エッセイ

尾崎晋也のエッセイ|23「テクノロジー」

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国が変われば、事情も変わる。音楽然(しか)り、テクノロジー然り。

ルーマニアではファクスがあまり普及しなかった。一九八九年の民主化の後、急速に国が変わったのだ。国が解放された頃(ころ)はすでに世界は電子メールの時代に突入していた。ファクスなどより電子メールの方がコストも安いし、便利だ。だからファクスの時代を経過せず、いきなり電子メールの世界になってしまったというわけだ。

2006年リハーサル風景

携帯電話も然り。共産主義時代もそうだったが、革命直後は電話を申し込んでも、持てるようになるのに酷(ひど)い場合は二カ月近くもかかったのである。

そして民主化後急速に携帯電話が普及した。携帯だと申し込んだその日に電話ができる。だから家庭電話を経験せずに、いきなり携帯電話を持つという人も多かった。一歩一歩、技術革新を見つめてきた僕らの目には、特異なこととして映る。

若い世代は順応が早い。すぐに携帯や電子メールを使いこなせるようになった。それとは対照的に、古い世代は日本などよりもっと大変である。いきなりハイテクノロジーの時代到来である。精神的に右往左往している状態の人が多い。僕らのオフィスの監督達(たち)もその一員である。

僕は音楽を担当する監督だが、僕の上に監督と名前がついた人達が二人いる。なんだか偉い人だらけのオフィスだ。その内(うち)の一人、総合監督のカザンは合唱の指揮者でもある。彼は最近アメリカ人の知人からパソコンをもらった。最新式だそうだ。得意そうに持ってきた彼の周りにスタッフが集まった。「これってシンヤのマシンよりいいじゃない。すごーい」なんて皆で盛り上がっている。しかしカザンが困った顔で話しだした。「どうやって使っていいか分からないんだ」

2009年、共演者のロシア人ピアニスト・ナビューリン(中央)、そしてカザン(右)と

幸いなことに僕の配下の二人の若い秘書はコンピューターエンジニアでもある。「なんだ、だったら彼らに教えてもらえば」ということで、話は済んだと思った。

その日の深夜、秘書のカーチの家の電話が鳴り響いた。カザンだった。「カーチ、オーケストラの予定表をきれいに保管したいんだよ」「じゃあそこにパソコンを置いて、言ってみて」。カザンが怒るように言った。「カーチ、君のパソコンと私のは違う会社の物なんだよ。今日見たんだから分かるだろう」。結局、カーチがウィンドウズのソフトが一緒で電話で言えば分かると何回説明しても理解してもらえず、次の日の朝、げっそりやつれてやってきた。笑えない。

もう一人の監督ムレシャンは経済担当である。彼は元プロの民俗音楽の歌手でもあった。声は人一倍太い。ルーマニアが共産主義だった頃から高い地位にあって、電話も何もかも持っていた彼だが、新しい技術にはこれまたついていけない。電話一つとっても、どうも共産主義時代の癖が抜けないのだ。

ムレシャンの歌声を聞けます

その当時は回線が悪く、ものすごいノイズが会話中に入り、相手の声もよく聞き取れないことが多かった。ムレシャンは時々怒鳴るような声で電話する。彼によれば、その時には遠くの町の人と話していると言う。これがすごく滑稽(こっけい)なのだが、本人は真剣なのだ。本当に笑えない。

僕と両監督の部屋は入り口は同じだが、入ると壁で仕切られた二つの部屋に分かれている。僕の秘書達は、パソコンを自在に操り、黙々と仕事をしている。隣の部屋には大きな一メートル半くらいのオーケストラの予定を書いた紙が張られ、常に電話口での怒鳴り声が聞こえている。その部屋はいつからか「歴史博物館」と呼ばれるようになった。

2004/10/14 

P.S.

現在、ルーマニア国立トゥルグ ムレシュ交響楽団は新監督を迎え、新しい出発をしています。カザンは残念なことに、2020年10月、在任中、コロナウイルス感染症のため亡くなりました。ムレシャンは引退して、街で楽団員が時折見かけるようです。

エッセイについて

これは南日本新聞に11年間150回にわたり連載した「指揮棒の休憩」というエッセイです。長く鹿児島の読者に読んでいただいて感謝しています。今回、このブログにも掲載します。

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