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古代のワイン
古代のワイン作りの痕跡は以下の多くの場所で見つかっているのですよ。
- レバノン
- イラン
- ギリシャ
- シチリア
残っているワイン作りの痕跡は、東欧と西アジアの境界に当たるイランのザグロス山脈で発見された紀元前5400〜5000年ごろの陶器が一番古いとされていました。しかし、近年これよりも古いものが、ジョージアの首都トビリシから50キロ南方の遺跡2カ所で見つかったのです。
今から約8000年前の土器の破片に、ブドウを発酵させてワインを作った科学的痕跡があることが分かったそうです。
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貿易に大事な役割を果たしたワイン
紀元前3000年以降、ワインは西アジアおよびエジプトにおける貿易の大事なものでした。野生のブドウも最初のものは赤が多かったのですが、エジプトには色の違う異変種がありました。それを使った白ワインも作られていたそうです。
ワインにおけるアンフォラの重要性
エジプトでは、大きな粘土製の瓶「アンフォラ」の中でブドウ汁を発酵させました。この方法で何年もかけてワインを熟成させることができるようになったのです。それまでは、おそらくジョージアのクヴェヴリのようなものにブドウを「そのまま入れ」放置し、発酵させた方法をとっていたと思われています。
ジョージアのワイナリーを訪れた話題はリンク先にあります。どうぞ、ご覧ください。
以下の写真は、ジョージアのクヴェヴリの中に入る筆者
ブドウを「そのまま入れ」放置し発酵させるとなると、液体とともに様々な不純物が混ざりますよね。古代エジプト人たちはブドウを搾汁し、ブドウの液体だけを発酵させることを考えました。この方法でワインの品質を向上させたのですね。
驚きの古代エジプトでのワイン製品管理
アンフォラを使ったワインの作り方ですが、まず瓶の中身のブドウ汁を味見します。そして、等級を決めて瓶に印をつけます。そして、栓をして、泥で密封したらしいです。
ファラオの墓から見つかったアンフォラ(ワインを入れる瓶)の多くに、生産された日付、地域の札が下げられていたそうです。
時にはアンフォラにつけた札に、簡単な説明と作り手の名前が書かれていました。このことからワイン鑑定が古代から行われていたということがわかります。これはおそらく偽物のワインでなことを証明するためにも記載されたものであろうとも思われています。
現代でもワインの原産地はボトルに貼ってあるラベルに書いてありますよね。古代エジプトで、ワインの原産地呼称制度の原型とも言えるような仕組みが既にあったのです。これは驚きです!
古代エジプト壁画から見るワインの作り方
上の壁画は、トトメス4世の書記で天文官であるナクトの墓に描かれていた壁画です。ワインの醸造工程を記した壁画ですね。右側にアーチ状に棚仕立てされたブドウの木が見えますね。ブドウ園の様子が想像できます。
そして、右側の2人の人物は、ブドウ園でブドウを収穫しています。
左側の人物を見てください。ブドウを踏んで搾汁し、隣の石の桶に液体を流していますね。そして、1人がそれを集めています。よく見ると、ブドウを踏んでいる人たちはつり革のような紐を掴んで体を安定させています。これは圧搾中のブドウはぬるぬるして滑りやすいため、転ばないように紐を持っているのです。
そして、奥に見えるのは、紛れもなく「アンフォラ」、ワインを入れる瓶です。絞ったブドウの液体をそこに入れ、発酵させたのでしょう。この壁画でどのような工程で古代エジプト人がワインを作っていたか分かりますね。
搾汁した液体はアンフォラに入れられ封をしましたが、エジプトは暑い気候だったので、発酵が急速に進んだと考えられます。
ワインを楽しむ古代エジプト貴族
第18王朝の高官ネブアメンの墓には、御馳走や酒、そして音楽やダンスを楽しむ宴会の様子が描かれています。興味深いのは、下段に大量のアンフォラが見られることです。右側にたくさん積んでありますね。
この壁画は、貴族が見世物を見ながら酒を楽しむような宴会の様子です。しかし、他のある壁画には飲みすぎたせいか嘔吐する人の姿も描かれているそうですよ。
古代エジプトでは、お酒を飲み酔うということは、楽しみのため、そして死者や神と交流する手段でもあったそうです。古代エジプトの王や貴族たちは、かなりの量のワインを消費していました。
古代エジプト庶民はビール
古代エジプト庶民の方はというと、もっぱらビールを飲んでいました。現在では、ピラミッドの建設に携わる労働者は、一般に信じられているような、または映画に出てくるような奴隷ではなかったと考えられています。労働者たちは家族と一緒に暮らしており、労働の対価としてパンや肉などの十分な食事が与えられ待遇が良かったらしいのです。そして労働者たちには毎日ビールが振る舞われていたと言われています。ワインが庶民の飲み物となるのは、ヘレニズムやヘブライズムの時代になってからなのです。
ギリシャ・ローマ時代のワイン
ブドウの木はフェニキアやギリシャの貿易商によって地中海地域全域に広がりました。そして、ギリシャ人の間にディオニソス崇拝が確立されてきました。
ディオニソスはブドウ酒と酩酊の神です。酩酊の神、というのがすごいですね。
紀元前700年頃のホメロス(西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者)の時代までには、ワインは一般的な飲み物になっていきます。
興味深いことに、ギリシャではアルコール度の強いワインが作られ、飲む前に水で薄められたのですよ。ワインの等級付も行われていきました(等級の低いワインを奴隷が飲んだのでしょうね)。イタリアでは紀元前200年頃にようやくブドウ栽培が確立されました。非常によく根付いたために、ギリシャ人は南イタリアの土地を「オエノトリア(Oenotria=ワインの大地)」と呼ぶようになったそうです。
ローマでのワイン
その後、2世紀にわたって、ローマではワイン作りの技術が大きく発展します。
プリニウスの「博物誌」では、全37巻のうち1巻がなんと全てブドウの木にあてられています。その中でプリニウスは「今では無数の品種があって、同じブドウでも土地が違えば全く違ったワインになる」と述べています。特によくブドウが育つのは以下のように書いています。
- イタリア
- ギリシャ
- エジプト
- ガウル(フランス)
ローマでもエジプトと同じく密封したアンフォラを使って腐敗させずに何年もワインを熟成してしていました。ギリシャ・ローマ時代には、ワインの貯蔵と風味づけに、樹脂、または樹脂から精製したピッチ、塩、スパイスなども使われていたのですよ。スパイス等を入れるというのは、このことによってワインの味はどのようになるのでしょうね。
ワイン製法における樽の登場
その後、数世紀のうちにワイン作りで樽が一般的に使われるようになりました。北ヨーロッパからギリシャ・ローマに樽を作る技術が伝わったからです。そして、アンフォラ土器は消えていきました。
樽は軽くて割れにくいというのが長所です。欠点は気密性が低いということです。それゆえに、樽にワインを入れて4、5年も貯蔵しすると酸化が進みます。不味くなるのです。アンフォラが消えたこととともに、優れた熟成ワインも姿を消してしまいました。よい熟成ワインが再び出てくるのは、1000年以降も経ってコルク栓が開発された時期まで待たなければいけませんでした。