を受けています。ほかにも、北陸地域での蒲焼き用、トキやコウノトリなど希少鳥類の餌として出荷されています。

全国知事会のHPより

ドジョウは冬の間は、泥の中で冬眠していますので、痩せてまずくなっていますが、春になると、夏の産卵にそなえて餌をたくさん食べますので、太っておいしくなります。ドジョウの成長は雌が早く、その数も雌は雄よりも多いです。満2年で成魚となります。

ドジョウの料理

大きいは亭主にゆづる泥鰌汁

江戸川柳です。

小さなドジョウは、ドジョウ汁か丸煮にするのがふつうで、ごぼうやだいこんなどを入れたみそ汁は、コイのみそ汁と同じようにむかしから強精造血の効があり、また、母乳の出をよくすると言って賞味されてきました。大き目のは、開いて頭と骨を去り、蒲焼きにするのがおいしいとされているのですよ。

ドジョウ汁

ドジョウ料理の効能

その薬効は古くから知られています。胃潰瘍を治し、胃腸内のはれや、ただれ・痛みをとる効果がある。貧血症に良いとされています。

衰弱した人にも良いと言われます。リューマチや神経痛で痛むところには、ドジョウをさいて皮を貼りつけると良いということも。スタミナをっけるのにこれを食べるということも信じられています。ドジョウは田植が終わったころから旬に入ります。田より沼地でとれたものがが上等であるとされているのはご存知ですか。ドジョウは酒の気をさますから、ドジョウ鍋で酒を飲めば悪酔いしないというのですが本当でしょうか。

江戸時代のドジョウ料理

守貞漫稿」には、「骨抜きどぜう鍋」として文政(1818~1830)初期、江戸の南伝馬町三丁目の裏店(うらだな)に住んでいた万屋某が、ドジョウを裂いて、骨、首、内臓を取り除いたものを鍋で煮て売ったとあります(この「守貞漫稿」は江戸時代後期の三都(京都・大阪・江戸)の風俗、事物を説明した一種の類書百科事典)でかなり興味深いものですよ)。久須美 祐雋の「浪花の風」には、同じ時期、文政(1818〜1830)の初め江戸本所大川端石原町の石井某という鰻屋で骨抜鰌を初めて製したと書いてあります。

その後、天保(1830〜1844)の初めごろ、横山同朋町で、これも裏店(うらだな)住まいの四畳ばかりのところを客席として「ドジョウ鍋」を売り始め、家号を「柳川」とした、と記されています。そして、各地にこの商売が広まっていきます。やがて「ドジョウ鍋」を「柳川鍋」とよぶようになるのです。

「柳川鍋」の名前はどうもこの天保年間にはじまると考えていいでしょうね。(僕は柳川地方、つまり福岡県の南部、筑後地方の南西部に由来すると誤解していました!)

「ドジョウ汁」が一椀十六文であるのに対し、「ドジョウ鍋」は三倍の四十八文でした。当時、「夜なきそば」は十六文でしたから、「ドジョウ汁」は下層の人たちが愛好したもの、「ドジョウ鍋」は、高級なものと考えられますね。

裏店(うらだな)

「裏店」とは、江戸時代に多く建てられた、裏路地や商店の裏側にある借家のことです。反対語・対称語は「表店」(おもてだな)です。「裏店」は、その多くが長屋であったことから、別名「裏長屋」とも呼ばれます。表通りには裕福な商人や地主が店舗を構えていました。しかし、裏通りは商売に適した立地ではないため、並んでいた家は比較的粗末なものだったのですよ。住んでいたのは大工や左官、小商人や日雇いなどの下層庶民が多くを占めていたのです。「裏店」の広さは1戸あたり間口は9尺(約2.7m)〜2間(にけん:約3.6m)、奥行は2〜2間半(約4.5m)ほどです。狭いですね。畳の部屋と、土間に台所があるだけの簡素な造りであったのです。

有名な浅草駒形の越後屋

ドジョウ鍋

慶安太平記」の丸橋忠弥のセリフに「けさ家を出るときに向い酒で三合呑み、それから角のどぜう屋で」とあります。「角のどぜう屋」は浅草駒形の越後屋で、享和元年(1801年) 初代越後屋助七が開業したといいます。現在は「駒形どぜう」で知られていますね。

柳川鍋の土鍋は、京坂では伊賀焼、江戸では今戸焼を用いたそうです。

以上、ドジョウのことわざの話題でした。