エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|60「ジョルトの死」

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午前九時、携帯電話が鳴った。「シンヤ、大変よ。ジョルト・ライヒマンが亡くなったのよ」。秘書のエディトの暗く、泣きそうな声に、僕は言葉を失った。

すぐにオフィスに向かうと、ぼうぜんとしたエディトと音楽秘書のマルタとがいすに座っていた。そこに劇場支配人のムレシャンが泣きながら入ってくる。「なんでなんだ。シンヤ、下の大ホールに降りて、みんなと話してくれ。今日のコンサートはできないよ。つらくてオーケストラと話せないよ」

ジョルト・ライヒマンは優秀なバイオリン奏者で、皆から好かれている明るい冗談好きの二十七歳。昨夜自宅で心臓発作のため、突然亡くなった。

とにかく大ホールに降りる。舞台や客席に点々とメンバーがいた。この日のために選抜された十六人の弦楽オーケストラ。そのうち三人が欠けていた。ジョルトと彼の奥さん、そして彼の叔母のバイオリン奏者だ。ジョルトの親友のチェロ奏者、ペーテルが大泣きする声が、ホールの乾いた空気を震わせていた。とにかく皆と話さねば。団員を集め話そうとする僕の言葉を遮るようにペーテルが叫んだ。「やるぞ。やるんだ。彼のためにも絶対に弾く!」うなだれて集まる団員。ただ一回、夜のプログラムを通して練習した。

ジョルトの死はすぐに地方紙に伝えられ、文化宮殿の玄関、そして玄関ホールの壁に黒枠のお知らせが張られた。二メートル四方の大きな黒旗が文化宮殿にたなびく。街行く人は遠くからでも悲しいしらせを知るのだ。

一人のバイオリン奏者の死はこの街では大きい。ハンガリー系が大多数を占めるこの街のオーケストラは、近隣から自然とハンガリー系の音楽家が集まり、まるで家族のようなつながりをもって活動してきた。トランシルヴァニアの歴史の翻弄(ほんろう)にも耐えて存続してきた。血のつながりのある者も多い。

七時になり、団員が厳しい表情で舞台に集まった。支配人が中央に進み、観客にジョルトの死を告げる。一曲目はジョルトのために演奏したい、拍手は遠慮してくれ、という旨が伝えられた。団員は悲しみをこらえ、心を音楽に向けようと一意専心の思いで待っている。僕はお辞儀もせず、指揮台に登った。舞台側面には花に飾られたジョルトの大きな写真。そして多くのキャンドルの火が並んでいる。

バッハのニ長調の澄んだ和音が沈黙を打ち消した。組曲三番からエアー。「G線上のアリア」の原曲だ。僕は黙とうの後、終始目を閉じて指揮していた。ロ短調に変わる部分で、耐えきれなくなったペーテルのおえつがホールに響いた。泣きながら弾いていた。彼は来週、ジョルトとリサイタルを開く予定だった。

演奏は終わった。まだペーテルはうつむいて泣いていた。

客席前列に座ったジョルトの奥さんが、黒衣で悲しみに耐えていた。観客も涙を浮かべている。僕の指揮台の左横にはジョルトのいすがおいてあった。それは黒い布に包まれ、主人のいない愛用のバイオリンが置いてあった。

「さようなら、ジョルト」

2007/06/10 

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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