トピック

食べ物と西洋音楽の関係|音楽家の社会的地位・ハイドンとパトロンとの驚くべき契約書とは

本投稿にはプロモーションが含まれます。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (1732〜1809)

ハイドンは交響曲の父と言われ、モーツァルトやベートーベンに先駆けて多くの名作を残した古典時代の巨匠です。オーストリアの作曲家。

\僕の好きなハイドンの交響曲です/

生涯のほとんどをハンガリーの最大貴族エステルハージ家に仕えました。ちなみに、当時はハンガリーはオーストリアの中に組み込まれていたのですよ。

ハイドンはエステルハージ家でまず副楽長として働きましたが、その契約内容とは、、、

契約内容

1)楽長ヴェルナーは聖歌隊の音楽を担当するので、彼に服従すること。ハイドンはそれ以外の演奏やオーケストラ全ての指導権を持つ。

2)ハイドンはエステルハージ家の従僕であるから、それにふさわしい行動をとること。部下の楽員に粗暴な態度をとらず、温和、寛大、率直かつ沈着であること。賓客の前で演奏するときは制服(白の靴下、白のリンネル、かつら)を着用し、本人や楽員全員が揃って見えるようにすること。

3)楽員を指導し、彼らの模範になるように不当な親交を避け、飲食、談話に中庸を保ち正しく行動し、平和を保つように部下を感化すること。

4)公に命じられた音楽を作曲する義務がある。それらを他の人に与えてはならない。また、許可無く他の人のために作曲してはならない

5)昼食の前後には次の間に控え、公が楽団の演奏を希望されるか否かを伺うこと。希望の場合は楽員に伝え、彼らが時間を守るように注意・確認すること。

6)楽員たちの間に不和・苦情が起きたときは、調停すること

7)すべての楽譜と楽器を管理し、不注意・怠慢によって破損した場合は責任をとること。

8)歌手や団員を訓練すること。また本人も楽器練習に励むこと。

9)部下にこれらの義務を守らせられるよう、契約書のコピーを与える。

10)規則を遵守し、秩序ある楽団運営をすること。

11)年棒は400グルデン。年4回の分割払い。

12)従僕たちの食卓で食事をとるか、代わりに食事手当1日半グルデンを受け取ること。

13)3年契約とし、満了時に退職を希望する場合は6ヶ月前に届けること。

14)これらを守るならば3年間の雇用を保証し、楽長に昇進させる可能性もあるが、反するならば公はいつでもハイドンを解雇できる。

赤で書いてあるところは僕が面白いと感じたところです。そのポイントを書きましょう。

ベートーヴェンの食卓|もし楽聖から食事に招待されたら、、ベートーヴェンはどのような食生活を送っていたのでしょうか。様々な記録から彼の食卓の様子が想像できます。そこに招待された客にどういう結末が待っていたかなど大変興味深い話題も残されていました。...

音楽以外の項目が多い

2)の楽員に乱暴な態度で接しないこと。そういう楽長が過去にいたのでしょうね。
3)は飲み過ぎの輩を取り締まれということです。あと、喋りすぎですね。楽員たちは喋ってばっかりで練習しなかったのでしょうか。
6)喧嘩が起きたら収めよ、ということも書いてあります。楽員は相当乱暴者が多かったのでしょう。酒を飲んで仕事に来たり、楽譜は読めるけど字が読めないとか、様々なことがあったようです。
12)はとても興味深いです。ハイドンに料理人や掃除人、庭番、馬番など他の従僕たちと同じ場所で同じ食事せよ、と言っているのです。

音楽でも

陛下のお望みの音楽があるかどうか聞くこと。そして、毎日、次の間に控えよ。命令が下った場合、楽員を統率して指定の時間を厳守して演奏せよ。ということですね。

その音楽の特徴は

食卓の傍に位置して演奏するので、消化に良い音楽でなければいけません。今では、BGMが自分の好みの音量で簡単に聞けますが、その当時は人の手により演奏されていました。自然とバランスのいい中庸な音楽になったのですね。

料理と音楽の結婚

このように、教会音楽以外の音楽は密接に料理とつながっていました。お喋りや食器を運ぶ音、食べる時の食器の音、などがカチャカチャ鳴り響く部屋(石造りだから余計に響きます)の中で、演奏しないといけなかったのです。純粋なものを求める音楽家にとっては屈辱的ですね。

時にはフォルテ(強い音)で弾くな、とか、食事を邪魔しないために、音楽は「食前」か「食後」にしろ、などと注文されました。

料理と音楽の幸福な離婚

音楽は食卓からちょっとだけ遠いところで演奏されるようになりました。ドイツのコーヒー・ハウスなどです。バッハのコーヒー・カンタータはコーヒー・ハウスで演奏されるためのものでした。コーヒーを飲み、目の覚めたような感覚で聴かれる状況は、それ以前の食事中に演奏されるのとは違う環境ですね。

公開演奏会

ついに音楽は食事、喫茶から独立します。商品経済の中にコンサートという形で音楽が流通してきたのです。公開演奏が1780年代に盛んになります。それに従って音楽家も食卓のお飾り的なものから独立します。もう、ご主人様のご機嫌をとりながら食事中に演奏しなくてもよくなったのです。この頃、コンサートホールが登場します。

音楽家は召使から「芸術家」になりました。

一方料理は

料理も王侯貴族の食卓から離れます。レストランが登場したのです。

1765年、パリに「ブーランジェ」が開店しました。レストランの始まりです。上記、公開演奏の時期と近いですね!レストランは料理を味わうために、あらゆる階層のために公開された場所です。コンサートと似てますね。

召使の料理人もここで、召使から「芸術家」となるのです。

こちらの記事もオススメ!