漢詩とお酒

漢詩とお酒|于武陵(うぶりょう)「勧酒(さけをすすむ)」

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お酒を飲む時、何をおつまみに飲むでしょうか。僕は漢詩が好きで、漢詩を楽しみながら飲むお酒は最高!だと感じます。お酒には様々な飲み方がありますね。漢詩の中にはお酒を愛でるものが多くあります。今宵は古に思いを馳せ、飲もうではありませんか。

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第二回、今日は于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」です。まずは読んでみましょう。

于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」

左から右(→)に読んでくださいね。

勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離

言葉の意味

  • 金屈卮:曲がった柄のついた金属製の杯
  • 満酌:杯いっぱいに酒を注いだ状態
  • 足る:とても多い ~だらけだ

于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」書き下し文

君に勧(すす)む金屈卮(きんくつし)
満酌(まんしゃく) 辞(じ)するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨(ふうう)多(おお)し
人生(じんせい) 別離(べつり)足(た)る

于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」現代語訳

あなたに勧めよう、この金の杯を。

杯になみなみと注がれた酒を遠慮する必要はない。

花が咲くと雨や風(にさらされること)が多くなるように

人の世も別ればかりが多いものだ。

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于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」の感想

この漢詩では、第4句、「人生(じんせい) 別離(べつり)足(た)る」が有名です。金屈卮(金の酒杯)という豪華な取っ手付き杯を第一句に書き、友人に自分の大切な盃でもてなしている様子で始まります。金の酒杯ですから、すごいですね。「さあ、遠慮するでない」と伝えていますね。友人は遠慮していたのでしょうか。

おそらく、この友人は意気消沈して于武陵(うぶりょう)を訪れたと思われます。花が咲いても嵐で散ることもある、この世で変化しないものはない、と于武陵(うぶりょう)は友人に伝えていますね。励ましている温かい気持ちを感じるのは僕だけでしょうか。

「人の世も別ればかりが多いものだ。」と伝えることで、この世は思い通りにならないことが多い、その中で生きようではないか、と励ましの気持ちを伝えたかったと感じます。

こういう漢詩はお酒を飲みながら一人味わいたいものです。そうすると、まるで作者(于武陵(うぶりょう))が、自分に語りかけてくるように感じるものです。于武陵(うぶりょう)が「この世はそのようなものだ。君もその中で生き抜こうではないか」と語りかけてくるのです。これが、文学の良さですね。まるで作者と対話しているように味わうことができます。

そして、詩の内容を、「ひとごと」として冷めた目で傍観するのではなく、まるで「自分のこと」のように共感する部分を味わってこそ感動が生まれると思うのです。僕のやっている音楽も一緒ですね。コンサートに行き舞台の上に自分の人生を見る、ような、、、そのような聴き方をすると感動がより深くなります。

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于武陵(うぶりょう)とは

中国の詩人。名は(ぎょう)。武陵はであるが、通常は字で呼ばれていた。京兆府万年県杜曲(現在の陝西省西安市長安区杜曲街道)の出身。

宣宗大中9年(835年)に進士となったが、官界の生活に望みを絶ち、書物と琴とを携えて天下を放浪し、時には易者となったこともある。洞庭湖付近の風物を愛し、定住したいと希望したが果たせず、嵩山の南に隠棲した。

今、『于武陵集』一巻が残っている。

ウィキペディアより

中央官僚の職を辞したのですね。書物と琴(きん)を手に放浪生活に入ったことが興味深いです。山中で隠遁生活を送ったといわれます。

于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」の形式

この漢詩は五言絶句です。これは、漢詩の形式の一つで、1句に5語、全部で4句20語の最も短い詩形です。

起承転結の形式

五言絶句は全部で4句で以下のようになっています。

  • 第1句:詠い起こす(起句)
  • 第2句:前の句を受けてそこから発展させる(承句)
  • 第3句:場面を転換する(転句)
  • 第4句:全体を結んで終わらせます(結句)

これが起承転結で、五言絶句の漢詩は必ずこうした作りになっています。

五言絶句の押韻

は巵・辞・離。漢詩、特に唐代以降の近体詩は1句2句4句で韻を踏みます(1句は踏まないこともあります)。これが押韻(おういん)です。「韻」とは発音した時耳に残る音の響きのことです。押韻は同じ響きを持つ語を句の終わりに置くことで、音声的な美しさを作るのですね。

この漢詩では、押韻は巵・辭・離です。

勸君金屈
滿酌不須
花發多風雨
人生足別

于武陵(うぶりょう)が飲んだお酒は?

