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ワインの歴史2|中世以降のワイン製法/修道院の役割と技術革新による変化

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修道院がワイン作りを発達させた

紀元後5世紀頃にローマ帝国が滅びた後、ヨーロッパの修道院にてブドウの栽培が始まりました。そしてその修道院でワイン作りが大きく発達します。

「修道院」は、修道士がキリスト教の精神にのっとって集団で生活する場のことです。英語では「monastery」と呼びます。特に女子修道院は「convent」と区別して呼ぶこともあります。

あまり知られていないのですが、初期キリスト教徒は「一人で」修行を積んでいたのですよ。

そして、4世紀頃からは今でも見られる共同で生活しながら祈りを捧げる集団生活の形態が生まれました。そして、その生活の拠点を「修道院」と呼ぶようになったのです。

地方の支配者はこの修道院に広大な土地を与えました。そして修道士たちが森林を切り開き、沼地を埋め立てていったのです。人の少ない土地に計画的で組織立った農業がもたらされるのに、この統率された修道院が大きく働いたのですね。そして、ブドウの栽培は北フランスやドイツに広がっていきました。

ワインとビールは欠かせない

ワインは「聖体拝領」や正餐(ディナー)に必要とされ、ワインやビールは日常的な消費、客のもてなし用、そして販売用にも作られていたのです。

「聖体拝領」とは、おもにカトリックの用語で,ミサ聖餐においてキリストの体となったとされるパンとワインを食することです。この儀式のためにワインは欠かせないのですね。カトリックのミサにおいては、聖体の秘跡、つまりパンとワインがイエスの体と血に変わること(聖体変化)とそれを信徒が分け合うこと(これが聖体拝領)がとても大事なのです。

中世時代、ブルゴーニュ地方のワインが有名になっていきました。ブルゴーニュ地方は、パリの東南部、リヨンの北部に位置する山がちの地方です。

中世後期以降/フランスとイタリアのワイン

フランスは次第にヨーロッパのワイン生産地として卓越した地位を獲得していきます。1600年までに、フランスのワインはイギリスやオランダへの重要な輸出品となっていたのです。特にボルドーは港町という利点を利用しました。

イタリアは政治的および経済的環境が悪かったために、ワイン作りではフランスに後れを取りました。19世紀半ばまで、一つの国家というよりも都市国家の集まりであり、それぞれに保護税をかけ国際貿易がなかったのがその理由です。

その影響で、イタリアではフランスのワイン生産地のように競争力がなく、ワインの改良も進まなかったのです。イタリアでは、ほとんどのワインは地元で消費されて、ブドウの木はブドウ園でなく、小作人の畑で他の作物の間や樹木に這わせて栽培されていたのですよ。

新しいワイン

シェリー酒

近世には、ブドウ果汁の発酵およびワイン貯蔵において素晴らしい変化がいくつかみられます。1600年よりすこし前、ブランディーを加えるとワインの品質が安定化し新しい風味も加わることが、スペインで見出されました。これが、シェリー酒です。

日本ではシェリー酒として独立したお酒のように扱われることがありますね。しかし、れっきとした「ワインの一種」です。これは酒精強化ワインですね。酒精強化ワインというのは、ワインを醸造する際に高アルコールの蒸留酒を加えて、アルコール度数をおおよそ15~22度にまで高めたワインのことです。

貴腐ワイン

1650年頃には、一般には有害とされるカビがブドウに繁殖すると、非常に甘く濃縮された美味しいワインになることがわかりました。こうして生まれたのがハンガリーのトカイ・ワインです。このカビは貴腐菌といいます。トカイ・ワインとは、ハンガリーの首都ブタペストの北東230kmに位置するトカイ地方で造られるワインのことです。甘いので、食後のデザートワインにいいかもしれませんね。僕はルーマニアでもハンガリーの近くで活動していることが多く、このトカイ・ワインはとても身近でよく見るものです。

シャンパン

1660年ごろの話です。その当時、2月、3月の極寒のシャンパーニュ地方から樽でワインをイギリスへ送っていたのです。その時期は寒くて発酵が一時停止した状態になっています。そして、春になって暖かくなると酵母の発酵が始まります。

フランスのシャンパーニュ地方から白ワインを輸入していたイギリスの貿易商は、発酵が完了する前に樽から瓶に移すことで美味しい発泡ワインになることを発見しました。発酵で出た二酸化炭素がワインに溶け、グラスに注いだ時に泡ができました。イギリス人は、この泡の出る白ワインを面白がってボトルに詰め、コルクで栓をしました。これが世界初の「シャンパン」と言われています。

ポートワイン

初めてのシャンパン製造の数十年後には、ポートワインが生まれました。ポルトガルからイギリスに濃い赤ワインを海輸する際の品質を保つためにできたのです。腐敗を防ぐために出荷前に蒸留酒を添加した結果、甘い赤ワインができたのですね。これもシェリー酒と同じ酒精強化ワインです。

上記のようにポートワインはイギリスに輸出する為に造られ始めたワインです。現在でも高品質なポートワインの最大のマーケットはイギリスなんですよ。

二つの大きな技術革新

17〜18世紀には二つの大きな技術革新がありました。アンフォラに代わって木の樽が使われだして、ワインの長期熟成は不可能となりました。


アンフォラ

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二つのワイン製法での技術革新

しかし、長期熟成が以下の二つの技術革新により再び可能になったのです。

  • 細長く強化されたガラスによるワイン瓶
  • コルク栓

イギリスで発泡性のシャンパンが生まれたのは、瓶に栓をするのにそれまでの布ではなく気密性の高い圧縮コルクを使うようになったことと、内圧に耐える丈夫な瓶が手に入るようになったことによります。

ガラス瓶自体は、紀元前3,500年から2,000年頃にエジプトの墓にある壁画にガラス製造の風景が描かれており、想像も付かないほど古くからガラスは人々の生活と密接に関わっていたようです。棒に粘土を付けて芯にし、棒を回しながら溶かしたガラスを粘土に巻き付けて作られていたようですよ。大変貴重で、ファラオの宝物だったと言われています。

その後、もっと安く簡単に作ることができる「吹きガラス技法」が紀元前1世紀ぐらいに発明され、その後、大量に製造されるようになりました。そして17〜18世紀、ガラス製造に薪の火ではなく高温の石炭が使われるようになり、ガラス強度が高まったのです。

18 世紀になると、ワイン瓶は太短いフレスコ型から現在の細長いものへと変わっていきます。

太短い瓶が使われた時は、樽から直接食卓に出すか、太短い瓶に1、2日しか入れておけなかったのです。

瓶が細身になって横に寝かせておけるようになると、中のワインでコルクが湿ることにより、瓶に空気が入り込むこともなくなりました。こうして何年も腐らせずに貯蔵できるようになり、場合によっては風味が非常に良くなるようになったのです。

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