エッセイ

尾崎晋也のエッセイ71「運命との格闘」

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「ジャジャジャジャーン!」

そう「運命」だ。このタイトルは俗称で、ベートーヴェンが弟子に「運命はかく扉をたたく」と言ったとされることからこう呼ばれている。こういう口伝はあてにならないが、言い得て妙である。

熱情ほとばしる、いわゆる「運命」のテーマ。古今東西の指揮者たちはこのたった五小節に意味を持たせて悩み、またこれと格闘してきた。簡単な話、この冒頭部分は指揮が難しいのだ。実はこの出だしの前には休符がある。つまり本当は「ンジャジャジャジャーン」であり、この「ン」が悩みを増長しているのだ。作曲者のテンポ表記に従うと、この「ン」の時間は〇・一四秒。この〇・一四秒が悩みの種なのである。この瞬間の休みの後、間髪入れずに何十人の奏者が最強音で演奏開始しなければならない。

またこの最強音というのがくせ者で、ただ強いだけではいけない。これは指揮する上で、タイミングと表現との板挟みにもなる。タイミング重視でいけば表情が薄い強音になり、表現重視だとバラバラに空中分解してしまう恐れがある。奏者も内心怖いのだが、もちろんここはこわごわ弾けない。だがフライングして飛び出してしまうと、給料が飛び、運が悪いとクビも飛ぶかもしれない。だからみんなおのずと遅めに出る。またその遅めというのが国や楽団によって微妙に違うのだ。

むりやり正確に出させることもできるが、練習でできても、演奏会で奏者の精神状態がどうなるかわからず、結果は神のみぞ知る、ということにもなりかねない。タイミングと表現、エトスとパトスの戦いなのである。それだけにこの出だしだけは指揮法のルールを越えたものが許される。そういう曲なのだ。古今東西の指揮者たちは、この冒頭部分に色々な試みをしてきており、そこに個性をみることもできる。

いにしえの巨匠には面白い例がたくさんある。フルトヴェングラーは、緊張を高めるために指揮棒を高くかかげ、しばらく震わせてから振り下ろしたそうだ。想像するに怖ろしい瞬間だ。トスカニーニの映像を見ると、必ず下から上に指揮棒を上げる時に音が出ている。すごいとしか言いようがない。メニューインは逆立ちしてこの曲の出だしを指揮した。ヨガの成果を披露したいのだろうけど、これは冗談の範疇(はんちゅう)。

四月二十四日の定期演奏会。約十年ぶりにこの曲を取り上げた。今まではタイミング重視で指揮していたのだが、今回は違う。「エィ!」と一振り、気合いで指揮した。心中に考えをめぐらせる間もなく振り下ろしたのだ。電光石火、ゼウスの怒りのような四つの音が出た。コンサートマスターも上手にリードしてくれた。彼に感謝の意を伝えると「もう私たちは十四年も一緒に舞台を踏んでいますからね」。そうか、技術に信頼関係をプラスするのを忘れていたな。また、翌日のランチの時、若いウエイトレスが注文をとる前に言った。「昨晩の指揮はいつもとかなり違いましたね」。「へぇ、わかった?」「だって十歳の時からあなたの指揮を見てますもの」

2008/05/11

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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