中国のお酒は以下の2つの種類に分られます。

  • 黄酒・蒸留酒
  • 白酒・醸造酒

于武陵(うぶりょう)の飲んだお酒は黄酒だとして良いと思います。黄酒は数千年の歴史があり、古くから飲まれています。それに対して白酒は元の時代(1279年〜1368年)に南方より伝来されたとされています。よって、9世紀に生きていた于武陵(うぶりょう)はこの酒は味わえなかったでしょうね。

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于武陵(うぶりょう)の漢詩からインスピレーションを得た太宰治・「グッド・バイ」作者の言葉

唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。
題して「グッド・バイ」現代の紳士淑女の、別離百態と言っては大袈裟おおげさだけれども、さまざまの別離の様相を写し得たら、さいわい。

これは、太宰治の未完の作品「グッド・バイ」に対して作者が言葉を添えたものです。

『人間失格』を書き始める前の1948年(昭和23年)3月初め、朝日新聞東京本社の学芸部長末常卓郎は三鷹の太宰の仕事場を訪れ、連載小説を書くことを依頼する。なお『グッド・バイ』は依頼を受けて初めて構想されたものではなく、すでに太宰の中で練られていたものであった。末常はこう述べている。「彼が描こうとしたものは逆のドン・ファンであつた。十人ほどの女にほれられているみめ麗しき男。これが次々と女に別れて行くのである。グッド・バイ、グッド・バイと。そして最後にはあわれグッド・バイしようなど、露思わなかつた自分の女房に、逆にグッド・バイされてしまうのだ」

その直後の3月7日、太宰は『人間失格』の執筆のため熱海起雲閣に向かう三鷹市大宮市(現さいたま市)と執筆の場所を移しながら書き続け、5月10日に脱稿。5月12日に自宅に戻り、5月15日からようやく『グッド・バイ』の執筆を開始した。5月下旬、第10回までの原稿を朝日新聞社に渡した。6月13日にこの世を去ったとき、残りの第11回分から第13回分までの原稿が残されていた

太宰治は、この「グッド・バイ」を書くにあたり、于武陵(うぶりょう)の詩、そして「私の或る先輩」の訳にインスピレーションを得ていたのだと思います。

太宰治

于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」を訳した井伏鱒二

この「勧酒」にあたっては、井伏鱒二が「名訳」とされてきたものを残しています。井伏鱒二は、太宰治のいう「私の或る先輩」のことですね。

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

サヨナラダケガ人生ダ

僕はこの訳にはあまり共感できないです。この漢詩には二つの解釈があるようですね。

于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」二つの解釈

  • 惜別派:別れの時が来たので その別れを惜しむ
  • 一期一会派:人生に別れはつきもの、いつ何時別れが来るか判らない。
    今、この時をこそ大事にしよう

中国人はペシミストか?

ここで、興味深い議論を紹介したいと思います。林語堂の議論です。この議論はとても興味深いです。中国人は日本人と比較して楽観的である、と論じているのです。

日本人と中国人との違いを2,3行で説明しなければならないとすれ ば、まず日本人は中国人のような合理的な精神、遠くを見る力、そして 平和と民主思想を愛する精神に欠けることが指摘できよう。・・・日本人は 忠実で愛国心と団結心に富み、生存を求める意志が強く、儀式を重んじ る。・・・日本人は細かく縮小された美、素朴な美の創造に長けているが、 壮大かつ奥深い芸術の創造に関しては中国人に及ばない。・・・天皇に対す る熱狂的な忠誠、高度に発展した日本の国家主義は、日本人が合理主義 の精神に欠けることを示している。なぜなら合理主義的な人間は武力に 走ることはなく、熱狂することもない。中国人は合理的精神を持ってい るため、儀式を重んじることなく、王に対する態度も徹底していない。 中国人はもっとルーズで、楽観的である。

僕には于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」の第4句は、井伏鱒二の言うように一種の無常感に影響された諦めの感情に近いものなのか?という疑問があります。

第4句は会者定離(えしゃじょうり)の意味なのか?

井伏鱒二は、この世で出会った者は、必ず別れ別れになる運命にあるということ、そして、この世の無常を説いたことばとこの于武陵(うぶりょう)の「勧酒(さけをすすむ)」を解釈しています。

つまり、仏教の会者定離(えしゃじょうり)の意味ともとられます。

僕の感想

僕の感想では、この「人生足別離」の第4句は二人の友の別れの挨拶だと思います。于武陵(うぶりょう)が友人に別れ際に、「こんな世だけれども、お互い頑張っていこう」と、語りかけた挨拶に感じるのです。つまり、前述にあるような二つの説の中からは一期一会派の解釈の方です。

  • 一期一会派:人生に別れはつきもの、いつ何時別れが来るか判らない。
    今、この時をこそ大事にしよう

井伏鱒二の解釈は僕にはあまりにも厭世的に響きます。しかし、詩の味わい方は人それぞれなので、そういう解釈で味わうこともいいでしょうね。

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