僕の郷里、鹿児島(実際は旧谷山市です)から「あくまき」が送られてきたので食べました。懐かしい味です。鹿児島では、これを「ちまき」と単純に呼ぶことが多いです。
「あくまき」は、主に端午の節句で食べられる鹿児島県独特の餅菓子で、“ちまき”と呼ぶこともある。関ヶ原の戦いの際、薩摩の島津義弘が日持ちのする食糧として持参したのがはじまりだという説がある。保存性が高いことと、その腹持ちの良さから、薩摩にとって長く戦陣食として活用され、かの西郷隆盛も西南戦争で食べていたといわれる。こうした背景から、男子が強くたくましく育つようにという願いを込めて、端午の節句に食べられるようになったといわれている。
「あくまき」は、もち米を木や竹を燃やした灰からとった灰汁(あく)に浸した後、そのもち米を孟宗竹(もうそうちく)の皮で包んで、灰汁水で数時間煮込んでつくられる。灰汁に含まれるアルカリ性物質がもち米の繊維を柔らかくするとともに、雑菌の繁殖を抑え、長期保存ができるようになる。高温多湿で食糧が腐敗しやすい鹿児島県において、まさに先人の知恵がつまった料理である。
農林水産省のHPより
Contents
関ヶ原の戦いで食された!?
なるほど一説には関ヶ原の戦いにおいて、「あくまき」は島津の陣中食として重宝したのですね。
「あくまき」は腐敗しにくいので、合戦のさなか便利だったのだと想像できます。短期戦の場合、一般的には各自が握り飯と、水に浸すとふやける干し飯などの陣中食を腰にぶら下げて出陣していたらしいです。
代表的な陣中食
握り飯・乾飯(ほしいい、かれいい)
握り飯は、現代でも食べられるおにぎりのこと。
乾飯とは米を炊いた後で乾燥させたものです。水と一緒に食べたり、炒めたり茹でたりして食べられていたようですよ。
兵糧丸(ひょうろうがん)
お米や蕎麦粉、豆類、魚粉などを混ぜてよくこね、丸めたものです。地域によって材料も味もかなり違ったようですね。製法も様々で、秘密にしているところも多かったとか。
味噌玉(みそだま)
焼き味噌を1食分ずつ丸めたものです。お湯で溶けば即席の味噌汁になりますね。そのままかじって塩分補給にもできるので便利です。梅干し、ワカメなど海産物、野草・雑穀などを入れたものもあったようです。
芋茎縄(いもがらなわ)
日本文化の入り口マガジン 和樂webより
サトイモの茎(ズイキ)を味噌汁で煮しめて乾燥させ、縄状にしたものです。腰に巻きつけて運べて、普段は縄として使えるだけでなくそのままかじって食べられ、ちぎって鍋に入れて味噌汁にもできたようです。
様々なものがありますね。これに加えて、「ちまき」、「あくまき」などが食べられたのです。
関ヶ原に行った
そういえば、2022年6月に関ヶ原の戦いでの徳川家康の初陣地に行ってきました。「桃配山」です。
徳川家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、桃配山の中腹に陣を敷いたのです。この山は、壬申の乱にて、勝者である大海人皇子が野上行宮より出陣し陣を敷いたという言い伝えがあります。家康は縁起を担ぎこの場所に陣を置きました。関ケ原の合戦時に徳川家康が使用したとされる腰掛石と机石が今も残っているのですよ。
彼方に島津の陣地が見えます。「あくまき」を食べ、これから始まる合戦のため待機していたのでしょうか。
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「あくまき」を食べてみよう!
これは。一種の餅菓子です。しかし、食べるにはコツがあるのです。
準備
なんでうまくいかないの!?
「あくまき」は、包丁で切ってしまうとぐちゃぐちゃに形が崩れてしまいますよ!これは、神戸の友人に「あくまき」を送った時に伝えるのを忘れていたので、慌ててメッセージしたことがあります。友人からは「包丁で切ろうとしていた。ありがとう!」と返事が来てホッとしました。
「あくまき」が送られてきました
「あくまき」は、こんな感じのパッケージです。
「あくまき」の、パッケージを開けるとこのような感じですよ。
竹の皮の包みを開けます
「あくまき」の竹の包みを開けるとこうなります
「あくまき」の切り方・ここからが大事!
竹の包みから繊維に沿って切り、紐のようにします
食べやすい太さに合わせて、上記の竹の皮の紐を「あくまき」に巻きます
両端を引っ張り「あくまき」を切ります
実食!
「あくまき」の食べ方はお好みなのですが、私たちは「きなこ」と「黒砂糖」を混ぜてつけるのが好きです。
きなこ(黒砂糖入り)をまぶします
美味しそうです!
その他の食べ方
上記の食べ方以外にもお好みで色々と食べ方はあるようですね。色々試してお好みの味を見つけてください!
- 白砂糖
- 砂糖醤油
- 大根おろし
- 黒蜜
- はちみつ
- メープルシロップ
- わさび醤油
- ココアパウダー